真言密教と弘法大師空海


この文章は主として、梅原猛氏の「最澄と空海」から引き出されてきたものでが、一部手前勝手な部分があります。

 まず第一に、空海が唐から移入し、我が国で確立させた密教は仏教ではなく、「空海密教」と言えるまで、日本で新しい宗教となったと思われることです。

  空海の主張は「空海密教」以前の仏教は全て「顕教」であり、「空海密教」が最終・最後の正しい教えなのだというものです。

 仏教は紀元前数世紀、釈迦(ゴータマ・シュダルタ)が人の苦しみは人が欲望から離れられないことから生ずるもので、修行によって欲望を無くすことから解脱でき、苦しみの輪廻を抜けだすことが出来るというものです。インドの修行者はその教えにしたがって「サンガ」に集まり、集団での修業を始めます。これが第一段階の「仏教」です。いわゆる、「上座部仏教」かっては「小乗仏教」と呼ばれたもので、東南アジアへ伝播していきました。

 一方、中国、チベット、日本へと伝わった仏教が大乗仏教で、個々人を救済するのではなく、多くの衆生を救済する方法を考えるべきだとしています。欲望を無くすという「こだわり」を無くす、即ち「空」の状態になることが大切だとして、釈迦を越えていきます。日本に入ってきた時点での仏教はこの大乗仏教であり、鎌倉時代頃からの宗教改革、法然上人、親鸞上人、らの教説はさらにこの傾向は徹底してきました。

 まず、密教とはなんなのか?について梅原氏は。
 仏教の最終段階で出てきた仏教の教派としています。
 
 仏教は紀元前5世紀頃にインドで出現した釈迦にもとずいた宗教ですが、さまざまに変化していきます。紀元2世紀頃、龍樹という人が出て、大乗仏教という新しい仏教を説きました。その大乗仏教がさまざまに変化して、最終段階で密教が出てきます。
 大乗仏教が出現すると、歴史的な釈迦仏教は否定されます。これまでの仏教は、仏が釈迦という生身の人間のかたちをとって教えをといたものにすぎず、それは応化身の仏教であとし、法身すなわち真実の仏として釈迦の説いた仏教はそれとちがうというのです。
 
 『法華経』というのは、この永遠の仏として釈迦の説いた教えということになっていますが、それを一歩進めで『華厳経』というのが出てきます。
 ここでは、釈迦ではない、毘廬遮那(びるしゃな)という超人間的な仏が宇宙の根底にいるのだとし、毘廬遮那の一つのあらわれとして釈迦があるという立場です。

 
 「歴史的釈迦」→「法身の釈迦」→「毘廬遮那」への変化は歴史的必然の方向です。この毘廬遮那をもう一段自然の方向に超えたところに、「摩訶毘廬遮那」すなわち「大日如来」が生じます。これは太陽崇拝になったということで、仏教から自然中心の教えになったといことです。インドの土着宗教である「ヒンズー教」の影響が多分にあるようです。

 空海によれば、密教は法身の仏教であり、顕教は応化身の仏教というのです。釈迦も実は仏の応化身にすぎず、仏の法身は摩訶毘廬遮那であるとしています。そして、顕教は他受用身の仏教で、仏が他人のための方便として説いたもので、密教こそが自受用身の仏教と言っています。

 空海が「付法伝」で、密教の「8人の祖」として、以下の名前を挙げています。宗派ではそれを真言八祖と言っています。
 第一祖は摩訶毘廬遮那(大日如来)これは永遠の仏です。第二祖は金剛薩?(た)、ダイヤモンドの人という意味です。二人は理論的な祖です。
 第三祖は大乗仏教の開祖といわれる龍樹たち、「龍樹」は般若系の祖といわれていますが、「龍猛」という名で密教の第三祖とされています。種々の神秘的逸話が述べられています。
 第四祖は龍猛の弟子の「龍智」という人です。700年も生き、インドで法を説いています。第五祖は「金剛智」、第六祖が「不空」で伴にインドから唐へやってきました。第七祖が「恵果」、第八祖は「空海」と伝わってきたとされています。

