日光へいってきました。
9月9日 10日 11日です。


背景は”吹割の滝”です。


 この3年ほど、夏休み明けのこの時期に会社規定による1週間の休みを取り、嫁さんと旅行に出ることとしています。今回もそのようにしようと、阪急トラピックスさんへパソコンで2泊3日の山口県を中心とした中国路への旅を申し込んだのですが、参加者不足によりキャンセルされたことから、急遽”鬼怒川・日光・草津と名湯めぐり”への旅に変更しこの旅が実現しました。小生は10年以上、嫁さんも何年かは東京に住んだことはあるのですが、日光へはもちろん、鬼怒川温泉、草津温泉にはに行ったことがないということで、本当に楽しみでした。
 トラピックスさんの企画、添乗員さんの心使い、名鉄パスさんのガイドさん、運転手さん、ホテルの待遇、共に参加のお仲間、草津の温泉そして3日間のお天気は、その期待に十分に応えていただいた旅となりました。感謝!感謝!です。特に、信州、松本育ちである私たちは何回も善光寺へは参拝しているのですが、今回始めて宿坊 常智院さんのご案内で参拝をさせて頂いたことで、沢山の新しい発見があり、嫁さんは亡き両親とご先祖様への供養をお願いすることができました。感謝!!感謝!!です。


9月9日 鬼怒川温泉へ
 鬼怒川温泉・日光・草津温泉への旅立ちです。天気予報では3日間は久しぶりに安定したお天気とのこと。9時5分京都駅発のこだまへ乗車します。前日に添乗員さんから電話で連絡があった車両へ乗車すると、もちろん大抵の同伴のかたがたは既に乗車していました。
 40分ほどで、バスに乗り換えるJR岐阜羽島駅に到着。この日のお仲間はバス2台、8十数名となりました。私どもは2号車です。なんと岡山からの参加者も少なからず!!JR岐阜羽島駅を出発してすぐに岐阜羽島インターから名神へ入り、一宮JCTで東名、小牧JTCで長野道に入ります。11時半ころ、このようなバスツアーにつきもののトイレ休憩を兼ねたお土産屋さんへ到着。飯田インターを降りたお菓子屋さんと漬物屋さんでした。初日のお昼は車内でのお弁当です。漬物屋さんを出てすぐに、前日に買い求めておいたお酒とともに、美味しく頂きました。

 松本育ちの嫁さんとわたしは何回もこの長野道を通っています。でも、木曽駒ケ岳をこんなに綺麗に見上げることが出来るのは本当に珍しいことです。千畳敷カールの平らな部分もくっきりと!!
 諏訪湖を右にちょっとだけ。塩尻・松本とパスは進んでゆきます。安曇野を通過するバスの中からのショットですから若干ピントのズレはありますが、偶然のアングルとしては良いでしょう?常念岳、後ろが大天井岳と思われます。
 更埴JCTからは上信越自動車道に入ります。時間は既に3時をまわりました。上田、小諸と進むと車窓左手に噴煙を揚げた浅間山が!!ホント雲がない!!!  
 北関東自動車道の伊勢崎インターで高速道を下り、鉱毒問題の足尾銅山で有名な渡良瀬渓谷沿いの道を北上し、一路日光、その奥座敷、今日のお宿、鬼怒川温泉”ものぐさの宿・花千郷”を目指します。到着は6時半、約600キロのバスの旅。既に日は落ちていました。多少の疲労も?まずは、温泉(アルカリ性単純温泉)へ。そして、楽しみな夕食です。嫁さんとビールで乾杯。盛り沢山で美味しいお料理に思わず、さらに、お酒を2本も飲んでしまいました。


9月10日 旅の二日目 日光を中心とした観光の日です。
 温泉へ泊まるとは必ず5時まえには眼が覚めます。そして、朝風呂へ入りに温泉へ。既にお一人が入っていました。朝は5時からの開場とのことですので、大抵わたしが一番ですが、上には上があるものです。脱帽です。そして、5時半過ぎ、恒例の嫁さんとの朝の散策に出かけます。その前に、川沿いに立つホテルの窓からの景色をカメラに収めました。
 宿泊ホテルの前景  くろがね橋の鬼怒子ちゃん  ふれあい橋の鬼怒太くん など鬼怒川両岸の風景を写真に収めました。鬼怒川温泉の風景は下の写真から!


