曼珠院と詩仙堂へ
紅葉真っ盛り

背景は詩仙堂の紅葉です。


 23日、3連休の中日、天気予報では翌24日は雨とのことで、嫁さんと出かけることとしていました。でも、16日の日曜日が雨だったため、町内の公園掃除が順延されていました。嫁さんは掃除に、小生は庭木の剪定を行い、出発は11時となりました。予定は”曼珠院(まんしゅいん)”と”詩仙堂”です。
 丹波橋で近鉄から京阪に乗り換え、出町柳駅に向かいます。東福寺の紅葉をもとめる沢山の人が東福寺駅で下車されます。叡山電鉄・出町柳駅は貴船方面の紅葉狩りと思われる沢山の人でごった返しています。歩くことも目的のひとつと考えている私たちは歩くこととしました。曼珠院は出町柳から東北の方向です。


曼珠院門跡
 曼珠院の勅使門には見事な紅葉が懸かっています。ひと時その景色を眺め、撮影した後、左側の石段を上がり、通用門から入場すると、そこに「媚竈(びそう)」の額が懸かる庫裏(重文)があります。もちろん多くの同好の人と共にです。各お部屋には門跡寺院らしくさりげなく由緒ある品々があり、枯山水の庭園もゆっくりと座って時間を取りたいものと思いますが、この時期では無理な注文です。以下は「京都の寺社505を歩く」からです。
 
曼珠院は、最澄が比叡山に阿弥陀仏を安置した堂を建立したことにはじまる(延暦年間=782〜806)が、その寺名は不詳。のちに是算(ぜさん)国師が叡山西塔北谷に移し、東尾坊と称したという。 この是算国師は菅原氏の出自であったため天暦元年(947)に北野天満宮が設けられえると、勅命によって別当職に任ぜられ、その兼務のため、北山に別院を建てた。 天仁年間(1108〜10)忠尋(ちゅうじん)が住持のとき、東尾坊から曼珠院に名を改めた。曼はながなかと跡をひく意、珠は普通とはまったく違うという意から、永遠な寺運をその名に託したかもしれない。 また、慈順(じじゅん)が住職の永久年間(1113〜18)に北山の別院を本院に移転した。ところが、足利義満が金閣寺を建立することなり、北山から御所ちかく、やはり義満が創建した相国寺の寺域にふたたび寺地を移した。  文明年間(1469〜87)に伏見宮貞常親王の子慈運(じうん)法親王が入寺して、門跡寺院となり、竹内門跡と呼称される。三千院(梶井門跡)、青蓮院(粟田口門跡)、妙法院とともに天台宗の主要な門跡寺院のひとつとなる。 (妙法院は東山七条にあり、ウィキベデアによれば、三千院、青蓮院とともに「天台三門跡」称せられているとのことです。) 現在の地に移ったのは、天台座主となった良尚(りょうしょう)法親王の奏請によるもので、江戸時代、明暦2年(1656)のことである。 良尚法親王とは、八条宮智仁(としひと)親王(初代桂宮)の次男で、二代桂宮智忠(としただ)親王の弟にあたる。 父の八条宮智仁親王は「桂離宮」の造営をはじめた人物で、その意志を兄の智忠親王が継いで完成させた。また、良尚法親王は後水尾天皇の猶子(ゆうし)であり、後水尾帝は「修学院離宮」の造営者である。 このように風雅で趣向に富む建築および庭園の美を結実させた親兄弟をもつ良尚法親王も、みずからの美意識をわが寺にあらわしたかったであろうことは想像にかたくない。・・・・通用門の奥は庫裏で、頭上に「媚竈」と良尚法親王直筆の額がかかる。この言葉は論語にあって「奥に媚びるよりはむしろ竈に媚びよ」と、下働きの者や本当の貢献者を大事にしろという教えである。・・・・
 庭園について、曼珠院の小史には「遠州好みの枯山水である。庭の芯に滝石があり、白砂の水が流れ出て、滝の前の水分石からひろがり、鶴島と亀島とがある。鶴島には五葉の松(樹齢約4百年)があって、鶴をかたどっている。松の根元にはキリシタン燈籠があり、クルス燈籠又は曼珠院燈籠と呼ばれる。亀島には、もと地に這う亀の形をした松があった。庭園右前方の霧島つつじは、5月の初旬、紅に映えて見事である。この枯山水は、禅的なものと王朝風のものとが結合して、日本的に展開した庭園として定評がある。」と記されています。
 建物内部はもちろんお庭の写真撮影も許可されていません。特にお庭は残念です。

 

 

詩仙堂へ
 曼珠院を出て、途中、圓光寺周辺から市内を俯瞰しながら、詩仙堂へ向かいます。詩仙堂の小さな入り口はやはり人々の列が出来ていました。当然と思うこころがあり、苦にする者ではありません。木々の生い茂る参道はさらに細く、出入り口周辺は建物内部からお庭に向かう人がすれ違うのみも苦労するほどです。
 書院からはお庭を拝観します。大変なヒトヒトです。でも、最前列まで出ることが出来、一応座っての拝観です。詩仙堂について「京都の寺社505から」です。
 
・・・それほど古い歴史があるわけでなく、ありがたい仏様が鎮座していることもなく、広い境内を誇ることもない。なのに観光客は蝟集する。なぜかー まずは「詩仙堂」という名前であろう。ほんらいは「凹凸か」という石川丈山が隠棲用に建築した山荘で、詩仙堂はそのうちのひとつの部屋のなである。・・・
 紅葉の真っ盛りのこのときでは、所詮この地の良さを十分に味わうことは出来ないのでしょう。”京都の旅”はまだこれからです。今回は紅葉を味わいます。

 1) 書院からお庭を右から左へ。    中央   左を 観賞します。

 2) お庭から見上げた紅葉。わが身も赤く染められそうです。

 3) 散華とは!!

 4) 千両、万両共にもその実は真っ盛りです。ちなみに千両は上向きに実がつき、万両は下向きに実がついているとのことです。


 帰りのバスはやはり大変な込みようです。やはり、出町柳まで歩き、京阪樟葉駅まで乗車し、先日、友人に連れていかれたとチョット雰囲気のあるお店でゆっくりとお酒付きの夕食を楽しみました。「曼珠院」も「詩仙堂」も今一度訪れることをこころに誓いながら。 



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