京都と東京
高校関西同期会
&会社同窓会
&高校関西同窓会
少しだけ写真で
東京・皇居・半蔵門です。


 京都へ
 2013年5月18日、毎年恒例になっている5月の第3週の土曜日。高校関西支部同期会の集りです。翌日は松本、東京方面から参加された方々を中心として、関西の各地を散策しています。今回は「京都市内の隠れ家的雰囲気を」ということで、後輩で、京都工芸繊維大学准教授Yさんの案内をお願いしました。(Yさんには6月2日の航行関西同窓会新人歓迎会の昼の京都町屋散策でも、ご案内をしていただきました。)
 18日のグランヴィア大坂には14名の参加、翌19日の京都散策には11名の参加がありました。もちろん、小生を含めてです。また、Yさんは昼食時からということで、午前中は「南禅寺」と「無鄰菴(むりんあん)」を訪ねました。

 「南禅寺」
 ここで、槇野修氏の「京都の寺社 505を歩く 上」の「南禅寺」の項、最初の部分から、禅宗について再整理してみます。
 
臨済宗と大本山  日本における禅宗は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3宗で、臨在禅は栄西(ようさい・えいさい)(1141〜1215)が、曹洞禅は道元(1200〜1253)が、そして黄檗禅は明の僧隠元(1592〜1673)が日本での宗祖である。・・・この3禅宗は、今日、京都市内に、臨済宗237、曹洞宗49、黄檗宗14の寺院を数える。・・・現在、臨済宗は14派にわかれているが、そのうち京都における臨済宗各派の大本山はつぎの7寺である。  妙心寺・南禅寺・東福寺・大徳寺・天龍寺・相国寺・建仁寺 各大本山寺院とも広大な寺域を誇り、多くの塔頭をもつ。・・・
 武家の時代が臨済禅の時代といってよく、北条政権は鎌倉に建長寺、円覚寺を建立、宋から名僧を招きつぎつぎと禅寺を開創する。すなわち鎌倉五山の隆盛である。いっぽう京都においては建仁寺(1236年)につづき、臨済禅は天皇や公卿からの信仰をえて、東福寺(1236年)、南禅寺(1291年)、大徳寺(1315年)、妙心寺(1337年)を開創する・・・・・
 臨済禅はその教義だけでなく、金閣に代表される北山文化や銀閣の東北文化をおこし、栄西が将来した茶の種が広まり、大徳寺における千利休の茶道へと発展し、さらに絵画、書といった芸術作品をうみだしてゆくことになる。・・・・・

 南禅寺は正式には「瑞龍山太平興国南禅禅寺」(ずいりゅうざんたいへいこうこくなんぜんぜんじ)という臨済宗の大本山。さくらの時期、もみじの時期、その他のときも、度々訪れています。

 1) 「三門」を額縁として門内の新緑の木々を味わいます。(K.K.氏撮影)

 2) 「水路閣」 明治初期の偉業である琵琶湖疎水を上部に流す陸橋。

 3) 「方丈庭園」  大方丈の庭園。 方丈室内には狩野元信、永徳、、探幽などの障壁画(襖絵)が描かれています。

 4) 「六道庭」

 5) 「龍吟庭」「涵龍池」

 「無鄰菴」(むりんあん) 山県有朋の別荘 名勝。

 1) 三方に車が走りまくる道路があるとは思えない静かなお庭です

 2) 少し、荒れた感覚も捨て難いものです

 3) 菖蒲なのでしょうか?菖蒲(あやめ・しょうぶ?)(KK氏撮影)

 4) 鴨が水そびをしています。(KK氏撮影)

