東北地方 3日間の旅 |
背景は発荷峠からの十和田湖です。 |
1昨年と同じ時に1週間の休みが取れ、前回は道東4日間でしたが、今回は東北への旅としました。今年3月の九州の旅を挟んでいますが。小生は旅行、出張等で、何回かこの地方を訪ねていますが、嫁さんは福島県以東へは初めてとのことで、阪急トラピックスさんの”はじめての東北”を選び、3日、日曜日に出かけることとしました。松島、十和田湖、中尊寺、蔵王、山寺をめぐる3日間の旅です。 ツアー旅行では出発時間の指定が出来ません。朝4時半に家を出発、5時5分松井山手駅発の電車に乗り、梅田からはパスとしました。 仙台空港へは9時過ぎに到着、指定のバスに乗る段階で、今回の参加人数が45名とのことを知りました。添乗員さん2名を含めるとフルシートで、若干の心配がありましたが、旅なれた方々ばかりで、終ってみれば本当にスムースで、大変楽しい旅でした。 運転手さん、ガイドさん、添乗員さん、そして同行の皆様に感謝です。 |
松島へ 元禄3年3月27日(1689年5月16日) 行くはるや鳥啼(とりなき)うおの目は泪 と詠い江戸を出立した、芭蕉と曾良は5月9日に松島に着いたようです。その間あちこちで俳句の会がもたれていますが、伊丹出立から約2時間でこの松島へ着いてしまうとは、現代の旅のせわしなさを歎いてもはじまりません。東北は万葉ではなく、俳句が似合う旅と自分勝手に思い込み、「奥の細道」を引き合い出させてもらいました。五大堂からの松島です。 河出書房・日本文学全集 山本健吉訳 『奥の細道』 27 松島 その1 一体、言い古されたことだが、松島は日本第一の佳景で、決して洞庭・西湖に較べても劣ることはない。東南から海が湾入して、入江の中は三里四方、その中にあるあの浙江のような潮をたたえている。島々が無数に散らばり、そばだつものは天を指し、伏すものは波にちらばっている。あるいは二重・三重に重なり合って、左の島と離れているかと思えば、右の島に連なっている。小さな島を背負ったもの、抱いたものがあり、子や孫を愛撫しているようである。松の緑がこまやかで、枝葉は汐風(しおかぜ)吹きたわめられ、曲がった枝ぶりはおのずから矯めた格好をいている。その風情は物思いに沈んだようで、美人の粧(よそお)った顔のように美しい。神代の昔、大山祇(おおやまづみ)の仕業だろうか。造化の神の巧みへ、誰が画筆をふるい、詞をつくして表現する事ができようか。・・・・入江のほとりに帰って宿を求めると、窓を開いた二階家で、自然の風景の中に旅寝することが、言うに言われぬ霊妙な気持になってくるのだった。 松島や鶴に身を借れほとゝぎす 曾良 (古人は「千鳥も借るや鶴の毛衣」と言っているが、この松島の佳景では、時鳥も美しい鶴の身を借りて、島々の上を鳴き渡れ) まずは日本三景の1つ”松島”です。江戸時代の風情はもちろん望むべくもありません。また、掛け軸の画にある島々が連なる風景は鳥瞰図で、遊覧船で島々を巡りながら、想像をたくましくするのみでした。ただ、松を乗せた島々の変化の様は昔と変わりはないと思われます。 瑞巖寺へ 11日、瑞巖寺に詣。・・・・・・雲居禅師(うんごぜんじ)の徳化に依て、七堂甍改まりて、金壁荘厳光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。(瑞巖寺小詞から「奥の細道」) (以下も瑞巖寺小詞から)平安時代初め天長5年(828)慈覚大師円仁により開創さられ、天台宗延福寺と称した。・・・・・戦国時代末期には寺勢は衰え、妙心寺派に属した。 江戸時代初め、仙台62万石の祖となった伊達政宗公が、師傳虎哉禅師のすすめで現在の大伽藍を完成させた。・・・・・寛永13年(1636)、政宗公の遺言で来松した名僧雲居禅師(1582〜1659)の努力で、名実ともに奥羽に冠する名刹となり・・・・・ 伊達家の菩提寺として誰でも良く知るこのお寺ですが、その屏風絵の見事さには感心させられました。昭和60年から平成7年までの10年間、211面の修理が行われたようです。瑞巖寺境内の洞窟群前の石塔です。 |