 真言宗としては「伝持の祖」として「真言八祖」を以下としています。理論的祖である第一祖の摩訶毘廬遮那と第二祖の金剛薩たを除いて、「善無畏」と「一行」を加えます。「善無畏」は中インドの僧で、80歳にして716年に唐に来て、金剛智と並んで玄宗黄帝の深い尊敬を受けています。

 真言密教では、古来から『即身成仏義』『声字(しょうじ)実相義』『吽字義』という三冊の本を真言密教の教義を語るものとして尊重してきています。

 「即身成仏義」とその解釈
 「即身成仏」の経典根拠は?ふつう、仏教では三劫成仏(さんごうじょうぶつ)といっているようです。三劫とは限りない長時間の末にやっと成仏するという考えか方です。(劫・こう とはヒンディー教では43億2000年になります)
 空海は『金剛頂経』『大日経』『菩提心論』にはっきりと書かれているとして、「即身の偈」と「成仏の偈」の二つの偈をつくっています。

  六大無偈にして常に瑜伽(ゆが)なり (体)        四種曼荼(ししゅまんだ)各(おのおの)離れず (和)  
  三密加持すれば速疾(そくしつ)に顕(あらは)る (用) 重々帝網(たいまう)なるを即身と名づく (無偈)

 「六大」とは 地・水・火・風・空と「識」(心)を加えたもの。5つの物質的原理と「心」という精神的原理を加えて6大としたものです。従って、密教では精神的原理が物理的原理に含まれるとしているわけです。そこで、人間の体も地球と同じ要素で出来ていわけですから、仏も人間もその6大によって出来ている、相通じ合っている、すべてが溶け合っている。といわけです。

 「四種曼荼各離れず」。曼荼・曼荼羅というのは「宇宙の真相をあらわす知恵です。曼荼羅には4つあります。大曼荼羅(仏菩薩を形であらわしたもの)、法曼荼羅(大曼荼羅を梵字であらわしたもの)、三昧耶(さんまや)曼荼羅(仏菩薩の持ち物をあらわいたもの)、蝎摩(かつま)曼荼羅(仏の活動するさまをあらわしたもの)の4つ、仏の悟りをあらわした4つの世界が離れず、おのおの互いに混じり合っている。ということです。

 「三密加持すれば速疾に顕る」。ここが、この偈の根本があるようです。三密とは身密、語密、意密 つまり身体・言葉・心ということです。空海の三密は仏の三密ともともと同じものですから、この三密を通して仏を呼び寄せることができると考えているわけです。
 
 加持の「加」とは、仏の力が加わること、その力をじっともっているのが「持」です。「加持祈祷」は祈祷というのは、仏の力が加わること、その力をじっともっているのが、「持」です。加持というものの本来の意味は衆生に仏の力が加わり、そして衆生はこれをもちつづけるという意味とのことです。我々は仏と同じようになり、仏と同じような力を発揮できるこれが密教の中心の思想です。

 仏の身すなわちこれ衆生の身、衆生の身すなわちこれ仏の身である。いずれも不同にして同であり、不異にして異である。と空海は説明しています。これが華厳の思想で、小さい世界の中に無限の世界が映されているという考えです。

 偈の後半、成仏の句は
 法然に薩般若(さはんにゃ)を具足して          心数心王刹塵(しんじゅしんわうせつぢん)に過ぎたり 
 各々(おのおの) 五智無際智(むさいち)を具す    円鏡力(えんきやうりき)の故に実覚智(じつかくち)なり (成仏)

 前半では人間はどうして仏になれるか?ということを示しましたが、以下は仏のほうから見ようとしています。
 人の心は本来の大日如来の心と同じで、その心が無限に変化して現れます。その無限の心がそれぞれに五智無際智を備えているというのです。