 「がんこ高瀬川二条苑店」 

 1) がんこ二条苑店は無鄰菴跡にありました

 2) お造り

 3) この他にも天ぷら等のお料理がでました。見た目と十分な量のお昼、もちろん、味にも満足。

 「圓(円)通寺」
 「圓(円)通寺」 山号は大悲山。 臨済宗妙心寺派。 元は御水尾天皇の山荘であった幡枝(はたえだ)御殿。比叡山を借景とする枯山水のお庭(名勝)。
 地下鉄北山駅から徒歩で30分程度かかる位置にあり、今回のように大型タクシーで行くことで、拝観することが出来ました。もちろん、初めてです。

 1) 雨に濡れしっとりとした感が山荘であった昔を忍ばせます

 2) 清楚であり、飾り窓に映る木立が変化を知らせる玄関

 3) 室内から眺める「枯山水のお庭」

 4) 生垣の向こうに比叡山の借景が見えるはずなのですが

 「上賀茂神社社家 西村家別邸」 

 1) 西村家別邸の門

 2) 庭に面した部屋とお庭が見渡せます

 3) 「曲水の宴」のための小川が流れています

 4) 神事の前のお清め(水垢離)に使われた井戸が左手に、向こうには神山(こうやま)に見立てた「降臨石の石組み」が置かれています。

 「上賀茂神社」を鳥居から拝み、激しくなった雨に追われるように京都駅へ戻りました。時間が許す我々はそれから反省会と称するお茶会でした。


 東京へ
 学卒から28年間お世話になった会社の最後の同窓会が5月26日、東京・神田の「肉の万世」で開かれるということで、お世話になった上司、先輩、同じ寮で暮らした仲間に最後になるかもしれないお礼を言いたいと出かけました。寮で共に暮らした何人かの親友達の誘いが一番の理由ではありますが。
 5月25日、往きには、運賃の安さから今後利用できるかもしれないと思い、「深夜バス」を利用してみました。確かに若い方々には大変便利ではありますが、ジジイには無理なことが判りました。閉所恐怖症ではないと思っている私でも、狭い空間でカーテンで外部と仕切られ、振動、ゆれ、音に悩ませられ寝てはいられない7時間は耐えられません。残念です!!!
 26日朝、7時30分に、予定どうり東京駅丸の内側に到着。「新装成った東京駅」を写真に撮ります。

 東京駅
 1) ファザード北口部分。    2)  北口からファザード正面と南口部分を。     3)  中央ファザード部分を見上げます。      4)  北口ドーム天井内部全体     アップすると。       5)  南口ドーム天井     一部側面も。      6)  中央部を左手から。     7)  ワイドで東京駅ファザード全体を。   

 皇居
 

宮内庁HP・皇居全体図より
 


皇居外苑管理事務所HPより

 午前中の時間を生かすために、皇居を一周することを考えました。
 50歳半ば頃、東京に3度目、住むこととなりました。その頃、都内の散策を好くしていましたが、皇居ランニングは試みたことが無かったために、皇居一周の経験はありませんでした。


 「皇居外苑」
 8時15分、「和田倉橋」を渡り、「和田倉噴水公園」に入ります。  噴水があり、   道路、そしてお濠の向こうに「巽櫓」が見えています。ここから「皇居外苑」が始まっています。      「桔梗濠」の向こうに、「巽櫓」が、そして「桔梗門」が見えています。お濠に映るその姿も。          「蛤濠」の向こうに「坂下門」が。       「外苑広場」をワイドで。      「坂下門」その向こうには宮内庁の建物が。       東京駅方面のビル群は皇居とは好対照です。       8時20分、「二重橋」近くまで来ました。       「二重橋」および「正門」です。      二重橋の奥の橋を撮りたくて背伸びしてみましたが?      「桜田門」は改修工事中でした。     振り返ると、二重橋をカメラに収めようと外人の観光客が多数。       
 