十和田湖へ 2回ほどの休憩をはさみ、東北自動車道を北上、十和田湖との最初の出会いとなる発荷峠へ向かいます。 好天に恵まれ、発荷峠からの眺望は見事なものでした。八甲田の山々を背景にした十和田湖の静かな佇まいを十分に味わい、写真に残す事ができました。この日の宿泊は”十和田湖レイクビューホテル”で、まったくの湖畔沿いにあり、庭を流れる神田川の両国橋を渡ると秋田県から青森県に行く事が出来るという大変面白いロケーションにありました。 1回目の温泉、食事を済ませ、向かう先は”十和田國境祭(くにざかいまつり)”です。パスの中でガイドさんから説明されていたのですが、9月第1土、日には休屋の神田川が青森県と秋田県の県境となっていることから、青森ねぶた、秋田竿灯をはじめとする近県の郷土芸能が楽しめるお祭に遭遇する事が出来たのです。 本番に較べれば規模は小さいものですが、華やかな”ねぶた”の巨大さ、長く高い竿に沢山の提灯を附けそれを見事に操る職人芸に感激していましたが、最も感動したのは、”盛岡さんさ踊り”です。笛、太鼓と独特の節回しのお囃子、かけ声そして囃子手が皆でダイナミックに踊りまわる様は何時間見ていても飽きるものではありません。特に、小さい子どもの踊り手の所作には可愛らしさが溢れています。8月に行われる各お祭の人気の一端を味わう事ができ、大変なお得な旅となりました。。 翌朝は、まずは朝の温泉、それから両国橋を渡り湖岸を30分ほどかけ、”乙女の像”へご挨拶に出かけることが出来ました。 |
十和田湖遊覧と奥入瀬渓谷散策へ ”神秘の湖十和田湖”を観光船で、休屋から子の口へ中山半島、御倉半島の湖岸の景色と湖面の奥深い神秘的なブルーを堪能しながら、小1時間かけて奥入瀬渓谷の入口”子の口”に着きました。 奥入瀬散策はほとんどがバスの車窓からですが、往復であることと、”九段の滝”から”銚子大滝”までのホントの散策で、十分とは言えませんが満足する事が出来ました。”阿修羅の流れ”です。 |
中尊寺へ 昨日通った東北自動車道を南へ移動します。途中で、比内地鶏の親子丼を自分で作って食べるという珍しい昼食を楽しみながら、中尊寺へ向かいました。 夏草や兵(つはもの)どもがゆめの跡 5月13日、平泉での作。『猿蓑』には、「奥州高館にて」と詞書があります。高館は義経の館で、義経主従は藤原泰衡の大軍に攻められて、全員討死した。その古戦場の跡に立った回顧の詠です。 五月雨(さみだれ)のふり残してや光堂(ひかりどう) 5月13日、平泉中尊寺に詣でての作。藤原三代(清衡・基衡・秀衝)のミイラを納めた光堂は、四面を囲んで鞘堂をこしらえ、甍を覆って風雪を凌いできた。芭蕉は詩人としての特権で、存在する鞘堂を消し去ってしまい、また曾良の「随行日記」によればこの日は「天気朗」なのだが、五月雨を勝手に降らせて、雨と鞘堂との関係を直接的のものにする。降りくらす五月雨の暗鬱さと、光彩燦然たる光堂とが1つの対照となしている。五月雨がここばかりは降り残したのかと、感嘆の声を発したのです。(以上はやはり日本文学全集からです。) 義経主従が討死したといわれている高舘跡の高台を望みながら中尊寺への道を登ります。