寧楽の中心を散策します。
11月23日、24日の仲間との交流。
背景はなるほど寧楽だ!!と感じさせる紅葉と鹿の風景です。


 下見の旅 11月14日、16日
 高校時代からの仲間を奈良へ迎える為に、下見の旅にでました。14日、16日のことです。14日は、23日に本番の案内を考えている「興福寺」、「春日大社」、「東大寺」への主として時間設定を考える旅です。
 11時50分にJR奈良駅に着き、近鉄奈良駅へ行く途中、「9代開化天皇陵、春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかえのみささぎ)」(念仏寺古墳・前方後円墳・全長100M)に寄って見ます。昼食として自分の中でリストアップした近鉄奈良駅近くのお蕎麦屋さん「そば切り百夜月(ソバキリモモヨズキ)」のお蕎麦の味を確かめに行きました。お店は20人ほどで満員となる、こじんまりとしたお店で、10人ほどのお客さんが。その中の一人の女性はカメラを持ち、お酒を飲みながらお蕎麦をたぐるといったリポーター風。私は10割り蕎麦の大盛りをたぐり、十分に満足させていただきました。ただ、24日は23日水曜日が休日の為、振替えの休日となる模様?
 12時40分、近鉄奈良駅から東向通り商店街へ入ります。奈良への修学旅行の風情を感じてもらう為、猿沢池をめぐります。池の向こうには、興福寺への石段が、そしてその向こうに、五重塔が見えています
 五重塔、東金堂、   国宝館を確認し、奈良国立博物館横を通り、春日大社への参道へでます。少しだけ参道から飛火野へ入ってみます。 春日大社では丁度、七五三のお参り時期にあたっています。我が家でも2人の孫の七五三をしたばかりの為、思わず目が行ってしまいます。春日大社から若草山山麓を通り、  東大寺へ向かいます。途中、手向山八幡宮にお参り、東大寺三月堂(法華堂)から二月堂へ。二月堂の舞台から大仏殿を眺めます。山を下り、大仏殿や紅葉の木々を映す鏡池の撮影に成功し、東大寺ミュージアムには13時50分に到着しました。10月10日開館の東大寺ミュージアムは当然始めてであったため、ゆっくりと鑑賞させていただきました。(法華堂から一時移設されている「不空羂索観音」と日光、月光菩薩像が写るポスター)その後は、大仏殿を門外から拝見し、一応、近鉄奈良駅前には、15時10分には帰ってくることができました。国宝館を鑑賞し、春日大社にお参りし、東大寺大仏殿、東大寺ミュージアムを見学することを考えると、本番はぎりぎりの時間になることが心配されます。
 16日は、嫁さんと本番の24日の予定コースを歩きます。近鉄奈良駅から歩き、11時に「秋篠寺」南門前の「八所御霊神社(元・秋篠寺鎮守)」に着き、南門を入ります。  苔が一面に覆う土地に木々がに生い茂る道を歩き、秋篠寺に行き着きます。本堂前の境内には紅葉した楓の木が迎えてくれます。本堂内の「伎芸天像」を始めとした諸佛を拝み、平城京址の大極殿へ向かいます。途中、平城京址へは近道と考えた神功皇后陵の横を通る道を歩きます。結果としては、逆に遠い道となってしまいましたが、陵(狭城盾列池上陵[さきのたたなみのいけのへみささぎ])の正面を拝見することができました。
 大極殿前を歩き、  第二次大極殿址の後方に朱雀門を遠望し、   法華寺、   海龍王寺の門前を確認し、お目当てのお蕎麦屋さん「そば切り 川名」へ着いたのは、13時過ぎになっていました。ここでもふたりして、10割蕎麦の大盛りを頂戴し、十分に満足。そこで、24日の予約を聞いてもらい、この日の目的を果たすことができました。
手製、奈良紹介と案内のテキスト