 「皇居一周へ」
 「凱旋濠」の向こうにいわゆる”桜田門”が見えてきました。テレビドラマ「相棒」・杉下右京(水谷豊)のファンなので、再放送を楽しんで観ています。      「警視庁」”桜田門”正面から。       「外桜田門」        お濠の向こうに「憲政記念館」の時計塔が見えています。       「憲政記念館」(尾崎行雄の「尾崎祈念会館」を母体にして1972年に開館。江戸時代には、大老井伊直弼の上屋敷がここに。戦前は陸軍省、参謀本部、陸地測量部 国土地理院の前身 があった場所とのことで、      「日本水準原点標庫」があり、     その説明板を読みました。      この南にはもちろん「国会議事堂」があります。道路の左手には警視庁の警備車が数台留まっています。      日曜日ということで、国会はお休み中。門扉の間から議事堂の真正面を撮ってみました。         9時25分、お濠沿いの道に戻ります。さつきの花が満開。お濠とその向こうの皇居の趣は東京のど真ん中とは信じられ難い景色と言えます。      今日は日曜日です。皇居のランニングコースは大繁盛です。      9時27分、”桜田門”方面を振り返ります。       「国立劇場」       「半蔵門」が見えてきました。        「半蔵門」前に到着します。      反対側には、昔、仕事で訪れたことがる「ワコール」の懐かしいビルが。        9時34分、「千鳥が淵公園」に入ります。       「自由の群像」が迎えてくれました。       「半蔵門」、「千鳥が淵公園」内から見返ります。       「千鳥が淵公園図」には、やはり昔何度か訪れたことがある「英国大使館」が向いに。       9時50分、公園から別れ、道を右に取ります。「半蔵濠」を見渡す地点に。       「乾門」前を通ります。       10時丁度、「さつきの花」と「笛を吹く乙女像」が印象的な公園に出会います。      
 「江戸城跡皇居東御苑
 「北桔梗門」の案内と「皇居東御苑」への案内を見ます。      東御苑を目指します。      門前の橋から、「平川濠」を見下ろします。      御苑に入ると直ぐ左手に皇居内とは思われない、風変わりな建物が見えてきます。後の調べで昭和天皇皇后(香淳皇后)の還暦の折に建てられた「桃華楽堂」ということが判りました。      「天守台」の石垣横に登り口があります。       1657年、明暦の大火(振り袖火事)で焼失したまま再建されなかった旨を記しています。       「天守台」から「東御苑・本丸跡」を俯瞰します。       「塩見坂」を降り、「白鳥濠」の横を歩きます。       本丸の石垣が聳え立っています。        この道にも見事な”さつき”が。       10時29分、「大手門」を出ます。      「旧大手門の鯱」が展示されています。       さらに「大手高麗門」を抜け、    碑を読みます。     「大手濠」・「桔梗濠」を分ける道に出ます。        「桔梗濠」と「大手高麗門」を。       「桔梗濠」沿いを歩き、外苑方面へ帰ります。       10時35分、皇居一周出発点「巽櫓」を望む地点に帰ってきました。      
 
 2時間20分の、のんびりとした皇居一周の散策でした。


 「旧古川庭園」

 JR山手線 駒込駅で下車。北へ10分ほど歩くと、「旧古川庭園」へ着きます。バラ園が開催されているとして、Kさんが案内してくれました。この駒込駅近くには、「六義園(りくぎえん)」(柳沢吉保が設計、指揮して作った「回遊式築山泉水庭園」です。)もありますが、今回は、「バラ園を鑑賞することにしました。

 「都立 旧古河庭園案内図」     「庭園案内部分」     「旧古河庭園」
 園内は多数のバラ愛好家が鑑賞に来ています。園内に入ると、  正面に洋館があり、   その前の花壇も事に整備されています。     階段を降りた場所から洋館を見上げます。       バラの花壇と洋館の組み合わせ。       バラ園花壇。 
 
 バラ写真集(一部ですが)です。  1) フロージン’82     2) ラ・フランス     3) プリンセス・ミチコ      4) プリンセス・オブ・ウェールズ      5) コンラット・ヘンケル      6) ゴールデン・メザイヨン      7) クリスチャン・ディオール     8) レッド・ドロシー・パーキンス      9) ダブル・デライト      アップします。

