さくらの御室仁和寺へ


 11日夜、インターネットでさくら情報を検索していたところ、一般のソメイヨシノより遅れて咲く”仁和寺の御室の桜”が満開であることを知りました。12日、早速、嫁さんと出かけることとしました。11日は孫の美緒ちゃんの3才の誕生日であったため、松井山手駅前のケーキ屋さんで予約を入れ、その旨を娘に連絡、その日、海遊館へ車で出かける計画の娘一家と夕方の落ち合う予定を確認しました。
 息子の誕生日が10日、美緒ちゃんの誕生日が11日で、2人の誕生日食事会は6日に”ハレトケ”で済ませていましたが、3本のローソクを吹き消す美緒ちゃんの姿の写真撮影がまだだったのです。。
仁王門からの人の流れです。境内の桜の園は更に多くのヒトヒトヒトでした。


 今出川通りをバスで西へ、金閣寺から龍安寺まえを通る”きぬかけの路”は当然のごとく大渋滞。仁和寺の周辺、駐車場もヒトヒトヒト。
 
仁和寺は京都の寺のうちでもっとも王朝文化の香がする寺で、禅寺が武家に、浄土、法華の寺が庶民に顔をむけているというならば、やはり仁和寺はやんごとなき人びとの寺であるといえる。
 仁和2年(886)光孝天皇の勅願によって、大内山の麓に伽藍建立の工を起こしたが、翌年光孝帝は没し、その遺志をついだ宇多天皇(在位887〜97)が仁和4年(888)に完成、空海の弟子真然が導師となって落慶供養を営んだ。仁和寺の寺名は年号による。
 宇多天皇は藤原氏をおさえ菅原道真を重用、これまでの政治を刷新して寛平の治と称せられる親政をおこなった帝で、子醍醐天皇へ譲位後の昌泰2年(899)に仁和寺で出家して第一世となった。さらに延喜4年(904)に宇多法王が法務をおこなう僧坊(室)がもうけられ、それは御室と尊称された。これが当地の地名として後世に伝えられることになる。(以上「京都の寺社505を歩く」より)
 真言宗御室派総本山ですが、特に本坊の雰囲気は御室の名前に相応しいものでした。
 写真では、御室桜と本坊のお庭の雰囲気の違いを表してみました。
 
 1) 五重塔と御室桜 1
 2) 御室桜 1
 3) 五重塔と御室桜 2
 4) 御室桜 2

 5) 本坊のお庭 1
 6) 本坊のお庭 2

 入場の折に頂いたしおりによる説明です。
 
名勝 御室桜
 中門を入ると左手に、湧き上がる雲のようね御室桜が目に飛び込んできます。御室桜の特徴は樹高が低く、根元より単弁の香りの高い白花を咲かせることです。開花は4月20日前後と遅く、京都の春の終わりを飾ります。品種は大半が有明で、他には車返し、鬱金など十数種類の里桜があり、境内に二百余株植えられています。起源は古く、平安時代にまでさかのぼりますが、現在のものは江戸時代初期に植えられたもので、大正13年に名勝に指定されています。
 仁和寺御殿
 御殿と呼ばれているところで、宸殿を中心にして、左側に白書院・黒書院があり、北に池泉に北庭と、南に白砂と杉松の簡素な枯山水の南庭がある。左近の桜、右近の橘も植えられている。仁和寺再興の際(江戸初期)、京都御所の常御殿を移築したものであったが、明治20年(1887)火災のため焼失した。その後、明治から大正初期にかけて、当時の最高の材と技術をもって建築された。
 
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