壺阪から柏森(かやのもり)
高取城址を訪ねる。吉野への道寄り道
年も押し詰まり、29日です。役所が昨日御用納めとなったため、今日からは休みが取れました。Nさんの都合も良かったため、今年最後の”万葉の旅”に出かけることとなりました。今回は”飛鳥から吉野へ道”に少し外れますが、紅葉の良い時期訪れたいと思って実現しなかった”壺阪寺”から”高取城址”を”明日香・栢森”へも道を訪ねることとしました。今回歩いたマップです。


壺阪寺へ
 近鉄壺阪山駅からはタクシーです。この時期バスは1日1本でタクシーを利用するより他はありません。タクシー代は約千円でバス代と大きく開く物では無くひと安心です。。2、3日前に雪が降っていましたので、運転士さんに高取山から明日香への道の状態を聞いた所、雪の後に高取山までのお客を送ったが、大丈夫だったとの話を聞くことが出来ました。
 
壺阪寺は西国観音霊場巡り6番めの札所です。大宝3年(703年)都が藤原京から平城京へ遷る7年前、奈良元興寺の僧弁基により創建されました。本尊の十一面観世音菩薩は眼病に霊験あらたかといわれています。「日本霊異記」に、この観音信仰によって目が見えるようになったとの説話があり、これに基ずいて浄瑠璃「壺阪霊験記」が創作されました。
 お寺は初詣の準備に追われています。訪れる人の少ない境内、本堂を巡り、ゆっくりご本尊をお参りすることができました。
壺阪寺の開創”弁基”は勅により還俗し、春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)の姓名と大壱という位を賜ったようです。この人の歌は万葉集にも数首残されているようです。
河上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は
(巻1・56)
焼津辺に 我が行きしかば 駿河なる 阿倍の市道に 逢ひし児らはも(巻3・284)



清水谷から高取山へ
 壺阪寺から一旦道を下り、清水谷へ入りました。高取山へは別の道があったようですが、土地不案内の我々(小生の勉強不足の故です。)はこの道をとおり、高取城址へむかいました。途中、「壺阪霊験記」の「お里沢市の墓」、城下町らしい佇まいの屋敷をたずねながら、高取山への急坂を登りました。


高取城址へ
 登りの道を息切れを起こしながら、”長円寺”・”宗泉寺”などを巡り、約90分、ようやく城址入口に近い”猿石”にたどり着きました。帰りの栢森への道の分岐点です。
 
展望台では素晴らしい景観を望み、吹き上げる冷たい風に震えながら昼食のおにぎりを食し、さらに城址へと登りました。道の両側には雪が残っています。
 高取城址は考えていたよりずっと規模が大きく、この山頂になぜ?と疑問を抱かざると得ません。城の歴史は南北朝時代、吉野へ通ずる拠点として築かれ、吉野を守り足利勢と戦い、豊臣秀長が郡山城に入ると、南の砦として堅固に改造されたといわれています。


猿石から栢森へ
 猿石で道を左にとり、栢森への道をたどります。山登りとは違い、大変快適な下り道が続きますが、登りで痛めつけられた膝の危険信号を聞いたのは小生ばかりではなかく、Nさんは枯れ木を杖代わりに使っての下山となりました。
 でも、無事に近鉄岡寺駅までは歩き通す事が出来ました。よかった!!
 
かえりの道で飛鳥川を挟んで向こうに見える稲淵の棚田の景色は忘れ難いものでした。