五 山辺道万葉旅行 石上神宮 石上、布留の神杉 神さびて 恋をも吾は さらにするかも (11・2417) をとめらが 袖布留山の 端道の 久しき時ゆ 思ひきわれは (4・501人麻呂) 石上 布留の高橋 高々に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける (11・2997) 衾道・引手の山(引手の山―竜王山か) うつせみと 思ひし時に 取り持ちて わが二人見し 走出の 堤に立てる 槻の木の ことごちの枝の 春の葉の 茂きが如く 思へりし 妹にはあれど たのめしり 児らにはあれど (2・210 人麻呂) 短歌2首 去年見てし 秋の月夜は 照らせれど 相見し妹は いや年さかる (2・211) 衾道を 引手の山に 妹を置きて 山路をゆけば 生けりともなし (2・212) 巻向・穴師 纏向の 痛足の山に 雲居つつ 雨は零れども ぬれつつぞ来し (2・3126) あしひきの 山河の瀬の 響るなべに 弓月が嶽に 雲立ち渡る (7・1088) ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の 川音高し 嵐かも疾き (7・1101) 巻向の 檜原もいまだ 雲ゐねば 子松が末ゆ 沫雪流る (10・2314) 笠縫邑伝承地 檜原社 いにしへに ありけむ人も 吾が如か 三輪の檜原に かざし折りけむ(7 ・1118) 往く川の 過ぎにし人の 手折らねば うらぶれ立てり 三輪の檜原は(7・ 1119) 三輪山 三輪山伝説 (古事記、崇神) 大物主―活玉依姫 (崇神紀) 大物主―ヤマトトトヒモモソ姫 味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もまでに つぼらにも 見つつ行かむを しばしばも 見さけむ山を 情なく 雲の 隠さふばしや 反歌 三輪山を しまも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふばしや (1・17・18額田王) 三輪・巻向万葉旅行 磯城(しきしま)−兄磯城、弟磯城―磯城県主(志貴御県坐神社) 磯城瑞垣宮(崇神帝) 纏向珠城宮(垂仁帝) 纏向日代宮(景行帝) 訳語田幸玉宮(敏達帝) 城島金刺宮(欽明帝)
海石榴市 海石榴市の 八十のちまたに 立ち平し 結びし紐を とかまく惜しも(12・2951) 紫は 灰さするものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢ひし児や誰 (12・3101) 忍坂山(おさかやま・おっさかやま) 隠口の 長谷の山 青幡の 忍坂の山は 走出の 宜しき山の 出立の 妙しき山ぞ あたらしき 山の 荒れまく惜しも (13・3331) 初瀬川(三輪川) 初瀬川 白木綿花に 落ちたぎつ 瀬をさやけみと 見に来し吾を (7・1107) 泊瀬川 流るつ水脈の 瀬を早み 井堤越す浪の 音の清けく (7・1108) 鏡女王墓 秋山の 樹の下隠り ゆく水の 吾こそ益さめ 御念よりは (1・92) 箸墓 倭迹々百襲姫(孝霊皇女)前方後円墳 (崇神紀)「是の墓へ日は人作り、夜は神作りき。故、大阪の山の石を運びて作るに、山より墓に至るまで、継ぎ登れる 石群を 手越に越さば 越しかてぬかも」
泊瀬(1) 長谷の 斎槻が下に 吾が隠せる妻 隠口の 泊瀬の山に 照る月は 満ち欠けしけり 人の常無き (7・1270)
泊瀬(2) 籠もよ み籠もち 掘串もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 隠口の 泊瀬の国に さ結婚に 吾が来れば たなぐもり 雪はふり来 さ曇り 反歌 隠口の 泊瀬少国に 妻しあれば 石は履めども 猶ぞ来にける (13・3311) 泊瀬(3) 河風の 寒き長谷を 歎きつつ 君が歩くに 似る人も逢へや (8・425) 泊瀬風 かく吹く参更は 何時までか 衣片敷き 吾がひとり宿む(10・2261) 小椋の山 夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴くかず 寝宿にけらしも (8・1511 舒明天皇) 冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど (1・16 額田王) 山辺道 巻向・車谷・・・檜原・・・大神神社・・・志貴御県坐神社・・・金屋・・・初瀬川・・・忍坂 海石榴市・・・大神神社・・・狭井神社・・・茅原・・・巻向・・・穴師・・・山辺道上陵(景行) |