中尊寺は天台宗東北大本山で慈覚大師を開山(開基850年)といわれています。(以下は中尊寺小詞によります。)(国宝)金色堂は天治元年(1124)の造立で、中尊寺創建当初の唯一の遺構です。皆金色の阿弥陀堂は、荘厳の限りが尽くされ、まさに極楽浄土を現世にあらわしています。ご本尊は阿弥陀如来。その前に観音菩薩、勢至菩薩、左右に3体ずつの六地蔵、最前列には持国天と増長天が仏界を守護しています。仏壇(須彌壇)・4本の巻柱・長押(なげし)は螺鈿細工・蒔絵の粋を施されています。・・・・・・中央の須彌壇の中に初代藤原清衡公、向かって左の壇に2代基衡公、右に3代秀衡公の御遺体と泰衡公の首級が納められています。 鉄筋コンクリートの覆堂の中にさらにガラスのケース納められた金色堂は見事すぎて、模型細工を見るような錯覚さえ覚えます。芭蕉の時代を想像すると、外に残されている昔の鞘堂(覆堂)の中の金色堂に親しみを感ずるのは小生だけでしょうか。 |
蔵王温泉へ バスは暗くなりかけた急坂をあえぎながら登っていきます。そして、スッカリ暗くなった時刻(6時半ころ)に蔵王温泉のこの日のホテルに到着しました。まずは1つ目のお風呂、食事時にはビールと”はつまご”という甘口のお酒を賞味し、源泉の2つ目の温泉を味わいました。 翌朝、沸かし風呂で髭をあたり、さらに源泉風呂につかり、恒例の朝の散歩に出かけました。前夜は気が付かなかったのですが、町一帯がスキー場でした。パスの皆で行く事になっている評判の”大露天風呂”の下見をしようと急坂を登りました。急流の川の流れの横に岩に囲まれた大露天風呂が望まれました。 朝食後にホテルのバスでこの急坂をのぼり、実際に露天風呂に浸かることが出来ました。ホント気持ちよかった!! |
蔵王・お釜へ 露天風呂へ浸かっていた為、9時45分の出発となりました。雲もしくは霧に邪魔されずにお釜を覗けるは30%程度と言われ、雲の流れを心配しながら山頂近くの”お釜”を目指します。駐車場からは走るように”お釜”が望める場所へ。見えた!!!お釜のような形状の底に神秘的なエメラルドグリーンの水の色です。感動です!!!この見事な景観は十分に写真に収める事ができました。 1)山容とお釜 2)お釜全景 3)望遠でお釜の底を覗きます。 |
山寺へ 天童市の将棋会館(天童タワー)でそば定食の昼食を食した後、パスは山寺へ向かいます。 芭蕉一行が立石寺に着いたのは旧暦5月27日、いまの暦では7月の中旬となります。(境内の芭蕉像と曾良像です。) 立石寺 山形領に立石寺(りゅうしゃくじ)という山寺がある。慈覚大師の開基で、ことに清らかで閑かな地である。・・・・崖を巡り、岩の上を這って、仏殿に詣ったが、すばらしい景色がひっそりと静まり返って、何時か心が清んでいくような気持であった。 閑さや岩にしみいる蝉の声 (ひっそりとして、閑かな山寺。一山の岩にしみ入るように、蝉の声が澄み透ってきこえる)午後2時に立石寺に到着。すぐに奥の院までの千段を越すと言われる階段のぼりに挑戦です。奥の院までの間に”五大堂”の舞台からの景観を十分味わっていたため、奥の院へも道も帰りもさほどの苦しさもなく、下山する事が出来ました。 五大堂はもちろん、五大堂付近から景観は見事の一語につきます。下山後はこんにゃく団子をつまみにビールで乾杯。美味い!! 仙台空港へは5時過ぎに無事到着。ゆっくりと”牛たん定食”を味わい、7時の便に機上し、8時20分定刻に伊丹空港へ着きました。 |
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