南紀白浜温泉へのジジ連の旅 6月6日(水)、7日(木)ジジ連では始めての平日1泊の旅 |
背景は「三段壁洞窟」内に入り込み暴れまくる波。 |
![]() 南紀白浜海岸・三段壁です。 |
6月6日、3名が満年齢で65歳を越え、新たに加わることで、5人のジジ連仲間が全て晴れて自由の身になったことを記念する旅にでました。このことの最大の利点は、平日の利用が可能となたことです。なにしろホテルなど、予約が取り易い。この会はお値打ちに楽しむことをモットーとしており、幹事役のS氏がいつも知恵を働かせてくれています。有り難いことです。幹事役S氏とI氏が車を出してくれ、途中寄り道する先も予定している訳ではありません。宿泊は、「365日同一料金1泊2食7,800円の愉快リゾート 白浜御苑」。いままでこのメンバーでは山中温泉「山中グランドホテル」(2010年7月12日記)、下呂温泉「下呂彩朝楽」(2010年12月16日記)を楽しんできています。今回は、6月末までのキャンペーンで5人目は100円となるというラッキー(一人あたり、6、260円です)に恵まれることとなりました。もちろん、夕食時の飲み放題は追加しましたが。 朝8時、我が家から歩いて20分、松井山手駅前に集合。その場で、白浜までの立ち寄り場所を決めます。S氏から、「淡嶋神社」、T氏から「道成寺」の提案があり、即決定、「淡嶋神社」へ向います。 淡嶋神社は「少彦名命」(すくなひこなのみこと)、「大己貴命」(おほなむちのみこと)、「息長足姫命」(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)を祀っています。(淡島神は「少彦名神」とする説、住吉明神の后神で、婦人病にかかり淡島に流されてしまった、などの諸説があるようです)仲哀天皇の大后であった神功皇后の三韓征伐の折の逸話から出発していますが、近年では「人形供養のお寺」として有名になっています。淡島神の由来からご婦人方に人気の神社でもあるようです。 淡嶋神社は別名加太淡嶋神社と言われるように、加太港のすぐ近くにあります。もちろん海に面しています。 1) 海を眺めてパノラマ撮影してみます。(これまでの小型デジカメはキャノンのIXYでしたが、少々古くなったと感じたため、ソニーのCyber-shot を購入しました。そこに画面移動だけでパノラマ撮影ができる機能が付いていたため、試してみたかったのです。) 2) 友ヶ島へは連絡線が出ています。 3) 淡路島そして遠くには四国徳島県が見えています。 4) 淡嶋神社をパノラマで。 5) 朱色に輝く本殿を。 淡嶋神社は様々な人形が奉納されています。その何点かを撮影していきます。 6) 本殿内も所狭しと置かれたお人形。 7) 本殿廻廊に置かれたお人形。 8)可愛らしい子どものお人形。 9) 成人女性の舞い人形。 10)その顔,姿の色っぽさは格別です。 11) 羽子板人形。 12) 招き猫の大軍。 13) 布袋様と弁天様(観音様?) 本当に様々なお人形様が拝見できます。 御坊まで、高速道路を使います。13時、「道成寺」参道の駐車場に到着。駐車場横のお店「あんちん)で昼食です。車を運転しない者3名は、遠慮しながら?生ジョッキ。何故なのか色っぽいジョッキが出てきました。幕の内弁当のおかずでビールを有り難くいただき、お寺詣りに出発です。 「道成寺」は和歌山県最古のお寺で、正式名は「天音山道成寺」となります。宗派は天台宗、所在地は和歌山県日高郡日高川町鐘巻。大宝元年(701年)に創建されたとされています。歴史があるだけに、多くの国宝、重文が残されており、また、多くの伝説、物語(宮子姫伝説、安珍清姫伝説)などが生まれたお寺でもあります。 その物語の一つを梅原猛氏の【海女と天皇 上 藤原宮子=「海女の娘」の伝承】から要約してみます。 