明日香の旅2
(談山神社から明日香へ)

多武峰談山神社
 不動滝から歩き始めます。今日もNさんとの旅です。不動滝の岩から湧き出す水量に感心し、割不動、湯川秀樹氏万葉碑を確認、急坂を登り始めます。
 
屋形橋を渡ると、見事な杉の森を歩くことが出来ます。道は更に急坂となり、一休みしたいなと感じた頃に談山神社へたどり着きます。談山神社は歴史的には鎌足の長子、定慧が攝津國阿威山にあった父の墓を移して十三重塔を建立、堂宇を整えて妙楽寺を興したのが始まりといわれています。
   ふさ手折り 多武(たむ)の山霧 繁みかも 
           細川の瀬に 波の騒ける 
(巻9・一七〇四)
 談山神社を出て、道を左にとり、やはり急坂を登りつめると、飛鳥を一望する峠に着きます。水音激しい不動滝です。クリックすると峠から飛鳥を望めます。

橘寺(たちばなでら)
 山道を下るとすぐに石舞台古墳です。周囲は整備され、公園となっており、急に人ごみにまみえるようになりました。丁度お昼です。古代米・黒米を食することが出来ました。
 橘寺は聖徳太子創建7カ寺のひとつに数えられ、太子誕生の地とする寺伝を残しています。
   橘の 島の宮には 飽かねかも
       佐田の岡辺に 侍宿(とのい)しに行く
 (巻2・一七九)
 草壁皇子(天武・持統天皇の皇子)の殯宮(あらぎのみや、もがりのみや)のときに、舎人たちが悲しんで詠んだ歌の1首。
   島の宮 匂(まがり)の池の 放ち鳥
        人目に恋ひて 池に潜(かづ)かず
 (巻2・一七〇)
 人麻呂が草壁皇子にささげた挽歌。死者の追善の為に放した鳥が、皇子を慕って逃げようとも、水に潜ろうともしない。という深い悲しみを歌っています。
 実りの秋の橘寺です。背景にも使用しています。クリックするとコスモス咲く飛鳥川のほとりの万葉案内です。  飛鳥川 瀬々の玉藻の うちなびき 心は妹に 寄りにけるかも (巻13・三二六七)
天武・持統天皇合葬陵(桧隈大内陵)
 やすみしし 我が大君の 夕されば 見(め)したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 神丘(かむおか)の 山の黄葉(もみじ)を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を 振り放(さ)け見つつ 夕されば あやに悲しみ
 明け来れば うらさび暮らし あらたへの 衣の袖は 乾(ふ)る時もなし 
(巻2・一五九)
 この長歌は、天武天皇崩御のとき、大后(後の持統天皇)の作られた歌と題詞にあります。雷丘(いかずちのおか)のもみじを今は寂しく、わたしひとりで眺めています。という女帝の哀唱です。 
 この陵は古代天皇陵の中で、被葬者の確からしさの高い数少ない陵のひとつです。
クリックすると中腹まで畑となっている陵のすがたが現れます。