令和3年11月18日、19日

五木寛之氏の「百寺巡礼」第六巻関西

「鶴林寺」・「亀山本徳寺」を訪ね、改装ご初めての姫路城を訪ねました。

宿泊はGoTo「シーサイドホテル 舞子ビラ」でした。



そして白く美しい「姫路城」、紅葉が見ごろの「好古園」へ


刀田山 鶴林寺 (とたさん かくりんじ)本堂 国宝

室町時代(1397年)の建立。和洋・禅宗様・大仏様の折衷様式の傑作建築として名高い。
平安時代中期の仏像である本尊薬師如来、日光菩薩・月光菩薩・持国天・多聞天(すべて重要文化財)
を祀るが、いずれも60年に一度開扉される秘仏です。
亀山御坊 本徳寺 (播州の本願寺)

本徳寺は本願寺八代蓮如上人の開基に始まります。
上人の晩年、本徳寺の西日本へ進展は石山の御坊を基軸に播州・英賀の
寺内町をもって進められ。上人側近の御堂衆・下間空前にその任が託されました。
姫路城

平成21年(2009年)大天守修理工事着工(平成の修理)
平成27年(2015年)大天守修理工事終了
姫路葉西御屋敷跡庭園 好古園(こうこえん)

国宝姫路城を借景に、姫路市制百周年を記念して造営され、平成4年に開園した
池泉回遊式の日本庭園です。


1118日、「シーサイドホテル 舞子ビラ神戸」宿泊

計画表

大住ケ丘北 10時53分乗車 ICOCAで5000円補充。

松井山手駅11時17分発、尼崎から新快速 

加古川駅着13時07分  

昼食後 「刀田山(とたさん)鶴林寺」を参拝。

「鶴林寺(かくりんじ)」を訪ねます。

兵庫県加古川市にある寺院。天台宗、本尊は薬師如来。

聖徳太子開基の伝承を持っています。「播磨の法隆寺」、「西の法隆寺」と称されています。

加古川駅を出発、30分ほどで、舞子駅へ。

「シーサイドホテル 舞子ビラ神戸」へは5時過ぎか?

19日 姫路へ

9時、ホテル出発。9時18分舞子駅を出、姫路駅着 10時5分。

姫路駅から山陽電鉄本線へ乗り換え 亀山駅にて下車。

「亀山本徳寺」(現在は西本願寺です)を訪ねます。

かって播磨と呼ばれたこの地一角に、民衆の自治都市であり宗教都市ともいえる「寺内町」が繁栄していた。英賀(あが)と呼ばれたその土地には、「英賀御堂」という浄土真宗の寺院があり、播磨の本願寺門徒の拠点になっていた。

畿内を中心として近江、北陸など、蓮如が足跡を残した地には沢山の寺内町が生まれている。そして、本願寺教団にとって真宗布教の最西端の拠点となっていたのが、この英賀御堂、別名「英賀本徳寺」である。

本堂大広間

天井の「華曼荼羅(はなまんだら)」 全部で五十七種類の花たちです。

蓮、桜、菊、椿、朝顔、石楠花(しゃくなげ)、藤、アネモネ、パンジー、シクラメン、胡蝶蘭、竜胆(りんどう)、鷺草(さぎそう)、桔梗、カラー(海禹 かいう)、プロアテ、烏瓜(からすうり)、・・・

以上、五木寛之「百寺巡礼 第6巻関西」より

姫路駅へもどり、昼食後  改装なった「姫路城」を訪問?


刀田山 鶴林寺

 13時15分、加古川駅駅に着き、向かいのデパートで昼食を取りました。
 
13時45分、加古川駅前から鶴林寺へはタクシーを使いました。バスは1時間に1本ということでやむを負えない措置です。
 14時15分、仁王門前に着きました。下車の折りタクシーの運転手がバスは1時間1本との注意をもらいました。
 