爰に人王(にんわう)四十二代の皇(わう)文武の帝と申奉るは、草壁の皇子の御子、幼き御名は珂瑠(かる)の王、諱(いなみ)は天の真宗豊の尊と申奉り、大和の国藤原の宮に入らせ給ふ。此帝の御宇に紀伊の国日高の郡に八幡山のにしの麓のかた、ほとりに兄弟9人の海士在ける。この中に”宮”という長い髪の娘がおり、海の中で光り輝いていた黄金の千手観音を見つけ、長い髪にそれを包み込め、家に持ち帰った。長い黒髪の乙女の話を藤原不比等から聞いた文武天皇は長い髪の乙女を探させる。不比等の部下でもあった粟田の真人が、黄金の千手観音を祀っている長い髪の乙女”宮”を見つけ、都へ伴い、勅によって不比等のやしない子とし、宮子媛として后妃となった。宮子媛は古里の庵に残した観音様が気になり不比等を通じて文武帝に伝えると、帝は紀道成に一宇を建立することを命じた。・・・これが道成寺という寺名の起こりでもあるわけです。 また、「道成寺絵とき本」では、黄金仏を見つけたのは、宮子の母親で、髪が無かった宮子がその功徳によって黒髪は生えたとされています。いずれにしても、黒髪の力によって天皇の后となり得た功徳の話は同一と思われます。そして、その縁によって「道成寺」が建立されたとする起源は変わりません。さらに、文武帝と宮子媛の間には、東大寺の大仏を造らせ、都を点々とする聖武天皇が生まれることになります。正史では、宮子の母は「賀茂朝臣比売」と伝えられていますので、海士のむすめではありません。不思議なものです!!!(絵巻は「海女と天皇」からの複写です。) 「海女と天皇」では、さらに「道成寺」について記されていますので、今一度精読してまとめてみたいと考えています。 階段を上がり、「仁王門」をくぐります。門の横手前には「文武天皇勅願所」の碑があります。朱塗りの見事なご門で扁額は「天音山道成寺」。 境内に入り、パノラマ写真を撮ります。1)左手、宝佛殿から本堂。 2) 本堂から仁王門。 3) 本堂(重文・承平12年・1357建立)です。 4) 仁王門(重文・元禄13年・1700再建) 5) 三重塔(宝暦14年・1764)再建。 6) 本堂内陣、御本尊は千手観音立像。 7) 二代目鐘楼跡。 (解説版を読めるようにしました。) 8) 安珍塚 9) 文字が浮き出てくるお線香を試してみました。 折角ですので、宝物館を拝観することとしました。正面には大きな陶壁があり、日高川との名称が付けられています。安珍清姫伝説の日高川を渡る大蛇の姿なのでしょうか?外の周囲の壁には各踊りの宗派の人々による「京鹿子娘道成寺」の舞姿の写真が飾られています。宝佛殿内には国宝の「本尊千手観音、脇侍日光、月光菩薩」を始めとして、見ごたえのある仏様たち、そのなかにはガンダーラ仏(展示仏ではありません)まで展示されていました。解説を聞かせていただいた後、時間を掛け拝観させていただきました。さらに、「縁起堂」では、「安珍清姫」のユゥーモアを交えた絵説き説法を受けました。そして、特に「妻寶極楽」(西方極楽のもじり?)という色紙の有難みを強調されていました。大変有意義な「道成寺」の参詣でした。 予定どうり、16時過ぎにはホテルに到着。直ぐに、温泉に直行。日本三大古湯の一つである「白浜温泉」(あと二つは「有馬温泉と道後温泉」です)をゆっくりと楽しみました。17時からは「愉快リゾート」恒例の無料時間を利用したカラオケ。18時30分から飲み放題の夕食。この日は18時から21時までの入れ替えなしで、ホントゆっくりした夕食宴会となりました。翌日は飲みすぎのためか?体調不良となってしまいまい、仲間には迷惑をかけることとなりました。いい歳をして恥ずかしいかぎりです。翌朝、朝食後、9時から10時半まで、またまた、カラオケ。ホント好きな仲間と我も含めて、呆れます。(ところで、日本の三名泉は「下呂温泉」、「草津温泉」、「有馬温泉」、私もそう思います。) 