 真言で五智如来というように智というのは密教にとって大変重要なものです。これは、大日如来を中心として東西南北の4つの如来に5つの智が配されていることから明らかです。

 東 阿?(あしゅく)如来 (大円鏡智 鏡のごとくすべてのものを明らかに映す知恵の如来)
 南 宝生如来     (平等性智 平等に世界を見る知恵を持つ如来)
 西 無量寿如来    (妙観察智 よくものを観察する知恵を持つ如来)
 北 不空成就如来  (成所作智 実践的な知恵を持つ如来)
 真ん中には 大日如来  (法界体性智 最高の知恵を持つ如来)


 人も真言密教を信じ修行によって「大日如来と同じ境地に立ち、鏡のような知恵を持ち、他人のための救済を実行していく知恵を持った仏そのものになれる」というのが『即身成仏義』の意義であるようです。

 『声字実相義』とその解釈
 「声」を表現するのが「字」、その対象をあらわす「実相」という三つの言葉から成り立っています。

 空海の言いたいこと。 「この世の中は感覚の世界である。それはきらびやかな色をもっている。その色の世界に溺れてしまう者、それは愚か者であり、溺れることによって、迷いや苦しみが出てくる。しかし、個々の色の世界のとらわれから自由になり、宇宙の本体である大日如来と一体になった人間にとっては、その色の世界がむしろ楽しいとみる。そして個々のとらわれから自由になって、自由な他人救済の行いに遊ぶことができる」

 『吽字義』のその解釈
 
 「吽の一字に世界が含まれる」
 空海の書に、「般若心経秘鍵(ひけん)」があります。その中で、「真言は不思議なり 観誦(くわんじゅ)すれば無明を除く 一字に千里を含み 即身に法如を証す」と記されています。そして、真言とはなにか?空海は『阿字』よりも『吽字』を重要に考え、この一字をもって、この世界の全体として真実を明らかなものとするものとしています。

 吽字とは因の義であり、その因とは覚(さと)りの心であり、一切如来の真実の妙体で、あらゆる功徳はみなここから生ずる。
 吽の字には、4字の義がある。   
 訶(か)字(因縁不可得)を本体としていますが、この字は阿字から生じたもの。訶字を観じていけば、因縁を越えた永遠のものに達する。

 阿字は世界全体の真実を象徴的に説明するもの。(一切法の本より不生) 阿字観はもっともふつうの密教の観行とされます。
 阿字の3つの義(意)、不生(生まれもせず)と有(無と対立する有ではなく、有無の対立を越えた絶対の有)と空(絶対の有もまた空である)、です。

 訶の下に?(サンズイに于)点があります。これは一切法(一切の存在)の損滅の不可得(ふかとく:一切存在の本性は空であるから、人間の認識を超越しており、とらえることができないということ、すべての存在は空(くう)であって、固定的なものは何も得られないということ。)なるを示すもの。 
 
  訶字の上に円点がある。それは摩字です。摩字は我の義であり、不可得の義です。(我の不可得)(摩は仏道修行や人の善事の妨害をなすもの。不思議な力をもち、悪事をなすもの)

 吽字は訶と阿と(サンズイ)于と摩の四つの字からなっていて、阿字は因縁不可得、阿字は一切法の本より不生、于字は損減の不可得、摩字は我の不可得を示すということが語られえています。・・・この『般若理趣釈』というのは、先に触れたように、最澄が貸してくれといったのを空海が断って、最澄と空海との間の決裂の原因になった本です。この『般若理趣釈』には、やはり真言密教の奥義が書いてあるのですが、その奥義はただの理論では説明できない、体験によらなくてはならない、と空海はいっている。

 最澄と空海との決裂になるほど難しい理論ですから、理論も実践体験もない者が判るはずはありません。ただ、最後のまとめを転記するばかりです。

 空海の『吽字義』は阿字観と摩字観を中心にしたものだというふうに思いますが、空海はこういうふうに吽字を一つ一つに分けて、それを一つにして、また吽字観を説いているのです。
 これが、『吽字義』の大要ですが、私は今回、あらためて『吽字義』を読んでみて、行はしなくても、少しは真言密教がわかった気がしました。これは梅原先生ですからで、浅学な私には正直、チンプンカンプンです。申し訳ありません。

 曼荼羅とは何か?
 
