参 磐余・飛鳥万葉旅行 大津皇子、石川郎女に贈れる御歌1首 あしひきの 山の雫に 妹待つと 吾立ち沽れぬ 山の雫に (2・107) 石川郎女 和へ奉れる歌1首 吾を待つと 君が沽れけむ あしひきの 山の雫にならましものを (2・108) 大津皇子 窃に石川郎女に婚ひし時、津守連通 其事を占へ露はしつ。皇子の御作歌1首 大船の 津守の占に 告らむとは 正しに知りて 我が2人宿し (2・109) 日並皇子尊、石川郎女に贈る御歌1首 郎女 字を大名児といふ 大名児を 彼方野辺に 刈る草の 束の間も 吾忘れめや (2・110) {朱鳥元年 (598年) 9月} 大津 窃に伊勢神宮へ下りて上り来ませる時、大伯皇女の御作歌2首 わが背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて 暁露に 吾が立ちぬれし (2・105) 2人行けど 行き過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ(2・106)
百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (2・416) 右は 藤原宮、朱鳥元年冬10月 大津皇子甍り給うひし後、大来皇女、伊勢の斎宮より 京に上りし時 御作歌2首 神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに(2・163) 見まく欲り 我がする君も あらなくに なにしか来けむ 馬疲るるに(2・164)
現身の 人なる我や 明日よりは 二上山を 兄弟と我が見む (2・165) 磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が 在りといわなくに(2・166) 右の1首は、今案ずるに、葬を移す歌に似ず 蓋し疑ふらくは、伊勢神宮より京に遷りし時、 天武天皇の崩御のおりの大津皇子の悲劇を歌で、綴っています。蛇足ですが、 |