日光の中心 輪王寺 東照宮 二荒山神社へ
 日光の登録世界遺産の範囲は『 二社一寺(二荒山神社、東照宮、輪王寺)及びこれらの建造物群をとりまく遺跡からなり、その中には国宝9棟、重要文化財94棟の計103棟の建造物群が含まれる。』と日光市ホームページに記載されています。
 定刻8時にホテルを出発。お菓子屋さん、漬物屋さんでお土産を購入。9時前には輪王寺前で日光観光専門のガイドさんに紹介されました。これから2時間の見学です。
 輪王寺 
 まず、巨大な”金堂”と記載された額が掲げられた輪王寺三仏堂の内陣の日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)を拝みます。金色に輝く、高さ8.5メートルの巨大な仏様三体に圧倒されます

 重要文化財の三仏堂は平安時代に創建され、現在の建物は正保2年(1645年)徳川3代将軍の家光公によって建てかえられたようです。江戸時代、天海大僧正(慈眼大師/じげんだいし)が住職となり、山王一実神道(天台宗)の教えで「家康公」を東照大権現として日光山に迎えまつります。「輪王寺(りんのうじ)の称号が天皇家から勅許され、さらに慈眼大師・三代将軍家光公が新たにまつられ、「日光門主」と呼ばれる輪王寺宮法親王(皇族出身の僧侶)が住し宗門を管領することとなりました。法親王は14代を数え、幕末まで続いた。と輪王寺のページに記されています。
 この輪王寺は厄除けのご利益があらたかとの解説があり、お土産を兼ねて我が家・娘夫婦と美緒ちゃんの所、息子夫婦の所へお札を頂戴しました。下の三仏は輪王寺のページからお借りしました。クリックすると三仏堂が。
 


陽明門


東照宮
 輪王寺の左手の門をくぐるとそこは東照宮の参道です。日光東照宮ホームページによる由緒・社殿の解説は以下のように記されています。

 日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617年)徳川初代将軍家康公を御祭神におまつりした神社です。・・・家康公は、元和2年4月17日駿府城で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、1年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保2年(1645年)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。
 現在の社殿群は、そのほとんどがご鎮座から20年後の寛永13年(1636年)に建てかえられたものです。陽明門(国宝)など55棟、その費用は、56万8千両、銀百貫匁、米千石を要し、ご造営の総責任者には秋元但馬守泰朝(やすとも)、工事や大工の総責任者には大棟梁甲良豊後宗弘がわずか1年5ヶ月の工期で完成しました。・・・建物には、漆や極彩色がほどこされ、柱などには数多くの彫刻が飾られていますが、これらは単なるデザインではなく、信仰形態や学問・思想があらわされています。これらの社殿群は平成11年12月「世界文化遺産」に登録されました。
 以下東照宮を目指し、巡ります。その建物の無数で細微な彫刻・華美な色彩は確かにこれらを見てから始めて”けっこう”という言葉を言えるようになりました。感動しました!!!
 
 1) 輪王寺から東照宮への参道へ。正面に石鳥居(重文)その奥に表門(重文)が。

 2) 石鳥居をくぐると左手に五重塔(重文)があります。若狭の国小浜藩酒井氏の建造、再建


 3) 表門(重文)。左右の仁王像が安置されていることから仁王門とも。
 
 4) 表門の上部。東照宮の彫刻が始まりました。
  

 5) 表門を抜けると正面に極彩色鮮やかな三神庫(さんじんこ)(重文)に眼を奪われます。

 6) 不思議な象の彫刻「想像の象」(加納探幽下絵)に思わず笑いが。
   
 
 7) 華やかな三神庫の後ろに三猿の彫刻で有名な神厩舎(重文)が地味にひかえています。猿の一生を彫り込んだ中に三猿の彫刻が入っています。人間の一生を風刺し、猿が馬を守るという言い伝えを彫刻しているようです。   