東大寺境内。どの季節にも大仏殿は似合います。
 11月23日、13時20分、松本から2名、東京から2名、関西在住の2人が近鉄奈良駅前に集まりました。残念ながら、空からは少しだけ雨が落ち始めてしまいました。東向き商店街は相変わらずの人ごみです。猿沢池を巡りながら(14日)、もちろん、記念写真を撮ります。52段の石段をあがり、興福寺境内に。左手向こうの南円堂、正面は再建中の中金堂でテントに覆われいます、右手の五重塔、東金堂を眺めながら(14日)、国宝館へ向かいます。国宝館は丁度、団体客と一緒になってしまったようで、大変なヒトヒト。それでも、お目当ての、千手観音立像、八部衆、十大弟子などを時間を掛け、ゆっくりと堪能している間に、団体さんの人波は途切れてゆきます。
 ここで、興福寺について、小学館・「古寺を巡る 5 興福寺」から。
 「天平の文化空間」、復活
  
 興福寺は、2010年(平成22)、創建1300年を迎える。その年に向け、興福寺が創建された天平時代の伽藍復興をめざし、中金堂の再建を中心とする境内整備事業が進められている。 かって、興福寺には東金堂、中金堂、西金堂と3棟の金堂があり、その中心となるのが中金堂である。中金堂の創建は、寺伝では、710年(和銅3)着手、、714年完成、創健者は藤原不比等とされる。・・・・

 国宝館に安置された珠玉の仏像群。憂いを秘めた阿修羅像の姿に、心奪われる。
 表情豊かな八部衆と十大弟子

 興福寺は、たび重なる火災にもかかわらず、各時代の古像、名像の数々をいまに伝える。国宝館では、天平、鎌倉時代を代表する優れた仏像がそれぞれに写実の表現を競い、実に圧巻である。  まず、八部衆、十大弟子立像。734年(天平6)、光明皇后が、母橘三千代の供養のために造らせた、西金堂の旧像である。本尊釈迦三尊像は失われたものの、これらは奇跡的にたすかった。 西金堂の造営には、大量の漆と麻布ほかの材料が用意され、これらは乾漆の仏像にも使われたようだ。乾漆とは、土で造った原型に麻布を貼り重ね、中の土を除いてから、表面に木屎(こくそ)という木粉の練り物を付けて細部を塑形する技法である。阿修羅像の眉や瞼の柔らかな肉付けは木屎によるもので、これなくしては阿修羅像の微妙な表情はあらわし得なかったであろう。 仏師は将軍万福で、その非凡な才能はこれらの像に存分に発揮されている。とくに阿修羅像は万福が心血を注いだ傑作で、その清楚な立ち姿、一抹の哀しみをたたえた表情は、いまも多くの人の心をとらえて離さない。・・・・・
 阿修羅像(八部衆立像のうち) 脱活乾漆造 像高153.4cm  奈良時代 国宝  国宝館
 須弥山(しゅみせん)の北の海中に住む。修羅は戦いを意味し、もとは天界の帝釈天と戦う暴悪な鬼神。釈迦に導かれ、護法神となった。普通は忿怒(ふんぬ)相を示すが、この像は、無垢な少年のような表情が魅力。・・・・
 乾闥婆(けんだつば)像(八部衆立像のうち) 脱活乾漆造 像高148cm 奈良時代 国宝 国宝館
  八部衆は、釈迦如来に従う護法神。乾闥婆は、飛行しながら楽を奏する楽神である。獅子の兜を被り、瞑目する。・・・・
 龍燈鬼立像(りゅうとうきりゅうぞう) 木造 像高77.8cm 鎌倉時代 国宝 国宝館
 運慶の子、康弁の作。燈籠を肩に担ぐ天燈鬼立像と対をなす。・・・・
 東金堂と五重塔の間の道を通り、紅葉と山茶花を話題に、その景色を味わいながら、春日大社方面へ向かいます。道は、先日まで、正倉院展が開かれ賑わっていた奈良国立博物館横をぬけ、春日大社表参道へ続いています。神宮、大社などの砂利道を歩くと、自然に厳かな気分となっていくのが不思議です。不思議ではなく、神気に打たれているわけですから、不思議というのは失礼にあたるのでしょうか?
 
