秋の北陸、金沢・福井へ 「兼六園」・「金沢城跡」・「永平寺」 で秋も味わいました。 越前海岸でカニカニパーティ 2015年11月10日・11日 |
背景は兼六園の紅葉です。 |
![]() 霞ヶ丘内の「徽軫(ことじ)灯籠」です。 |
2015年11月10日 福井、金沢、富山への旅は「特急雷鳥号」での旅でした。「雷鳥」は1964年に開業し、永い間その名称のゆえに大変親しまれていました。1974年に湖西線の開通とともに、米原経由から湖西線経由に変わり、1997年からは徐々に「サンダーバード」に変わり、2010年にはすべてが「サンダーバード」に改名がなされました。今年の「北陸新幹線」の開業とともに路線は金沢までとなり、そのまま富山へは行けなくなりました。「雷鳥」からの改名はそんな昔から考えられていたのでしょうか? そして、先日、旧雷鳥型の車両が全面的に新型特急車両に代わったニュースを見ました。 京都発は9時09分、少々時間があったため、0番ホームを歩きます。0番ホームは特殊な形をしています。このホームの大阪寄りには、30番から34番までのホームが追加されており、「嵯峨野線」、「山陰線」そして「関西空港線」電車が発着しています。 11時過ぎに、金沢駅に到着、東京、松本からの仲間を待ちます。11時40分、仲間6人が無事に新幹線ホームから改札出口にでてきました。新幹線の快適な旅を楽しんだ面持です。これで無事メンバー8人が揃いました。 金沢駅駅構内は案の定、大変な人です。8人での昼食の席は、幸いに、「山さん」というおでん屋さんで見つけることができました。何時ものように、食事というよりは完全な飲み会の場と化しましたが。 13時9分、駅前広場に出ます。 北陸新幹線の開業にあたり、PRポスターに登場している組み上げられた鳥居のような門を見上げます。 13時15分、2台のタクシーに分乗して、「金沢城」へ向かいます。「黒門口」から入城します。 「金沢城公園・兼六園」の全体図です。 金沢城の沿革をウィキペディアによると 天文15年(1546年)、尾山御坊(金沢御堂)が建立され本願寺の拠点となります。 天正8年(1580年)、佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし「金沢城」に改名。 天正11年(1583年)、前田利家が入城し、尾山城と改名。 明治8年(1875年)陸軍歩兵第七連隊が金沢城跡に置かれた。 昭和24年((1949年)戦後新設された金沢大学(丸の内キャンパス)としてつかわれる。 平成7年(1995年)金沢大学が移出。平成8年、金沢城跡公園としての整備が始まりました。 「黒門口」から入場すると大きな緑の広場「新丸広場」が見渡せます。 広場を歩き進むと「にらみ櫓台」・「河北門」が見えてきます。 「河北門」への坂道を登ります。 坂の途中には見事に色付いた紅葉が。 紅葉をアップで 右手広場を見下ろします。 「三の丸広場」から「菱櫓」・「五十間長屋」・「橋詰門」を眺めます。流石に100万石の威風を示しています。 「兼六園」へ向かうため「石川門」を出ます。 いまは半分が道路になっている「百闌@」 「百闌@」の案内 13時50分、「兼六園」へ入場します。 入場すぐにある見事な紅葉。 園内はひとひとひと。 「霞ヶ池」を中心とした写真集、どのアングルも被写体の方が勝っているようです。 A) [唐崎松」方向 冬の準備とススキ B) 徽軫灯籠(ことじとうろう)が主役です。 C)向こう岸に「内橋亭」が D)雪吊りが主役。 E)池の向こう岸は「蓬莱島」 不思議な巨木「根上松」 「根上松」をアップで 苔、木々、そして もみじ 「曲水」小川の流れ 「小立野口」向かっての道々 ここでも見事な色彩を 左手の紅葉を眺めていると、右手に「石川県立伝統産業工芸館」が現れました。 兼六園の半分ほどを観賞しました。 「石川県立伝統産業工芸館」を覗いてみました。さすが!!!!!ここも100万石!!! 多くの伝統工芸が綺羅星の如し、九谷焼、加賀友禅、輪島塗、山中漆器、金沢仏壇、金沢箔、・・・などなど。 その一例として 「九谷焼」 素焼き・骨描き 上絵・完成品 素焼きから完成まで 「古九谷鶯花鳥」 「古九谷 吉田屋似竹に双鳥」 「古九谷 赤絵」 「周辺地図1」 「周辺地図2」 「成巽閣(せいそんかく) 旧巽御殿」 「石川県立能楽堂」 「金沢神社」前田家の祖先と考えられている?菅原道真を祀っています。 「北山堂」で金沢でのお土産を手当て、となりの喫茶店でしばらくの休息(歳の為)、金沢一番の繁華街「片町商店街」を歩き、タクシーで「長町武家屋敷跡」を車内観光、金沢駅に戻りました。 金沢駅からは 16:48「しらさぎ14号」で約1時間、武生駅に到着、ジャンボタクシーで「まるいち玉川荘」へは18時30分になっていました。 夕べの宴は、もちろん、 カニカニカニ、 海の幸を存分にいただき、 もちろんカラオケも。 |
![]() 永平寺入口の正面にある勅使門(唐門) |
2015年11月11日 6時30分、宿の外を散歩、「まるいち玉川荘」は現在は国民宿舎ではなく、民宿となっています。建物の外観は立派です。そして温泉施設もただの民宿ではなく、立派なものでした。 「玉川荘」は海から山の谷間を登った地点に建っています。 6時29分 6時39分 の眺め。 8時前に、玉川荘を出発、武生駅8時50分の「サンダーバード1号」で福井駅へ、10分の乗車で福井駅に。 福井駅からはやはりジャンボタクシーで「永平寺」へ。9時30分には到着。途中、中部縦貫自動車道を走ります。現在は福井北ICから松岡ICが出来上がっていますが、完成すれば「東海北陸自動車道 白鳥IC」へ接続する計画のようです。 吉祥山永平寺 横浜市にある「総持寺」と並ぶ曹洞宗の大本山です。開山は道元、御本尊は「釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来」の3世仏です。 「永平寺全景酢図」 参道を左に、石段を登り、 9時50分、通用門から入ります。 「傘松閣(さんしょうかく)」前の前庭のイチョウを履きあつめています。 吉祥閣入口から伽藍に入場します。 「傘松閣」の絵天井 「山門」と「仏殿」の間にある「中雀門」前のお庭 お庭の紅葉1 お庭の紅葉2 「丞陽門(じょうようもん)」 「承陽殿」内部 「承陽殿」とは 「法堂(はっとう)」前 「法堂」 「法堂」内 「法堂」前からの境内 「中雀門」前のお庭を反対の回廊から 「書庫」方面を見上げます。 「山門」背後を1 「山門」背後を2 「詞堂殿」回廊から1 「詞堂殿」回廊から「報恩搭」を2 |
作者近況の欄です9. |