十三
近江大津京万葉旅行
天智天皇鏡山陵 (天智10年 671年 12月3日崩御)
天皇 聖身不豫の時 太后の奉れる御歌1首
天の原 ふりさけみれば 大王の 御寿は長く 天足らしたり (2・147)
山科御陵より退散りし時 額田王の作れる歌一首
やしみしし わご大王の かしこきや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと
哭のみを 泣きつつ在りてや 百磯城の 大宮人は 去き別れなむ
荒都の悲歌
近江の荒都を過る時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌
玉襷 畝火の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと 樛の木の いやつぎつぎに
天の下 知らしめししを 天にみつ 倭を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに おもほしめせか 天離る
夷にはあれど 石走る 淡海の国の ささなみの 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は
此処にと聞けども 大殿は 此処と言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立ち 春日の霧れる 百磯城の 大宮処 見れば悲しも (1・29)
反歌
ささなみの 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ (1・30)
ささなみの 志賀の大曲 淀むとも 昔の人に 亦も遭はめやも (1・31)
近江蒲生野万葉旅行
天皇、蒲生野に遊猟しましし時、額田王の作れる歌
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (1・20)
皇太子の答へませる御歌 明日香宮御宇天皇
むらさきの にほへる妹を 憎くあらば 人づまゆえに 吾恋ひめやも(1・21)
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