密教では曼荼羅を崇拝する。曼荼羅とは何か。

 両界曼荼羅は、大日如来を中心とした密教の宇宙観をあらわすとともに、密教の強烈な力を発揮する本源とされています。
 
 行者は金剛界、胎蔵界のふたつの曼荼羅の間にあって、秘密の修法を行い、大日如来との一体化を果たす。このことを「即身成仏」といい、大日如来の法力を得た行者は、その超越的な力で国を災難から守り、五穀豊穣や病気平癒と祈り、外敵を調伏させると言われています。

 世界の秩序を図式的に表現したもので、金剛界曼荼羅と世界の胎蔵界曼荼羅があります。
 金剛界曼荼羅は男性的原理、空間的世界の諸相を示す。
 胎蔵界曼荼羅は女性的原理、時間的世界の秩序を示す。 2つの曼荼羅は宇宙の空間と時間の2つを現している、ということでしょうか。

 京都東寺の金剛界曼荼羅  金剛界曼荼羅(大)       金剛愛曼荼羅(特大)
 
全体が9つに区画され、それぞれの円輪の中に大日如来をはじめとする仏・菩薩が描かれる。絵画的な胎蔵界曼荼羅に比べて図形的要素が多いのは、右下から上、さらに左へと、段階ごとに中央すなわち悟りの境地に近づく行程を示していることによる。金剛界の「界」とは、各区域が金剛杵(しょ)という密教法具で結界され、俗界と遮断されることを意味する。

 京都東寺の胎蔵界曼荼羅  胎蔵界曼荼羅(大)       胎蔵界曼荼羅(特大)
 
胎蔵界曼荼羅は、母胎に生命が宿るように、宇宙のすべてが大日如来から発するという根本原理をあらわす。蓮華の中心に大日如来、その周囲に仏・菩薩・明王を配し、外周の諸天を描く。蓮華は花の中に種子ができることから、それを仏性にたとえ、人は誰もが仏性という蕾を持ち、開花させれば大日如来と一体化と説く。全体は美しい天体図のようだ。    (古寺を巡る 東寺 から)

 以上は、梅原猛氏の「最澄と空海」に基づいての考えで、いささか難しい論議です。

 そこで、加えて、本田不二雄氏の「弘法大師 空海読本」を読んで論議が平易なものになればと思っています。
 
 空海が「遍照金剛(へんじょうこんごう)」となることが出来た恩師が「恵果(けいか)」という「真言八祖」の7祖にあたる人物です。その人物についての記述を取り上げてみました。空海密教が育てられる過程を知ることが出来るかもしれません。
 

 恵果とは何者だったのか。空海が記した追悼の碑文の文章を交えて略述したい。
 
 恵果は、746年、長安の東南に隣接した照応の地に生まれた。幼きころから仏法を求め、7、8歳の頃に大照禅師に入門し、しばらくしては師に伴われるようにして不空のもとに入門。幼くして不空から親しく教えを授かり、14、5歳で霊験を現した。その評判は宮中に伝わり、参内した際、帝より疑義を示されて「法によって自在天を呼び出し、流れるように疑問を解いた」という。
 
 19にして不空より灌頂を受け、念持仏として転法輪菩薩を得て、密教布教の資質を認められた。やがて不空より『金剛頂経』系の密教を授かり、善無畏三蔵の弟子の玄超より『大日経』系および『蘇執地教(そしつじきょう)』系の密教を授けられたという。そして、自らの死期が近づいた不空の遺命によって、法燈を伝えるべき6人の弟子に選ばれる。以後、6大弟子のなかでもっとも若かった恵果は徐々に存在感を発揮。780年には勅命によって伝法の大阿闍梨となってからは、多くの僧俗に灌頂を行い、法の伝授に努めた。
 師と同じく雨を祈り、護国の祈祷なども行ったというが、・・・・・

