飛鳥 (真弓 檜隈)万葉旅行


 越野(をちの)


  柿本朝臣人麻呂、泊瀬部皇女忍坂部皇子に献る歌一首

 飛ぶ鳥の 明日香の河の 上瀬に 生ふる玉藻は 下瀬に 流れ触らばうふ
 玉藻なす 寄りかく寄り 
靡合(なびか)ひし 嬬の命の たなづく 
柔膚(にきはだ)すら 剣刀(つるぎたち) 身に副へ寝ねば ぬばたまの 夜床も荒るらむ
 その故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて 玉垂の 越智の大野の朝露に 玉裳はひづち 夕霧に 
衣は
()れて 草枕 旅宿かもする 逢はぬゆゑ  (2・194)


    反歌一首

 敷栲の 袖かへし君 玉垂の 越野過ぎゆく またも逢はめやも   (2・195)

 

 日並皇子(草壁皇子)

 ひさかたの (あめ)見るごとく 仰ぎ見し 皇子も御門の 荒れまく惜しも(2・168)

 あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠れく惜しも(2・169)

 

 真弓・佐田 (岡宮天皇真弓丘陵)


皇子尊の宮の舎人ら(かな)しび(いた)みて作る歌廿三首(の一部)

 島の宮 上の池なる 放ち鳥 荒び行き 君まさずとも     (2・172)

 よそにみし 真弓の岡も 君ませば (とこ)御門と 侍宿(とのい)するかも   (2・174)

 (いめ)だに 見ざりしものを おほほしく 宮出もするか 佐日の(くまみ)(まわ)を(2・175)

 

  檜隈大内陵 (天武天皇持統天皇合葬陵)


 天皇崩りましし時、太后の作りませる御歌一首

 やすみしし わが大君の 夕われば 見し賜ふらし 明けくれば 問賜ふらし 神岳の 
山のもみちを 今日みかも 問給はまし 明日もかも 見し賜はまし その山を ふりさけ見つつ
 夕されば あやにかなしみ 明けくれば うらさび暮し あらたへの 衣の袖は 乾時もなし (2・159)

 


 泊瀬 


 事しあら 小泊瀬山の 石城(いはき)にも (こも)らば共に な思ひ吾脊 右伝へ云ふ
時に
女子(おみな)あり。父母に知らせずして窃に壮士(をとこ)に接ひたしき。
壮士其の親の
呵嘖(かしゃく)を悚タして(やや)猶予の意あり。
此に因り
娘子此の歌を栽作して其の()に贈り与へたりき。 (16・3806)