6月7日、ホテルを出発。「白浜美術館」を訪ねます。ここは大きな温泉地にはよくある成人向けの美術館ですが、内容はインドのヒンズー教の像、ラマ教、密教の秘仏を中心としたおとなしいものです。美術館の裏手には「阪田神社」(「歓喜神社」)があり、神社前には「神籠(ひむろぎ)」跡があります。祭神は、イザナギ命、イザナミ命ですが、ご神体は万物の根源である陰と陽の大神様と記されており、それなりのご神体がお祀りされています。 その後、海中の魚、日によっては海女の海中ショー(この日はありませんでした)が見ることが出来るグラスボートへ仲間達は乗り込みましたが、小生は体調不良のためパスをさせていただき、海岸での写真撮影としました。1) グラスボート「りんかい」を中心として。 2) 円月島(正式には高嶋というようです)を中心として。 海岸線を走り「白良浜」を横目に見て、白浜温泉では外せないスポット、「千畳敷」へ向います。5月26日には、「木曽駒ケ岳の千畳敷カール」を訪ねたばかりですが、今度は海岸にある千畳敷というわけです。 1) 千畳敷看板を記念に。 2) 千畳敷メーンアングル。 3) 切れ込んだ海岸線もあります。 4) 左手から海岸線をワイド画面で。 5) つづいて右手の岸まで。 6) 陸地側をワイドで撮影してみます。 7) 波打ち際まで歩きます。海と岩とそこに打ち寄せる波が身近に感じられます。 「三段壁(さんだんべき)」へは千畳敷からは直ぐすぐです。駐車場は有料と書いてありますが、お土産物、食事を5、000円以上すると無料となるとも書いてあります。昼食の時間ともなっていましたので、もちろん了解です。まず、三段壁へ向います。断崖の景色の前に、「三段壁洞窟」へのエレベーターに乗ることとしました。36m下に着くと、チョットした空間があり、 案内図、 三段洞窟の由来、 熊野水軍のジオラマ、 などがあります。案内図に従って洞窟を歩きます。波の音が轟音となって聞こえてきました。 熊野灘の波が洞窟の内に流れ込んでいます。 洞内展望台からは対岸に「十象岩」が聳えていますし、 こちら側は三段壁の断崖が続いています。海が荒れている時はとてもここまでは来ることは出来ません。 波が流れ込む轟音と熊野灘、そそり立つ岸壁を堪能し、洞内を進みます。 龍の口から流れ出している温泉湯(湧泉洞)を案内に従って飲んでみます。不調なお腹に効果があるのではないか?との願望も入っています。 正面には「牟婁大辯才天(むろだいべんざいてん)」がお祀りしてあります。 もちろん、辯才天をお詣りします。 洞窟の壁に、 熊野水軍の軍船 そして、熊野別当湛増が源氏に味方した経緯を記した説明板 などがありますが、そこを進むと更に轟音がこだましてきます。波の侵食で出来た洞窟の突き当たりに流れ込み、砕け散る熊野灘の海水の勢いは圧巻です。 1) 2) 3) 4) 5) 静止画画面だけでは迫力が伝わらないのが残念です。海を知らない信州人であるだけに、その迫力に脱帽です。 地上に出て展望台からの景観は洞窟からの開放感からかその雄大さにホッとする思いです。1) 2)三段壁の南側 3)三段壁の北側 ウィキベデアでは三段壁の名前の由来を「魚の群れ(鯨との説もある)を見つけるための監視場(見段・みだん)があり、これが転じて三段壁(みだんべき・見段壁→みだんべき→さんだんべき・三段壁)と呼ばれるようになったという説が有力である。」と記しています。 お土産屋さんでの昼食は、この地に名物であろう「梅うどんと鯛めしセット」を食し、帰路につきました。帰りは家の前まで車で送ってくれた幹事Sさんの御蔭で6時過ぎには家に。ホント感謝!!!、感謝!!!!!です。その頃には体調は元に戻っておりました。楽しい旅でした。 |
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