 恵果の歴史的評価は、ほかでもなく、『金剛頂経』系の密教と『大日経』系の密教という出自の異なるふたつの大法を併せて奉持し、それが不二一体のものだとする新たな密教の体系を築いたことにある。 
 
 胎蔵界曼荼羅に象徴される『大日経』は7世紀の中ごろ、金剛界曼荼羅に象徴される『金剛頂経』は7世紀の末にインドの別々の場所に発生したとされる。長い仏教の発展史において、当時としてはもっとも新しい仏教体系であった。
 
 密教は、呪術を否定した釈尊の没後、長い時間をかけて現世利益の要請から仏教に呪術祈祷が入り込んだ結果、それが仏教の教えと混在していた時期(いわゆる雑密の時代)を経て、体系づけられたものである。


 その教主は、従来の歴史的存在であるブッダ(釈尊・世尊)でなく、宇宙的存在にまで高められた大毘廬遮那(大日)仏。『大日教』には、この宇宙に遍満(へんまん)する心理そのものである法身のブッダを体現する実践修法(じっせんしゅほう)、つまり印の結び方、真言の唱え方、曼荼羅の描き方などに加え、護摩供養や灌頂の方法など、密教としての基本要素がすべて網羅されている。一方『金剛頂経』群と呼ばれる経典には、5段階の瞑想法(五相成身観)を通じて速時に大日如来と一体化する瑜伽の秘法が記されている。つまり、究極までに高められた仏教の宇宙観に、ヨーガによる成仏法、そしてその利益を他者に向ける加持祈祷法などが総合された、仏教の最終形がここに成立したのであった。
 しかも、恵果の時点でふたつの密教の流れが合流し、そのエッセンスがすべて空海に託されることになった。以後インドでは、呪術祈祷の供給源だった民族信仰(ヒンドゥー)の波が仏教を覆い尽くし、中国でも密教の法は次第に途絶えていく。つまり、空海が授かった密教は、日本でのみけいしょうされることになったのである。・・・・・

 ・・・それは入門して10年、20年の弟子にも授けられない秘密の法を、2か月少々ですべて身につけるという超人的な営みであった。

 6月13日、胎蔵界の灌頂
 これはいわば「真言の教えを学ぶ弟子としての資格を得るためのもの」(高木、元氏)とされる。まず胎蔵大曼荼羅が敷かれた壇に入り、目隠しをして華を投じる搭華得仏(とうげとくぶつ)という秘儀を行うのだが、このとき空海の投じた華は、「偶然として中台の毘廬遮那如来の進上に着いた」という。このことは空海自身が法身大日如来のあらわれであることを意味し、師からはその印契や真言が授けられることになる。「不思議よ、不思議よ」と恵果は賛嘆したと伝えられる。次いで灌頂壇に向かい、師より加持された五色の瓶の水を中・東・西・南・北の順で頭頂に灌がれ、三密の加持を受ける。こうして空海は、本尊と自己を感応させる神秘体験を得るのである。

 7月上旬、金剛界の灌頂
 今度は金剛界の大曼荼羅の壇に臨み、重ねて5部の灌頂を受けたとされる。先と同様に行われる投華得仏では、またも中尊の大日如来の上に落ちたという。恵果はまたもや驚かされることになった。こうして空海は、胎金両部の灌頂を通じて、「一切事物の存在の『本質』をあるがままに体得した」(高木氏)。つまり、両部の曼荼羅に象徴される理法と知恵の一切を授かったのである

