阿騎の道
(大宇陀への道)


東(ひむがし)の 野にがぎろひの 立つ見えて
          かへり見すれば 月かたぶきぬ
(巻1・48)
 「軽皇子、安騎の野に宿る時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌」と題する阿騎野行一連の歌の1首で、万葉集中屈指の有名歌です。
 下の写真をクリックして下さい。万葉歌の解説文です。



”阿騎の道”を『万葉の道』の書き出しから紹介したいと思います。
 
『万葉の風土記』(犬養孝氏)に、「飛鳥から宇陀の安騎野にむかふには、およそ四杜通りの道が考えられる。1つは音羽山塊をぢかに越えるものであり、1つは忍坂(おつさか)・栗原(おうばら)から半坂峠を越えるもの、1つは初瀬から吉隠(よなばり)・榛原を経て大宇陀に出るもの、1つは初瀬の谷の出雲から狛峠を越えるものである。」と記されている。
 大和の国中(くんなか)方面から宇陀の阿(安)騎へ行くには、山の高低差はあっても、いずれも峠を越えなければならない。右の引用文のコース記載の順序にしたがえば、大峠越え、半坂越え、西峠(住坂)越え、狛峠越え、の4つである。
 持統6年(692年)冬、と推定される軽皇子(かるのみこ)(後の文武天皇)1行の宇陀の阿騎野入りしたコースは、そのとき追従した柿本人麻呂の詠んだ歌(巻1・45番歌)によって、犬養孝氏は狛峠越えの道を想定している。しかしこれらのコースの中でももっとも古い道は、桜井から忍坂を経て栗原の谷をつめ、ここから半坂峠を越えて宇陀に入る山路ではなかったろうか。『万葉の風土記』も「この道は往時から近鉄大阪線が通じるに至るまで、吉野・熊野・伊勢方面と大和平野部とをつなぐ重要路線であって、神武伝説の男坂伝承地もこの半坂峠にもとめられている」と記している。かなり急峻な、きびしい山径ではあるけれど、むかしから国中と宇陀山間部を結ぶもっとも利用頻度の高かった道ではなかったかと思う。・・・・
 筆者の扇野聖史氏はこの栗原から半坂峠に至り、宇陀の阿騎へとの道を歩き、紹介していますが、今回小生は榛原からのほぼは平坦な道をとり、大宇陀の地を中心とする事となりました。


宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)・八咫烏神社(やたがらすじんじゃ)を経て、大宇陀へ
 10時過ぎに近鉄榛原駅に着き、早速歩き始めました。大和八木駅に乗り換え時におにぎり2コとお茶を買い求めていましたので、安心です。
 水分神社は水配りという農業にとって最も重要な事柄を司る神様で、各地にあります。特に、大和四水分神社は葛城、都祁(つげ)、吉野とこの宇太神社で、さらに宇太水分神社は上社、中社、下社があり、この地のものは下社のようです。
 1時間ほど、芳野川沿いの道を南下します。道の左手に
八咫烏神社を発見しました。
 この神様はあの神武天皇東征神話で、熊野から大和までの道案内をしたとされる3本足の八咫烏(武角身命・たけつぬみのみこと)で、705年(慶雲2年)天武天皇がこの地に祀ったとされています。
 ここから道を西向きにとり、丘陵地帯を抜けると、今度は宇陀川沿いの道に出ました。この道を南下すれば、大宇陀町はまもなくです。
 ところで、話は変わりますが、この地は今年1月1日に宇陀市となっていました。榛原町・大宇陀町・莵田野町・室生村が合併し宇陀市として誕生していました。



松山西口関門・春日神社・森野旧薬園へ
 大宇陀の町内は古い町並みを保存し、我々旅人に対しては親切に案内をしてくれる道しるべが各所にあり、くすりの故郷とはいえ、こころ休まる良きところの感を強く覚えました。
 松山西口関門は藩主・織田信雄(のぶかつ、信長の次男)の松山藩としての面影を今にのこす名残といえます。

 春日神社は1405年(応永12年)足利義満が宇陀郡を春日社に寄進され、それに伴って勧請された神社であるようです。
 国史跡・森野旧薬園は裏山一帯に今なお250種に及ぶ薬草を栽培管理しているもので、享保14年、創設者森野藤助(賽郭翁・通貞)により開かれたとされています。
 山の急坂、山の上、谷間に薬草類がキチンと名前を明示されて栽培されており、桃岳庵とのお茶室も全体の佇まいを優雅にしています。



かぎろひの丘・人麻呂公園へ
 大宇陀の中心地に入り、大願寺を覗いてみました。大願寺は歴代城主織田信雄、高長、長頼、信武らに厚く信仰されたお寺のようです。道を北にとり、坂を上がり、かげろひの丘・万葉公園へむかいました。ここにあの有名な、”ひむがしの野・・・”の万葉碑があり、ここから大宇陀の町を越えた東の山並をのぞんでみました。公園の芝生では、近くの若い人がゴルフのアプローチの練習をしていましたが、その屋根付きの休憩所で、おむすびの昼食を取る事としました。
 この後、”阿紀神社”へも向かいたかったのですが、暑さでの疲れが心配となりましたので、”人麻呂公園”の人麻呂像と対面し、バスで帰路につくこととしました。
 次回は、あの歌の季節である、冬に訪れたいものと思っています。