背景は東大寺の鹿と紅葉です。 |
奈良のご案内 1 平成23年11月23日 入江泰吉 「万葉さんぽ」文 中西 進 秋立ちぬ 萩のふるさと 人皆は 萩を秋と云う 縦しわれは 尾花が末を 秋とは言わむ (巻10・2110) 藤原の 古りにし里の 秋萩は 咲て散りにき 君待ちかねて (巻10・2289) 三笠山 野辺行く道は こきだくも 繁り荒れたりか 久にあらなくに (志貴皇子の挽歌 巻2・232) 「万葉の道」奈良編 扇野 聖史 故郷の 明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らまく良しも(巻9・992) ちはやぶる 神の社し なかりせば 春日の野辺に 粟蒔かましを (巻3・404) 伝えられている興福寺、東大寺、春日大社の創建年代 興福寺 710年(和銅3年) 藤原不比等 厩坂寺を平城京左京三条七坊に移し、興福寺と号する。 春日大社 和銅3年(710) ・・・藤原不比等が、平城京鎮護の為に鹿島から彼らの祖神武甕槌命(たけみかづちのみこと)を勧請して、三笠山(現御蓋山)の西麓に祭祀したのがはじまりとする伝えは無視できないと思う。・・・(万葉の道) 東大寺 728年(神亀5年) 聖武天皇、亡き皇太子基親王の冥福を祈るため、現在の東福寺上院付近に山坊(金鐘寺の前身)を建てる。741年(天平13年)金鐘寺が大和国金光明寺となる。 興福寺・八部衆と十大弟子立像 734年(天平6)光明皇后が、母橘三千代の供養のために造らせた、西金堂の旧像で、脱活乾漆造。乾漆とは、土で造った原型に麻布を張り重ね、中の土を除いてから、表面に木屎(こくそ)という木粉の練り物を付けて細部を塑形する技法。阿修羅像の眉や瞼の柔らかな肉付けは木屎によるもので、これなくしては阿修羅の微妙な表情はあらわし得なかった。仏師は将軍万福。(以上、小学館「古寺を巡る・興福寺」 東大寺・本尊讃歌 廬遮那仏(るしゃなぶつ) 金堂(大仏殿)の本尊である(毘)廬遮那仏は、サンスクリット語(梵語)のVairocana(ヴァイローチャナ)の音写からきており、光明遍照を意味する。 (毘)廬遮那仏は「華厳経」や「梵網経」に説かれる仏で、「梵網経」では蓮華蔵世界の教主とされる。宇宙の真実の姿を照らし出す知恵と、存在するすべてのものに注がれる大きな慈悲をあらわす。この世界をあまねく照らす仏なのである。(以上、「古寺を巡る・東大寺」) 秋篠寺 寺伝にしたがえば、光仁・桓武天皇勅願、宝亀11年(780年)僧善殊大徳を開基とする。 ・・・この寺の本堂には有名な木造伝伎芸天立像(国重文)が片隅に、伏目がちにたたずんでいる。頭部と体部の材質・制作年代が異なるけれど、微妙な調和を保つ魅力的な塑像だ。・・・(「万葉の道」より) 平城京 ・・・天平13年(741年)から5年ほど恭邇・難波京などへ遷都した空白期間をもつが、元明天皇の和銅3年(710年)3月の平城遷都から、桓武天皇の延暦13年(794年) 11月の平安遷都まで8代84年の首都として繁栄した。 あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり (巻3・三二一) 奈良の京の繁栄を歌いあげた代表的な名歌である。詠者は太宰小弐小野老朝臣(だざいのしょうみおののおゆあそみ)・・・(「万葉の道」より) 法華寺(法華罪滅之寺) ・・東院跡のすぐ東に隣接して「法華寺」がある。正式名称は「法華滅罪之寺」とい后が皇后宮としたあと、天平17年(745年)5月「旧皇后宮為宮寺也」(続日本紀)とあるように宮寺にあらためられたのが法華寺のはじまりといわれる。 古の 古き堤は 年深み 池のなぎさに 水草生ひにけり (巻3・三七八) 題字に、山部宿禰赤人、故太政大臣藤原家の山池を詠む歌一首」とあって、故太政大臣藤原は不比等のこと、養老4年(720年)8月に薨じ、10月に太政大臣を追贈されているが、その不比等の家とは現法華寺の前身邸宅と考えていいだろう。・・・(「万葉の道」より) |
平成23年11月23日・24日の両日、秋の古都・奈良を歩きます。 23日 13時20分頃近鉄奈良駅前を出発し、東向商店街を歩き、猿沢池周辺を巡り、興福寺境内への階段を登ります。五重塔を眺めながら、興福寺国宝館へ(14時)。 国宝館では「阿修羅像」などの繊細さに感動し、巨大な「千手観音菩薩立像」に驚かされます。セット券を購入し、薬師如来などの東金堂(国宝)の仏様もお参りします。 30分ほどかけて多くの仏様を鑑賞した後(14時30分)、興福寺境内を抜け、春日大社大鳥居をくぐります。参道を外れて、「飛火野」へも入ってみます。社殿までは30分ほどの道のりです。(春日大社への道のりは結構長く、アップダウンもありますので、東大寺付近での散策も選ぶことができます。) 社殿をお参りした後、春日大社境内から、若草山山麓を歩き、30分ほどで、東大寺二月堂、そして、大仏殿には15時40分頃に到着。大仏を拝み、10月10日に開館した東大寺ミュージアム(三月堂の不空羂索観音)を見学し、16時30分南大門を抜け、駅前の三笠案内所へは16時50分到着予定となります。 17時、ホテルの送迎バスにのり、「奈良万葉 若草の宿 三笠」へ。 24日 9時40分のホテルのバスで、近鉄奈良駅へ。(荷物を奈良駅に預ける場合は、最終的に、解散地は近鉄奈良駅となります。) 近鉄奈良駅からは、「秋篠寺」までタクシーで行くのが良いかと思います。(「秋篠寺」から「新大宮」までは歩いていただくことになるからです。)「秋篠寺」には10時頃には着くことが出来ると思います。京都の古寺に見られるような苔に覆われた境内の中を歩き、「薬師如来」、「伎芸天」の待つ、本堂へ。 「秋篠寺」からは、歩いて30分、「平城宮跡」に入ると、朱色の堂宇と金色の「鴟尾(しび)」が目に入ってきます。 再建された「平城京大極殿」を見学し、20分ほど歩くと「法華寺」に着きます。こちらでもゆっくりと時間を取りたいと思います。そのため、時間によっては「海龍王寺」を割愛し、昼食場所「そば切り 川名」へ向かいます。お店には1時から1時半として、予約しています。奈良には珍しい、「10割そば」が売りのお店で、お酒も上物があるようです。男の隠れ家として、ネットでも紹介されています。 「新大宮」は奈良駅と西大寺駅の中間にありますので、14時半頃にお店をでれば、どちらにしても、15時には解散をすることができそうです。 23日、午後3時頃から弱い雨が予想されています。この場合、春日大社への参拝は中止にして、興福寺、東大寺、奈良公園などを散策するのも良いかもしれません。 興福寺については、北円堂内陣、三重塔初階の内部特別拝観が23日までです。 東大寺には大仏殿の左へ行くと、戒壇院があります。また、東は奈良公園です。 時間によっては、奈良町散策も可能です。 24日の天気予報は曇り後、晴れですので、予定通りの散策が可能と思われます。あくまで、希望的観測ですが。 |
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