 ーそして8月10日、伝法灌頂
 めくるめくような2か月を経て、息つく間もなく伝法のクライマックスを迎えた。この秘儀は密教最奥の秘法の伝授であるため、その内実は決して知られることはないのだが、結果としてこの最終灌頂を終えた空海は、その大法を伝授できる阿闍梨(師位)の座に登り詰めたのである。師によって授与された灌頂名は「遍照金剛」。遍照とは大日如来の意訳であった。「そのことは、空海自身が法界大日如来の仏位に登り、かつ教主大日如来の法門を正しく伝承したことを象徴しているのである」(高木)・・・金剛薩詫である空海が、大日如来の法を嗣ぐ恵果から、新たな密教の教主であると認定されたのである。つまり空海は

 大日如来ー金剛薩たー龍猛ー龍智ー金剛智ー不空ー恵果  とつづく密教の第8祖として、密教世界の王となったのである。


 日本の皇室と空海密教との強力な繋がりは京都・東寺灌頂院の催事に窺い知れることができます。

 これについては梅原猛氏の「京都発見 7 空海と真言密教 東寺灌頂院と空海の密教」参考にしていきます。以下”纏め”としても良いでしょう。

 インドや中国でさほど盛んでない仏教思想が、見事に日本の地に根づき大輪の花を咲かせることがある。このような仏教思想として、私は密教と浄土教を挙げたい
。浄土教については既に語ったので、ここでは密教についてのみ語りたいが、密教は8世紀初め、インドからやってきた善無畏と金剛智によって中国にもたらされ、安禄山の乱後、後継者の不空によって大成され、ひととき貴賤の崇拝を得たが、やがて衰え、跡形もないほどに消滅してしまった。しかるに不空の弟子恵果の弟子である空海によってもたらされた密教は、日本でいたく繁栄し、ついに天台宗までも占領して、天台密教すなわち台密なるものを生み出した。平安時代の仏教はほぼ密教一辺倒の仏教であり、鎌倉時代以降は密教は隠然たる力を持ち、現代に及んでいる

 密教が日本の地に深く根を下ろしたのは、一つには空海という、学問や芸術とともに、布教において稀有な才能を持つ日本真言密教の開祖の力によるところが大であるが、また真言密教という仏教が甚だ日本という国の精神的土壌に適合したものであったからであろう。真言密教は釈迦の代わりに大日如来という宇宙神を崇拝する。大乗仏教は釈迦を、紀元前5世紀にインドに出現したゴータマ・シュダルタという人格を離れて、普遍的な仏として崇拝するが、いくら普遍化したとしてもやはり釈迦仏には人間的な性格が抜きがたい。しかるに大日如来はもはや人間的な仏ではない。それはすべての生きとし生けるものを生き利けるものとならしむるような宇宙神、あるいは自然神であるといってよい。神道という名で日本に伝わる宗教は、自然神の教えであり、神はやはり森の中にいましたのである。空海が真言密教の本拠地の一つを高野山にもうけたことによって、大日如来は見事に古くから日本に存在する神と一体化したのである

 もう一つ真言密教が日本で栄えたのは、神道が昔から行ってきた朝敵の調伏、怨霊の鎮魂という仕事において神道や他の仏教が果たしえないような力を発揮したからである。それは先に述べた薬子の変の際、嵯峨天皇と空海が密談したという『東宝記』の話によっても明らかである。この薬子の変で真言密教が日本の国を鎮護し、その長である天皇の玉体安穏に最も有効な仏教であることが示されたのである。東寺はまさしく鎮護国家、玉体安穏を祈る寺である。この鎮護国家、玉体安穏を祈る真言密教の奥義を師から弟子へ伝える伝法の灌頂が行われる場所が灌頂院である

