大和三山登頂成功

 耳成山(みみなしやま)・天香具山(あまのかぐやま)・畝傍山(うねびやま)の三山は、大和三山として有名です。その姿は、持統天皇の歌「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山」から日本人であれば、子供の頃から何となくその姿を自分なりにまぶたのなかに隠していたもの、仕舞って在ったものではなしでしょうか?
 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立ち 海原は かまめ立つ立つ うまし国そ あしづ島 大和の国は (巻1・二)
 舒明天皇(じょめいてんのう)が香具山に登り国見をしたときの歌という題詞のついた有名な長歌です。
 舒明天皇は第34代で、日本初の女帝推古天皇の後、山背大兄皇子と皇位を争い、蘇我蝦夷(えみし)の後援で天皇となったようですが、蘇我氏との血縁の少ない天皇のようです。またその宮居は高市岡本宮と百済宮で飛鳥地域と考えられ、国見の方向は香具山から真南を望んだ事となります。これに対して、第41代持統天皇の宮居は藤原宮であるところから、宮居からは東もしくは東南の方向を仰いでいます。香具山からは反対の方向を望んでいる事となります。
 藤原宮からは、ほぼ真北に耳成山、東に天香具山、西に畝傍山の配置で位置によれば、ほぼ鼎立の様相となります。ここから、天智天皇の”香具山は 畝傍を愛(お)しと 耳成と 相争いき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしえ)も 然かにあれこそ うつせみも 嬬(つま)を争うらしき”の歌が生まれたのでしょうか?
miminasi1.jpg
早朝、八木駅から耳成山への道を歩きます。
ポイント後は畝傍山頂上から耳成山を望んでいます。
kaguyama1.jpg
藤原宮跡から天香具山を。
ポイント後は紀寺跡
からの形の良い香具山です。
unebi1.jpg
藤原宮跡から畝傍山を望みます。
ポイント後は山頂から二上山を遠望しています。(二上山のページへ)