 二の鳥居をくぐり、伏鹿手水所で手、口を漱ぎ、南門から本宮へ。今回は、幣殿前での参拝ではなく、御本殿前まで入場しての参拝としました。中門前から御本殿の神々を参拝します。向かって右から、第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと) 第三殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 第四殿 比売神 がお祀りされています。御由緒書には以下のように記されています。
 
春日大社は、今からおよそ千三百年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命様を、神山御蓋山の山頂浮雲峰にお迎えし、やがて天平の文化華やかなる神護景雲二年(768)、十一月九日、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様をお招きし、併せお祀り申し上げたのが当社の始りです。・・・・
 ここで、武甕槌命は古事記では建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)と呼ばれており、別名、建雷命・建布都命・建豊布都命・鹿島命とも呼ばれています。伊邪那岐命の御子。天照大神に遣わされて、事代主を服従させ、建御名方神を破り、大国主神の国譲りを決定づけたように古事記には記されているようです。(古事記の建御雷神・事代主神の服従・建御名方神の服従・大国主神の国譲りの項)  経津主命は古事記には登場せず、日本書紀のみに登場します。別名、斎主神(いわいぬしのかみ)・伊波比主神・布都怒志神(出雲国風土記)。古事記では武甕槌命と同神としているようです。  天児屋根命は天岩戸に集まった神々の一柱。 比売神とは春日大社では、天児屋根命の妻(天美津玉照比売命)。八幡社では主神の比売大神(卑弥呼?)であり、宇佐神宮では宗像三神、また、天照大神としてお祀りしている神社も多くあります。
 春日大社の行事には、興福寺のお坊さん達の列席が恒例となっているとのお話しがあり、その親密さがうかがわれます。藤原不比等が子孫の繁栄を祈り神仏をここにお祀りしたと考えざるを得ません。
 
 「林檎の庭」の「林檎の木」の信州との因縁の話しを宮司さんからお聞きし、信州人であるメンバーは思わず納得。風宮神社の横を抜け、藤浪之屋で、暗闇を照らす萬燈籠を鑑賞します。  直会殿前を出口に向かう折に神木の大杉とご本殿を撮影しました。  神社の秋の気配も記念としてのこします
 珍しい春日大社本宮内の参拝に興味を引かれ、いつの間にか時が過ぎた為、若草山の麓を歩くことを諦め、坂を下り、東大寺大仏殿へ向かいます。
 途中、池、紅葉に染まる木々の間に見える大仏殿を眺め、   川の中で、餌を食べる鹿の姿に奈良ならではの感慨をおぼえます。
 大仏殿入り口で、大仏殿へ入場し、大仏様をお詣りするか、東大寺ミュージアムに移されている法華堂の「不空羂索観音と日光・月光菩薩」 (法華堂内の不空羂索観音、「入江泰吉のすべて」から)を拝むかの選択に迫られたメンバーは、不空羂索観音を選択し、東大寺ミュージアムへ向かいます。皆、お疲れの様子が窺えます。
 不空羂索観音、日光・月光菩薩を拝み、ビデオ影像で東大寺の昨今を知り、南大門をくぐり、ホテルへのバスが待つ、近鉄奈良駅前へ歩いて向かいます。
 東大寺横から、奈良奥山ドライブウェーに入る頃は、すっかり暗くなっていました。今夜のお宿は「奈良 万葉若草の宿三笠」。我々の到着前に団体のお客さんが入り、ロビー、喫茶場所は満員。でも、灯火が明るい奈良市内が見下ろせる場所で、チョット疲れた感じを癒す、お薄のご接待にあずかることが出来ました。
 ゆっくりと温泉につかり、お目当ての夕食は奈良盆地の夜景が一望のお食事処でのしゃぶしゃぶをメーンとするお料理。いつものように、食べ、飲み、話すことで、いつの間にか時が経っていました。部屋へ帰り、K氏が持参してくれた銘酒で、更に話が続きます。信州人です、もちろん、翌日にはなっていたのでしょう。