 8) 正面に三猿を含め5景 そして 横に2景の彫刻があります。  

 9) 石の階段の上には陽明門(国宝)が。  

 10) 陽明門  その細部1  細部2  細部3  細部になればなるほど見事で不可思議な世界が。

 御本社(国宝)に入ります。床工事中の拝殿横から本殿正面へ。宮の方からお話を聞き、参拝します。眠り猫は入り口写真のみの見学となりました。

 さらに、本地堂(薬師堂)のみごとで巨大な龍の画のもとでの、鳴竜の声を聞かせていただきました。拍子木の音にみごとに反応し長くその鳴き声をあげています。


日光二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)
 東照宮を出るとすぐに二荒山神社への参道にでます。祭神は三つの山ノ神(大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命)を総称して二荒山大神と称し、主祭神としています。三つの山とは、男体山(二荒山、2486M)・女峯山(2464M)・太郎山(2368M)の三山で、神奈備としてふるくから信仰の対象となってきています。神護景雲元年(767年)下野国の僧勝道上人が二荒山(男体山)をの神を祀る祠を建てたのが始まりとされています。
 二荒山の名は諸説ありますが、観音菩薩が住むといわれる補陀洛山(ふだらくさん)が訛ったものといわれ、後の弘法大師がこの地を訪れた際に「二荒」を「にこう」と読み、「日光」の字を当てこの地の名前にしたといわれています。(以上、ウィキベディアに因ります。)因みに、大己貴命(おおなむちのみこと)は大国主命の別称。田心姫命(たきりびめのみこと・たごりひめのみこと)はアマテラスとスサノオの誓約(うけい)から生まれた宗像三女神の一人で、古事記では二人からアジスキタカヒコネとシタテルヒメが生まれたとされています。(以上やはりウィキベディアから) とにかく日本固有である山岳信仰の古いお宮さんです。


華厳の滝
 二荒山神社をでて昼食のための食堂へ向かう途中に三代将軍家光公を祀る大猷院(たいゆういん)の仁王門の前を通りました。時間は11時半。日光カステラを主としたお土産屋さんの磐梯日光店で”湯葉五膳”のお昼を頂戴しました。この日は我々の他は、修学旅行の生徒達と思われる団体が多く、それらの多くの客を一時に食べさせてくれる設備を整えていました。
 12時半、”華厳の滝”を目指して出発。いろは坂を登ります。30分ほどで、滝の上部に到着。すぐにエレベータで滝つぼの位置まで降ります。約100メートルの降下です。水煙が揚がる”華厳の滝”は見事なものです。
  ゆっくりと大きく流れ落ちる様を堪能したあと、さらに上部観覧台からの滝も観賞しました。  
 男体山の噴火で堰きとめられて出来た中禅寺湖からの流れが97メートルの落差で流れ落ち、大谷川(だいやがわ)となり、鬼怒川に合流します。3名瀑の一つで、他には那智の滝・袋田の滝(茨城県)があります。残念ながら袋田の滝は未経験ですが、”那智の滝”には2回ほど訪れています。高さでは那智の滝(133メートル)かなとおもいますが、水量と周りから流れ落ちる小さな滝との複合された風景は甲乙つけがたいものです。
  


