五条 巨勢の道の終点近い五条を訪ねる。 |
巨勢の道は大和から紀伊の国へ通ずる道です。明日香へ4ではその出発点を紹介しました。今回はその終着に近い五条を訪ねました。暑いさなかの旅ですので、歩く距離も短めです。 |
今回は、JRで五条を訪ねることとしました。JR発行のパンフレットを勤め先の最寄駅である四條畷駅で入手する事が出来た為です。8時25分大住駅発、木津駅で大和路線快速に乗り換え、王寺駅で和歌山線に乗り換えました。五条駅へは10時過ぎの到着です。 梓弓(あずさゆみ) 末の腹野に 鳥狩(とがり)する 君が弓弦(ゆづる)の 絶えむと思へや (巻・11・2638) 五条市に須恵という地名があります。この地を万葉の末は腹野とする説があるようです。 この地は吉野川に沿った町ですが、和歌山県の橋本市に入ると紀ノ川へとその名称が変わるとのことでした。古い町並みをぬけ、栄山寺へ向います。途中の宇智川には宇智川磨崖碑(大般若経)があるとの案内があり、川へ降りましたが、見つけることができませんでした。町を抜け、吉野川沿いのみちを歩き、栄山寺につきました。 |
栄山寺 お寺の小冊子によりますと、創建は遠く養老3年(719年)藤原南家初代武智麿(鎌足の孫で不比等の子)の開創。吉野野清流を膝下に静かなたたずまいをみせています。境内には仲麻呂の孝心を伝え天平の香りを今に伝える国宝八角円堂(国宝)、書聖小野道風の名鐘(梵鐘・国宝)をはじめ多数の文化財を蔵しています。栄山寺行宮跡とは、南朝後村上、長慶、後亀山の行宮であったことからのようです。 山の上にあるとされる武智麿の墓をお参りしたいと思い、登り口を栄山寺の御坊に聞きその道の入口に行きましたが夏草が生い茂り、全く無理な状態なので諦めました。残念です。 |
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金剛寺へ 栄山寺橋を渡り金剛寺へ向います。途中、豊かに実りかけた稲穂の向こうに緑ゆたかな葛城山系の山々がみえます。 やはり、お寺の小冊子によりますと、金剛寺は800年まえ、平安朝の文化人、小松内大臣、平重盛の創建による古寺と伝えられているようです。江戸時代初期から、野原城主の畠山義春の菩提寺として復興、奈良朝の末期、宇智の大野に流されてきた光仁天皇の皇后、井上(いがみ)内親王とその子他戸(おさべ)親王の怨霊を祀る宮寺として、また江戸時代の末から明治時代にかけては、奈良唐招提寺の長老の隠居寺となっていたとのこと。 現在は”関西花の寺”として、春は牡丹をはじめとする花々、秋は菊がみごとなようです。今回は花のない、お客の少ない時期でしたが、梅ジュースと美味しい冷茶、さらに時間が止まるようなお話の御接待をいただき、思わず長時間を過ごすことになりました。お庭の写真を1葉。 |
このあと橋を渡り、新町という古い町並みを歩いた後、”たなか”という柿の葉すしの老舗の店先で美味しい柿の葉すしを食する事となりました。 |
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