平城宮跡です。クリックすると平城京全域です。(奈良文化財研究所・平城宮ガイドから)
 朝は、9時20分の出発なっているため、余裕のある時間がとれました。朝風呂に入り朝食は前夜と同じ食事処。昨日の雨模様の天気とはガラット違う、朝日の当たる奈良平野が一望です。  バラィティーに富んだ朝食のメニューです。器の中には、のっぺい汁、鮭と野菜の陶板バター焼き、奈良ではの茶粥も隠されています。
 近鉄奈良駅までホテルの小型バスで送ってもらい、タクシーで「秋篠寺」へ向かいます。参道の両側の木々はびっしりと地に生えた苔に守られているような感じを強くします。   秋篠寺本堂(国宝)   その前庭の秋の風景です
 秋篠寺本堂内の諸仏、本尊薬師如来(薬師瑠璃光如来)、日光菩薩、月光菩薩、帝釈天、地蔵菩薩など重文の仏様はもちろん拝みますが、ここでの魅力はやはり「伎芸天像」 (「入江泰吉のすべて」から)となります。その姿態のふくよかさは極彩色であったであろう、かってのお姿に負けるものではありません。頭部は天平時代の乾漆作り、体部は鎌倉時代の寄木作り、衆生の吉祥と芸能を主宰し諸技諸芸の祈願を納受される仏様といわれています。
 秋篠寺から近鉄西大寺駅前を通り、歩いて平城宮跡へ向かいます。広大な平城宮跡内に入ると遠くに朱色の巨大な大極殿が見えてきます。上部「平城宮跡絵図」の佐伯門あたりからの撮影と思ってください。大極殿正面南口から大極殿院内に入ります。近ずくに従って、その巨大さに驚かされます。平成13年着工、平成22年に竣工なった第一次大極殿です。(高さ:約27m 東西の長さ:約44m 南北の長さ:約20m 木材:檜 欅(けやき) 屋根瓦 約10万枚)  殿内に置かれた「高御座(たかみくら)」は天皇が着座する玉座です。正面高欄から真南には「朱雀門」がありますが、その手前を近鉄電車が疾走しています
 大極殿院東口から真直ぐに「法華寺」を目指して歩きます。強風で吹き飛ばされそうです。
 「法華寺」正式には「光明宗 法華滅罪寺」(光明宗・総国分尼寺 法華寺門跡)(縁起では
「法華寺は、聖武天皇御願の日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后御願に成る日本総国分尼寺として創められた法華滅罪之寺であります。寺地は平城宮の東北に位し、藤原不比等公の邸宅だったのを、皇后が先帝ならびに孝妣(亡くなった母)のおんために改めて伽藍となし給うたもので、以来星霜千二百五十年、おん慈しみ深かった皇后の精神を伝え、道心堅固に護られてきた女人道場「法華寺御所」であります。」とされています。この10月31日、前第45代法華寺門跡 久我高照尼公さまが91歳で亡くなられたばかりです。高照尼には以前訪れた折に、堂内で作務をされているお姿を拝見したことがあります。
 本堂内で光背に大変特徴があり、光明皇后を写したとされるご本尊「十一面観音立像」 (左は不退寺、右は海龍王寺の御本尊です)の御分身を拝みながら、テープではありますが、丁寧な説明をお聞きしました。その後、「国史跡 名勝 庭園」を鑑賞。  さらに、植物園のような「華樂園」に入ると、黄葉した銀杏の木々 そして  背の高い薄桃色の「皇帝ダリア」が迎えてくれました。
 「そば切り 川名」へは、予定どうりの時間に到着できました。お店では予約席を設けてくれています。外に二組ほどのお客さんがお蕎麦を楽しんでいます。我々は、恒例のようにお酒を頂戴することとし、「温燗」と「そばがき」、「白モツ煮」などで、次回の行く先などについての意見交換。締めはもちろん10割蕎麦が主体ですが、温かいおろし蕎麦なども。予定の3時前にはお開きとなり、すぐ近くの近鉄新大宮駅で解散となりました。またまた、楽しい旅が出来ました。皆さんに、感謝!!感謝!!!!!です。


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