 華厳の滝を堪能し、バスに乗車。中禅寺湖の右岸を走り、”吹割の滝”(天然記念物)をへて”草津温泉”に向かいます。中禅寺湖は綺麗な湖ですが、車窓見学でした。しかも、反対側の席でしたので、写真を撮ることが出来ません。明智平を走る車窓から男体山が望まれます。  金精峠で栃木県から群馬県に、日本ロマンチック街道を走り利根村へ、3時、吹割の滝に到着。東洋のナイアガラと称せられる滝に対する期待は以前にテレビで知った時からのものです。滝の少し上流から近ずきます。期待が膨らんできます。うーんと唸る光景が目の前に広がります。感激です!!!
 写真での迫力は現物の何分の一です。徐々に近づいていきます。
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草津温泉
 吹割の滝を堪能したあと、バスは沼田、中之条、長野原を通り、高原地帯へ上ります。リゾート施設やホテルが点々と見える高原を走ると、すぐに駐車場へ到着。硫黄の温泉の匂いが心地良く感じられます。ホテルの小さいバスに乗り換え、ほんの数分で「ホテルみゆき」さんに到着。温泉場はホント高原地帯の真ん中(標高1156M)に存在してました。夕食まで1時間以上の時間があり、草津名物の湯畑へ散策に出かけます。ホテルの下駄を借り、両側は飲食店が並ぶ温泉情緒たっぷりの坂道を下ると暮れなずんでライトアップされた湯畑に到着。その周りをゆっくりと1周。草津を訪れたとされる歴史上の人物名をなぞりながら、この情緒を記録に残したいとカメラのシャッターを押しました。湯畑の夜景です。 1)   2)   3)
   草津長寿庵さんはホテルの行きと帰りに温泉饅頭をご馳走になりました。翌朝はお饅頭を少しだけ買わせてもらいました。
 湯畑の近くに無料ですが小奇麗な草津の温泉場(白旗の湯など)がありましたが、ホテルに帰りすぐにお風呂に直行。少し熱めですが、ホントこれぞ温泉といった感じのねっとりしたお湯加減を満喫!!!
 3日目、朝5時、定例の朝湯です。今日の出発は8時50分ということで、朝、ゆっくりと時間か取れそうです。”西の河原(さいのかわら)と朝の”湯畑”をめざします。
 1) 西の河原です。   2) 逆光の方がイメージが湧きます。   3) 斉藤茂吉の歌碑を記念に。
  
 開場前の片岡鶴太郎美術館から朝の”湯畑”への道を取ります。 朝の”湯畑” 1)夜の風景とは雰囲気が違います。   2)湯畑です。   3)これが湯畑です。   
 朝食そして3回目の草津温泉へ入ります。ホント良い温泉です。


 白根山山頂湯釜、志賀高原から善光寺へ
 
 山頂へのロープウェーを眺めながらバスは白根山(2160M)を上ります。9時20分 山頂駐車場へ到着。湯釜への道は我々より早く着いた人たちの登り降りでごったがえしています。道の両側の高山植物を愛で、周囲の山々を写真に収めながら、湯釜見学地点に到着。エメラルドグリーンの湯釜とその周辺の火山特有の光景にやはり感動を覚えます。蔵王のお釜はより深いエメラルドグリーンでした。(一昨年の”東北への旅”を)

白根山の湯釜

蔵王のお釜
 最後の噴火は1989年の小噴火ということで、現在は休止状態と言われていますが、もちろん、何時噴火するかはお山しだい、「我々が登山中は休んでいてね」とお願いするばかりです。長径350メートル短径270メートル、蔵王のお釜より若干小さめかなと感じます。湯釜3景 1)   2)   3)あっぷで!   
 火山の有様を如実に表せている湯釜の反対側には、弓池があります。思わず心が和みます。  
 10時半、駐車場を出発し信州に向かいます。スキーのメッカ、横手山(2152M)から志賀高原を経て、中野市へ。ビアンテ信州中野で美味しいしゃぶしゃぶの昼食と買い物。善光寺へ向かいます。
 善光寺バス駐車場には12時半ころに到着。善光寺・大勧進・常智院さん(永代宿坊)のご案内で参拝します。大勧進本堂万善堂での講話での後、嫁さんは先祖と両親の供養のお願いをしました。パス出発時にはその旨のお札等を頂くことができました。小生は寸志でしたので、それなりでした。
 善光寺は、天台宗と浄土宗の別格本山となっています。(日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられています。)天台宗の大勧進と25院、浄土宗の大本願と14坊により運営されています。大勧進の住職は「御貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が歴代住職をつとめています。大本願はこの手の大寺院には珍しい尼寺で、門跡寺院ではありませんが、代々公家出身者から住職(大本願では「上人」という)を迎えています。現在は鷹司誓玉が121世法主となっています。(以上、ウィキペディアより)と言うことで、さらに本堂でのお話をお聞きし、自由散策の折、自分へのお土産として、八幡屋磯五朗店で善光寺七味唐辛子を買いもとめ、仁王門  山門  再度本堂を回りました。

山門


 帰りも順調で、20:01に岐阜羽島駅から新幹線で、20:37には京都駅へ到着。家には21:30分ころに無事帰着することが出来ました。おかげさまで、有意義な楽しい旅ができました。感謝!感謝!!!です。


作者近況9