鳥取・松本(安曇野市)へ |
2009年8月23日・24日 孫の誕生というお目出度いことの発生で、鳥取市内の見て歩きが実現しました。陣痛が始まってから本当の出産までの大変長いご苦労の時間での市内見て歩きであったため、”新しいお母さん”には、本当は大変申し訳ない散策でした。11日の出産予定日、23日未明の陣痛開始、夕刻の入院、翌日、15時半の分娩室入室、16時41分の出産と大変長丁場となりました。これゆえに、産声を聞いた時の感激はひとしおのものでした。お疲れ様!!ありがとう!ありがとう!!ありがとう!!!です。 |
鳥取市 鳥取市は同じ城下町ということもあり、ふるさと松本市の佇まいと似たところがあり、落ち着いた良い町です。お城については、松本城が平城で、石垣を基礎としてその上に5層の天守閣、各櫓が内堀に取り囲まれた状態で存在しているのに対して、鳥取城(平山城)は文字どうりの城跡です。ただ、戦国時代に激戦の歴史を持つだけに、市街地から見上げると標高263mの久松山、麓の二の丸、三の丸の石垣と景観はさすがのものです。久松山の頂上にあった天守閣を想像すると、秀吉が兵糧攻めの手段をとったこのは肯けます。 お城は天文14年(1545)因幡の守護山名誠道が築城、天正8年(1580)秀吉の鳥取城攻めで時の城主山名豊国は秀吉の軍門に降りましたが、家臣が納得せず、吉川経家を城主として秀吉に反旗。天正9年(1581)秀吉は2万の大軍で、鳥取城を囲み、兵糧攻めを行います。籠城4ヶ月吉川経家は自刃、開城されます。慶長5年(1600)の関が原の合戦後、池田長吉が6万石で鳥取城主となり、お城の中心を久松山山麓に移します。その後、元和3年(1617)姫路から池田光政が32万5千石で鳥取城主に。寛永9年(1632)岡山城主の池田光仲が光政と入れ替わって鳥取城主となり、光仲系の池田氏が12代で明治維新を迎えます。 |
23日は手探りの散策です。鳥取駅から北東の方向に、メインルートの若桜街道が通っており、その先に県庁、市役所があり、その先が鳥取城跡です。若桜街道を北東に進み、右折し大工町通りを歩き、鳥取市歴史博物館を見学。博物館のすぐ先に由緒ありげな神社があり、もちろん参拝することとしました。案内によれば、「樗谿神社(おうちだにじんじゃ)」は鳥取藩主池田光仲が、日光東照宮の分霊を勧請し創建した神社で、本殿、拝殿、唐門は国指定の重要文化財とのことです。公園内の「梅鯉庵(ばいりあん)」をながめて、この日は帰りました。 24日は城跡方面を歩くこととしました。県庁、鳥取西高を抜け、お城の石垣横の道を登ります。二の丸の三階櫓、菱櫓から、そして三の丸からは市内が一望でき、市内俯瞰の目的を達成することが出来ました。すぐ下には、「仁風閣」、「県立博物館」を上から眺めることができました。「仁風閣」、「県立博物館」ともに月曜日はお休みで、入場することが出来なかったのは残念でした。「仁風閣」は、「明治40年旧藩主池田家によって建てられた洋風建築で、フレンチ型ルネッサンス様式を基調とした白亜の木像瓦葺二階建てで、バロック風な軒飾りが施してあり、内部も大正天皇が山陰地方行啓の折、宿舎として使用された各室が残っている。」とのことです。ここでは、鳥取城跡からの眺めを中心に紹介しておきます。 |
2009年9月28日、29日 高校時代からの仲間達との楽しい旅です。春には京都で集まりを行い、今回は、信州・安曇野市・明科のヤナで、赤魚を食する会を計画してくれました。関西から参加する二人は名古屋発9:00のしなの号で落ち合い、席を譲っていただけたことから、松本までの車中での会話を楽しむことが出来ました。松本駅で東京から参加する友人を待ち、松本の幹事二人の車に分乗し、「穂高神社」へ向かいました。 「穂高神社」は中信地区では「諏訪大社」についで、馴染み深いお宮さんといえます。毎年9月26日、27日に行われる例大祭の御船神事は有名のようですが、残念ながら参加したことはありません。 本宮(里宮)の祭神は穂高見神(ほたかみのかみ)別名「宇都志日金折命(うつしひかなさくのみこと)」、綿津見神(わたつみのみかみ)、瓊瓊杵神(ににぎのかみ)、天照大御神、安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)、信濃中将(御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされています。)。 信州には海はありませんが、主神の穂高見神と綿津見神は共に海人族の阿曇氏の祖神とされる海神のようです。長い歴史のなかでこの地に安曇族が栄え、この神社に受け継がれてきていることは、不可思議な感がします。 奥宮は中部山岳国立公園内の松本市安曇上高地の明神池の入り口に鎮まっています。明神池はその神域とのことです。(「かみこうち」(上高地、神垣内)の名称は、穂高見神を祀る穂高神社奥宮と明神池があることに由来するといわれています。) 嶺宮は穂高見神が降臨したとされる奥穂高岳(3190m)の頂上に鎮座しています。(以上、ウィキベディアから) お宮参りをそこそこに、信州の旅の楽しみの一つである”お蕎麦”の昼食へ向かいました。今回は、JR信濃松川駅近く、ちひろ美術館にも近い田圃の中にある”そば処こうや”というお店でした。一昨年は明科駅近くの”高野屋”さん、昨年は豊科の”蔵久”さん、ともに大変美味しいお蕎麦を頂戴しましたが、今回も期待に違わず本当の手打ちの味を満喫しました。美味しい漬物、モツ煮が出てくればもうたまりません、昼間から美味しいお酒も十分に 頂戴することになってしまいました。 その後、最近オープンした「大町・松川地区国営アルプスあづみの公園」内を歩き、森林浴を満喫。5時前に宿泊場所である「長峰荘」に到着。風呂で汗を流した後、犀川河原にある「川の家(やかた)」(赤魚の付け場)で赤魚料理を食することとなりました。松本在住の仲間二人が加わり、楽しい飲み会となりました。ところで、”赤魚”とは”ウグイ”のことで、春になると雄雌ともに婚姻色として腹が赤くなることからこの時期にこのように呼ばれるということでした。ウィキペディアには「専門の漁は4月から6月の産卵期に行われ事が多く、長野県信濃川流域の一部地域では、流れの中に人工の産卵場所を作って魚を誘うつけ場漁と呼ばれる漁法で捕獲し、川に隣接した小屋で料理が提供される。茨城県、群馬県などでは、アイソ漁と呼ばれる梁漁が行われている。」と記載されていました。 翌、29日は下手なゴルフでパートナーに十二分に迷惑をかけ、翌日の衆議院選挙のために松本を後にしました。今回もホント松本の幹事さんには大変お世話になることとなりました。今年はまた秋に”京都の紅葉を楽しむ会”が決定されました。 |
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