 灌頂院は東寺境内の西南、本来西塔があるべき場所にあるが、その一隅は塀に囲まれて容易に入ることはできない。この灌頂院が現在つかわれるのは、毎年正月8月から7日間、鎮護国家、玉体安穏を祈願する「後七日御修法(ごしちにちのみしほ)」という秘法を修する時と、それに毎年正月に行われる「伝法灌頂」と、記念の年などに行われる一般の信者が仏と縁を結ぶ儀式である「結縁灌頂」の時だけである。そして灌頂院の門が開かれ一般の人が塀の中に入ることができるのは、空海の命日である毎年4月21日の時のみである。

 後七日御修法はもともと宮中の真言院で行われていた秘儀で、天皇自らが出御し、東寺の長者が直接天皇の体に加持する。この御修法は承和元(834)年に空海が唐にならって宮中で修することを願い出て勅許され、仁明天皇の御世の翌年正月に行ったのが、その始まりである。以来、南北朝や戦国時代の動乱で何度か中断したことはあるものの、御修法はずっと宮中の真言院で行われてきた。明治維新で廃止され、明治16年(1883)年に12年ぶりに東寺の灌頂院で修することで受け継がれてきた。いまでは天皇自らが出御することはなおいが、皇室から勅使が遣わされて天皇の身代わりとなうる御衣に加持をする。

 宮中真言院の設置によって真言密教は宮廷の奥深くに入り込み、天皇や皇族が加持を受け灌頂を授けられる。そして『東宝記』に書かれているように宇多法皇や円融法皇など代々の法皇が、東寺の灌頂院で正式に伝法灌頂を受け、真言密教の法を受け継いだ大阿闍梨になるということが行われるようになる。

 伝法灌頂と結縁灌頂の儀式も後七日御修法と同じように密教の秘儀で、余人を入れずに行われる。この灌頂はこれを受ける人が大日如来と合体する儀式で、空海が唐の長安の青龍寺において恵果から受けた秘儀である。伝法灌頂は、朝の10時頃から始められ、延々と続いて翌日の未明までに及ぶ。灌頂院はまさに秘密の儀式を行う殿堂にふさわしく、日ごろは仏像一体安置されているわけでなく全くの空洞であるが、灌頂や修法のときだけここに胎蔵界、金剛界の両界曼荼羅が懸けられ、敷曼荼羅という曼荼羅が壇上に敷かれ、灌頂を受ける人は目隠しをされたまま花を投げ、その花が落ちた所の仏を有縁の仏として結縁する。・・・

 この伝法灌頂の時、堂内には十二天屏風が置かれる。十二天というのは天地、日月、四方、四維を守る守護神であるが、昔は十二天の面をかぶり仮装した楽人が行道し、灌頂の儀式に神秘感を一層添えたらしい。このような仮装の十二天の行道が行われなくなると、代わって十二天屏風が用いられたのであろうが、この十二天も誠に妙、いかにも異世界の生き物にようである。

 こういう十二天面の行道、あるいは十二天屏風の置かれた前で灌頂が行われるとしたら、その護摩の焚かれるかすかな音が響く暗い堂内とともに、灌頂を受ける僧たちはこの世ならぬ神秘の世界に赴いたという気持ちを持ったに違いない。そしてそこで大日如来が彼に乗り移り、以後もずっと大日如来が彼の中にいるという強い自覚を持つことができるのであろう。・・・

 ・・・第十の「秘密荘厳心」がまったく語られていないのを残念に思った。あとは灌頂を受け、真言秘密の法を体得するよりほかわないが、いままた『京都発見』のために東寺に来て、ひそかに灌頂院を拝観し、真言密教を深く知るためには、やはり灌頂を受けねばならぬと思った。
 
 あの、梅原猛先生がこのようなコメントを残すということは、我々凡人は到底真言密教の奥義には近づくことは出来ないということです。
 「四国八十八ヵ所へのお遍路の旅」は、「真言密教密教」をとやかくいうのではなく、「弘法大師空海」との「同行二人」の旅を楽しむもとの考えれば良いと思われます。

 「南無大師遍照金剛」
 
 
「願わくは、この功徳を以て、あまねく一切に及ぼし 我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜん」


作者近況の欄です9。