 バラ園の奥には、和風庭園があります。「七代小川治兵衛 通称 植治」(1860年〜1933年)(京都には数多くのお庭があります。「無鄰菴」もその一つです。)作庭のお庭です。池を中心に、お庭を回遊する 1)      2)      3) もちろん茶室が設えられています
 
 駒込駅前で偶然入ったお蕎麦屋さんが大当たり、大変美味しい「おろし蕎麦」を頂戴することができました。夕方5時からは、親友K氏がセットしてくれた「山の上ホテル」のイタリアレストランで、Kさん、Y氏、K氏と私の4人で、私の最終新幹線が間に合う時間までお付き合いをしていただきました。感謝!!!感謝!!!!!です。


 再び京都へ

 6月2日(日)、「高校関西同窓会新人歓迎会」(今年、関西地方に入学した若手を中心として、学生達を歓迎する会)へ参加しました。主宴会は京都駅のグランヴィア京都。宴会は夕方からですが、午後、京都散策をすることが、恒例になっています。案内してくれるのは、先にもふれた、Y先生です。
 
 集合場所は、京阪三条駅(地下駅です。)の「高山彦九朗の銅像」前です。高山彦九朗が皇居をに向って拝礼している姿をが銅像になっています。もちろん何回もこの前には来ていますが、落ち着いて説明を読むのは始めてかもしれません。幕末の勤皇の姿の典型と言えるかもしれません。また、日本の歴史でこれほど尊王思想が大切となったことは始めてなのではないでしょうか。
 三条大橋を渡ります。橋の袂に「ヤジさんとキタさんの像」(弥次呂兵衛と喜多八)がありました。いつからここにあったのでしょう?「三条小橋商店街町定(まちさだめ)」も置かれています。
 
 三条通から「高瀬川」に沿って北へ「木屋町筋」歩きます。川の向こう岸に「佐久間象山遭難の碑」が。   アップで撮影します。     「佐久間象山・大村益次郎遭難の碑」として説明板があります。佐久間象山は信州人の愛唱歌「信濃の國」にも歌われており、信州人にとっては、忘れることが出来ない偉人といえます。
 
 更に、高瀬川を上ると、「史跡高瀬川一之船入の碑」が。  鴨川の水を引いて高瀬川を作り、大坂から船でこの地まで物資を運んだ名残りの地です。現在の一之船入の姿。   その説明板です
 
 「一之船入」すぐ北が、今回のお目当ての一つ「島津製作所 創業記念資料館」でした。  向かいがなんと「がんこ二条苑店」であったのには驚きました。18日に「関西同期会」で昼食を摂ったところで、その折は全く気がつきませんでした。
 「資料館」に入ります。    館内に「明治8年頃のこのあたりの地図」が張られていました。     まず、「木屋町本店(1895年頃)現創業記念資料館)」の写真。なんと電車が走っています。       まず、驚いたのは「足踏式木製旋盤」です。    その説明文。     「明かり窓の上部に付けられたステンドグラス」と    その説明文。      「排氣機」、密閉容器内の気体を排除して圧力を下げる機械。(真空ポンプ)     エジソンの蓄音器        「ガスクロマトグラフ」  ダイオキシン、残留農薬、PCB、悪臭、環境ホルモンなどの環境汚染物質や、保存料などの食品添加物の分析に用いられる科学分析装置。国産初のガスクロマトグラフで、この技術は液体クロマトグラフ、質量分析装置の開発につながり、分析の島津の礎となっています。 その他に数多くの製品が年代ごとに展示されています。
 特に大きなスペースを取って展示されていたのは、「ダイアナ号」と名称の付いたX線装置で、透視台、瞬間自動遮断器、制御器・・・など一式、(大正7年〜昭和11年頃まで製造されていた。)でした。