 縁起については有料の小冊子から以下に記しします。

 6世紀中頃、朝鮮半島から日本に渡来していた恵便法師は、物部氏らの迫害を逃れて、この地に隠れておられた。
 このことを聞いた12歳の聖徳太子は、この地に来られ「木の丸殿」で仏教の教えをうけられた。その後、太子16歳のとき(589年)渡来人の秦河勝に命じて精舎を建立し、「四天王寺聖霊院」と名付けられたのが当寺のはじまりであると伝えられている。
 養老2年(718年)武蔵の国「大目身人部春則」が太子の徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立しさらに9世紀はじめ、慈覚大師円仁が入唐の際にたちよられ、薬師如来を刻し国家の安泰を祈願され、以後天台宗になった。
 平安時代鳥羽天皇から勅額をいただき、寺号を「刀田山鶴林寺」と改めた。鎌倉、室町時代には太子信仰が盛んになり、とくに室町時代には、寺領2万5千石、自坊300坊、衛士100余人、樂人数十人があつねに舞樂を奏していたと言われ、全盛時代を迎えた。
 しかし戦国時代にいたり、信長、秀吉らの弾圧によって寺領は200石になり、さらに江戸時代の宗教政策にため、衰微の一途をたどった。
 しかし苦難の時代を懸命に生き残った当寺は「刀田の太子さん」とよばれて庶民の信仰あつく、また「播磨の法隆寺」とも呼ばれるほど多くの優れた文化財が護持され、人々の信仰と心のやすらぎの場となっている。

 国宝 本堂です。 
 
 室町時代(1397)の建立。和洋・禅宗様・大仏様の折衷建築として名高い。平安時代中期の仏像である本尊薬師如来、日光菩薩・月光菩薩・持国天・多聞天(いずれも重要文化財)を祀るが、いずれも60年に一度開扉される秘仏である。

 本堂内です。 1)       2)       3)       

 国宝 太子堂です。           鐘楼

 平安時代(1112)の建立、兵庫県下最古の木造建築物。鎌倉時代に礼堂(外陣)が増築された。檜皮葺きの屋根、扉、縁などに増築の名残が確認できる。現存するわが国最古の法華三昧堂である。

 重要文化財 常行堂です。

 平安時代、太子堂に少し遅れて建築された。天台宗の代表的修行である四種三昧のうち、90日間念仏しながら歩き続ける過酷な常行三昧を行う堂宇としては、わが国現存の最古の建築である。

 三重塔 


 境内の紅葉具合。 1)         2)          3)        

 宝物館。 宝物館にあるものを、パンフレットから選び出しました。

    2) 想定彩色復元模写九品来迎図(制作 高木かおり)           3)              4) 重要文化財 聖観音立像           5) 重要文化財 十一面観音立像          6) 重要文化財 阿弥陀三尊像          7) 重要文化財 聖徳太子像       

   8) 重要文化財 聖徳太子絵伝 
          9) 左同   絵伝の数が多く更に整理しアップしたいと思っています。               
      


シーサイドホテル舞子ビラ神戸
 

 16時25分、益子駅に着き、駅からホテルへの行く道から、「明石海峡大橋」、「淡路島」が見えています。

ホテルの位置です。

 16時40分頃、ホテルへ到着し、チェックイン。阪急交通社の手配による宿泊ということで、スムースにホテル係員と話が出来、
4000円のクーポン券を受領できました。部屋は明石架橋大橋と海が見える部屋、ランクアップしています。

   別館 緑風館         1)          2)        3)有栖川宮と舞子ビラ神戸の歴史     

 部屋からの景観。  1)         2)         3)       

 
食事前の入浴。大浴場に満足!!!

 
18時からは「フランス料理フルコース」の夕食でした。

 〜明石海峡大橋と愉しむ”創作”〜
 地のものを使用したレンチディナー_

Amuse
食前のアミューズ
淡路玉葱のタルト/オリーブパイ包み
神戸市西区で育てられた筍葉のスムージー

Hors-d'oeuvre
ひょうごの恵 6種のオードブルバリヱ
但馬鶏の人参ソース/淡路玉葱のバルサミコスソース
六甲山弓剃牧場のフロマージュフレ/鯛のエスカベージュ
タコのトマトソース/イチジクと生ハム

Soupe a l 'oignon gratine
淡路玉葱のオニオングラチネ

Fruite de mer Sause au vin blanc safran
鯛のパイ包み焼き サフラン風味の白ワインソース

中休み
今夜はワイン、お酒、ウイスキーロック


Roti de boeuf ,Sauce basifiic
交雑牛のロースト ひょうごのバジルソース
旬彩サラダ仕立て


Bread

Dessert
デザート・アソルティ

Coffe or Ter


19日
 7時からの朝食は和食でした。
 有栖川 朝食小箱
兵庫県産大豆納豆 温泉旨赤玉子 須磨海苔佃煮 旬の有馬煮 国産開き鯵一夜干し 野菜の炊き合わせ 兵庫県海苔 兵庫県こしひかり米 
有栖川こだわり味噌汁

 8時30分、ホテルを出発しJRで姫路へ向かいます。姫路からは山陽電鉄で亀山駅へ。

 10時10分「亀山本徳寺(かめやまほんとくじ)に着きました。

 

