山辺の道・北 天理から奈良への道 背景は奈良公園の桜です。 |
久しぶりに旅に出ることが出来ました。”山辺の道”は石上神宮から桜井までの南半分がメインで、奈良までの北を歩く人は稀です。でも、そこへ行くのが我々です。いつものNさんとの旅です。以下、万葉の道からの引用です。 古代大和には多くの古道があるが、中でも「山辺の道」は、自薦地形にそって出来た典型的な自然古道である。 もともと古い集落は、山の辺の山野に発達する性質を有していたから、こんにち「山辺の道」と呼ばれる奈良市から桜井市までのおよそ35キロの区間を走る奈良盆地東方の山裾の古道は、古代豪族が割拠していたいくつかのエリアを縫っていた。・・・・ 北から春日・大宅(おおやけ)・和珥(わに)・柿本らの豪族が古道周辺に蟠踞し、終着点石上神宮付近には物部氏が勢力を張っていた。日本ではこうした地形のところこそ、もっとも栄えていたのでである。春日・竜王山系の東山連峰山麓の高みであった。 今回は石上神宮から北上することとします。 |
石上神宮 近鉄天理駅には9時45分頃に到着、出発点である石上神宮(いそのかみじんぐう)へ向います。神宮には何回も訪れていますが、その佇まいは本当に”神さぶる地”を印象づけます。 古(いにしえ)も かく聞きつつか 偲(しの)ひけむ この古(布留)川の 清き瀬の音(巻7・1111) 石上 布留の高橋 高々に 妹が待つらむ 夜そふけにける(12・2997) 神宮うらの、昼なお暗い木立の中を歩き、今は歌の面影も失われた小さな布留川を渡り、白川溜池へ向いました。 |
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白川溜池から弘仁寺(こうにんじ) 山道を歩き、名阪国道をくぐります。さらに道を登ると巨大なダム湖が出現しました。これが今は白川ダムと言われる白川溜池です。(白川ダムは白川溜池を4.5m嵩上げして出来たダムのようです。)周辺は綺麗に整備され、公園化されています。 弘仁寺は弘仁5年(814)嵯峨天皇の勅願で弘法大師が創建したと伝えられています。海抜180mの高台に寺堂が立ち並んでいます。 丁度さくらが見どころです。 白川ダムをクリックすると弘仁寺の境内です。 |
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正歴寺へ 50分ほど道をのぼり、渓谷にすっぽりと埋もれるような佇まいの正暦寺へ着きました。時間は既に12時40分、お寺の前の川のほとりで御握りの昼食を取りました。久しぶりの歩きで2人とも少々お疲れ? 疲れを癒される正暦寺の仏さまとお庭でした。福寿院客殿(重文・白鳳時代)の畳のうえで珍しい”孔雀明王像”(鎌倉時代)を拝む事が出来ました。参拝者は我々ともう1組でゆっくり出来ましたが、秋の紅葉の時期はきっと大変な人になると思われる周辺の木々とお庭の佇まいでした。お庭をクリックすると孔雀明王像です。孔雀は毒蛇の天敵であることから孔雀を使って毒物・災害から人々を守護する仏さまとして信仰されてきています。像長1メートルほどですが、気品あふれる仏さまです。 |
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円照寺へ 山道をくだり、舗装道路を歩き下ること左側に竜王池が現われました。案内ではこの辺りの神社道を右に入るとされていたようですが、うっからい通り過ぎそうになりました。 円照寺は別名山村御殿とよばれています。法華寺・中宮寺とともに大和三門跡寺院で、後水尾天皇(108代)の皇女梅宮の開山によるものとのこと。現在は拝観は出来ないということで、門前から拝ませてもらいました。気品ある静寂と感じ入りました。竜王池をクリックするとその姿が現われます。 あしひきの 山ゆきしかば やま人のわれに得しめし 山つとぞこれ (巻20−4293) あしひきの 山に行きけむ山人(やまびと)の 心もしらず 山人や誰 (巻20−4294) |
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白毫寺へ この道は思いのほかハードなものでした。円照寺から白毫寺山門まで、約1時間半の道程。途中、かっての山辺の道の名残と思われるような道無き道をも歩き、やっとの思いで白毫寺の石段へ。途中には崇道天皇八嶋陵があります。(崇道天皇とは光仁天皇の皇子の早良親王を追号したものです。天応元年、781年皇太子の位につきますが、藤原種継暗殺事件の為、淡路島に配流される途中に絶食して命を絶った親王で、政争の犠牲者と考えられています。) 白毫寺は以前のページを覗いてください。ここではいま一度万葉歌2首と季節柄、五色椿と白木蓮(はくもくれん)を紹介します。 宮人の 袖付け衣 秋萩に にほい宜しき 高円の宮(巻20・4315) 大伴家持がひとり秋野を偲んで私感を述べた歌。 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに(巻2・231) 志貴皇子への挽歌(霊亀元年・715年9月に薨じた。) |
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奈良公園のさくらを鑑賞しながら近鉄奈良駅まで歩きました。電車に乗る前に今日の健闘をたたえビールにて乾杯、疲れを癒しました。今日の行程は15キロ以上あったかも知れません。ほんと疲れたベー!! |