 全ての展示物を、小学生の眼で勉強することの出来る資料館でした。追加したい記事は、下の項目で。

 「京都市役所」     「本能寺」前を歩き、「寺町通」を南へ、三条通へでます。「三条通 歴史的建造物」巡りが今回の次のメニューです。
 「三条通 歴史的建造物」     拡大します。西より     東より
 旧毎日新聞京都支局      家邊徳時計店      中京郵便局     などをY先生のお話を聞きながら歩きました。

 夜の宴会は、新人を含め学生27名、歓迎する側19名で、楽しい時間を持つことが出来ました。


 島津製作所
 創業は明治8年。各種分析機器を中心に製造してきた島津製借所。平成14年(2002)田中耕一さんがノーベル賞を受賞して、世の中をあっと言わせました。「まさか、いち従業員が!!!とは」、と信じられない事柄でした。それほどに力のある会社がなぜか?今年1月、防衛省により、不正請求を指摘され、指名停止とされます。このようなことは、創業者、二代目島津源蔵などの遺訓に大きく相違してきているのではないでしょうか。

 記念資料館を帰る折、頂戴した『処世の要道』を記します。
 『処世の要道』
 これは二代目島津源蔵が記したものです。この内容から源蔵が一方に家庭を、他方に仕事を重んじ、この2つを人生の要としていたことがわかります。自らもごく平凡なことを人一倍熱心に守り、これらを事務所や工場に掲げて、若手従業員から幹部に至るまで等しく厳格に教育しました。
 この指針が現在でも共感を得るのは、源蔵自身が発明に懸けた人生の中で徹底して実践することにより培われたものであるからでしょう。(島津製作所 創業記念資料館)
 
 事業の邪魔になる人
 1、自己の職務に精進することが忠義である事を知らぬ人
 2、共同一致の融和心なき人
 3、長上の教へや他人の忠告を耳にとめぬ人
 4、恩を受けても感謝する心のない人
 5、自分のためのみ思ひ他人の事を考へぬ人
 6、金銭でなければ動かぬ人
 7、艱難(かんなん)に堪へずして途中で屈伏する人
 8、自分の行ひに就いて反省しない人
 9、注意を怠り知識を磨かぬ人
 10、熱心足らず実力泣きに威張り外見を飾る人
 11、夫婦睦まじく和合せぬ人
 12、物事の軽重緩急の区別の出来ぬ人
 13、何事も行ふにも工夫をせぬ人
 14、国家社会の犠牲となる心掛のない人
 15、仕事を明日に延ばす人                        昭和14年1月     島津源蔵

 家庭を滅ぼす人
 1、自分の一家と国家との繋がりを知らぬ人
 2、両親及び兄姉を敬わず夫婦和合せぬ人
 3、身分相応を忘れる人
 4、毎日不平を言うて暮らす人
 5、相互扶助を知らぬ人
 6、嘘を言ひ我儘を平気でする人
 7、不要の物を買いたがり無駄事に多くの時間をつぶす人
 8、夜ふかし朝寝をし実力を養成しない人
 9、失敗した時勇気を失う人
 10、非礼なことを平気でする人
 11、今日積む徳が明日の出世の因となることを知らぬ人
 12、先輩を軽んじ後輩に親切を尽くさぬ人
 13、他人の悪口を言ひ争ひを好む人
 14、秩序を守らぬ人
 15、今日一日の無事を感謝せぬ人                    昭和14年1月      島津源蔵

 以上の30ヶ条はいづれも処世の要道であって充分に之を理解し且つ実行に努むる時は
 1、職務上独特の技量を発揮して無くてはならぬ人となり
 2、人格を向上し性格を円満ならしめ諸人の愛敬を受け
 3、以って立身立家立國の三大任務を完成することが出来る
 然るに若し之を読むも皮相にして底の真理を味解するに至らず或はただ知るのみにして之を貫き行ふ熱意を欠く者は必ず一身一家を破滅の淵に陥れるのである          島津源蔵

 作者は半世紀前に知っておきべきことがらばかりですね。


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