 本徳寺本堂・蓮如堂        本堂左手の紅葉         新選組刀傷跡         本堂正面の祭壇        

  お寺の景観1)         2)        

 大広間 1)        2)         3)        天井の花々1)          2)          3)         

 司馬氏の「播磨灘物語」のなかにも、英賀(あが)のことに触れた部分がある。この小説では、英賀と大阪の石山本願寺とお連携、あるいは中国地方の毛利氏との関係などもうかがえて、興味ぶかい。一般に真宗という宗派は、人びとの生活が慎ましやかで、謹厳で、倫理的で、というイメージが強いという気がする。・・・いまもなお、この亀山本願寺のどこかに、かっての英賀の寺内町を支えていた人びとの気風というものが、残っているのではなかろうか。・・・
 以上、「百寺巡礼」から。

以下は「御坊さん」 本徳寺住職 大谷昭仁氏
 新型コロナの衝撃に想う
 二十一世紀に人類に突きつけられた最大の困難

新型コロナウィルスの都市感染を抜きに二千二十年を語ることが出来ないだろう。新生物がひとを宿主として増殖する自然現象は高度な医療の法益バリアを軽々と突破し、人類史上まれに見る危険をもたらしている。中世ヨーロッパにおけるペスト、近くには二十世紀初頭のスペインj風邪の流行に匹敵するものであろう。
 昨年末から武漢で息を潜めていた悪霊は人を介してたちまちにその本領を全世界に顕わした。接見する一神教聖職者の犠牲に始まったイタリアのクレモナでは「この辺りでは、死ぬ人はもうみんな死んでしまった」と、医療開放の現実の現実を文明社会に突きつけられた。・・・

 長い一文です。
11時45分、姫路駅前に戻りました。早くもここから姫路城がみえています。昼食を取り、姫路城へ向かいます。

姫路城

 姫路城の歴史(パンフレットから)
 
 1333年(元弘3年)赤松則村(円心)、護良親王の命により挙兵。京に兵をすすめる途中、姫山に砦(とりで)を築く。

 1346年(常和2年)赤松貞範、姫山に本格的な城を築く。

 1441年(嘉吉元年)山名持豊、播磨国を与えれれ姫路に入る。
 
 1467年(応仁元年)応仁の乱 赤松政則、姫路城を陥落し、領国を回復。 本丸、鶴見丸を築く。後に一族の小寺氏。その重臣の黒田氏が城をあずかる。

 1545年(天文14年)黒田重高が小寺氏の命により姫路城を任される。。

 1546年(天文15年)黒田考高(官兵衛) 姫路城で誕生。
 
 1580年(天正8年)羽柴(豊臣)秀吉が黒田考高(官兵衛)の勧めで入場。

 1581年(天正9年)秀吉、姫路城に三重天守を築く。

 1583年(天正11年)秀吉が大阪城へ移り、弟・羽柴秀長が入封。

 1600年(慶長5年)関ヶ原の戦の後、池田輝政が姫路城城主に。
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 1993年(平成5年)日本初の世界文化遺産に登録。

 2009年(平成21年)天主保存修理工事着工(平成の修理)

 2015年(平成27年)大天守保存修理工事終了。


 
 12時17分 姫路城遠望。         12時19分 遠望           12時51分 お城の全貌        
 
 
姫路城地図絵

 
12時38分 菱の門(ひしのもん)  見上げると 火灯窓(かとうまど)が見下ろしています。        39分 お城を見上げます。            
 
城内から見下ろしました。1)         2)          3)       内部の解説 1) 1階 六葉釘隠し       2) 5階 西大柱            
 天主閣を見上げます。 

 西の丸へ向かいました。 「西の丸」から天主閣を見上げます。1)          2)         


姫路城西御屋敷跡庭園 好古園(こうこえん)

 好古園へはお濠横を道を歩いて行きます。    好古園前の説明版です

 好古園の全体図です。

 園内の紅葉を並べます。
 
 1) 入場すぐです。         2) 見事な紅葉です。            3) 川の流れを。           4) 池の周囲の見事な紅葉A            

 5)池の周囲 B           6) 池の周囲 C         7) 池の周囲  D          8) 池の周囲 E                            
  
 9) 双樹庵 (茶室) 御屋敷の庭           10) 間近の紅葉A          11) B          12) C      
 
 13) 流れの広庭                     14)           15)          

 17) 築山池泉の庭        18)池周囲の紅葉A         19) B          20) C            

 21) 向こうに百陂L下が見えています。         

 

姫路城のお土産屋さんで、息子たちへのお土産(お酒)を購入し、JR姫路駅からは松井山手駅まで順調で、6時20分頃には帰還できました。