熊野古道・歩きの旅

[第1回] 語り部と行く!「中辺路(なかへち)編」
2013年3月23日

[第 2 回]   語 り 部 と 行 く!  「中辺路(なかへち)編」
2013年4月22日

[第3回] 語り部と行く! 「中辺路(なかへち)編」
2013年5月10日

[第4回] 語り部と行く! 「中辺路(なかへち)編」
2013年6月12日

[第5回] 語り部と行く! 「中辺路(なかへち)編」
2013年7月15日



なかへち観光協会HPから
紀伊山地の霊場と参詣道
 
紀伊山地は太平洋に張り出した紀伊半島の大部分を指し、標高1000〜2000m級の山脈が東西あるいは南北に走り、年間3000ミリを超える豊かな雨水が深い森林を含む山岳地帯です。
 紀伊山地は、神話の時代から神々が鎮まる特別な地域を考えられていました。中国から伝来した「仏教(真言密教)」も、紀伊山地を山岳修行の場としていました。また、仏教の影響力が強まるにしたがい「神仏習合」という日本固有の思想と「末法思想」が広まり紀州山地を「浄土」に見立てることや、修験道のように山岳修行により超自然的な力を獲得するといった修行の舞台となりました。その結果、紀州山地には「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」の三つの「山岳霊場」と、そこに至る「大峯奥駈道」、「熊野参詣道」、「高野山町石道」などの「参詣道」(巡礼道)が生まれ、都をはじめ全国から人々の訪れるところとなり、日本の宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしました。
 「紀伊山地の霊場と参詣道」は、和歌山、三重、奈良の三県にまたがる「紀伊山地の自然」がなければ成立しなかった「山岳霊場」と「参詣道」、及び周囲を取り巻く山、森、川、滝、温泉、田園などの「文化的景観」が主役であり、世界でも類を見ない資産として価値の高いものです。
・・・(世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道 WORLD HERITAGE  和歌山県から)

世界遺産「熊野古道めぐり
 
今もなお、かっての面影をとどめる熊野古道。道ばたにひっそりとたたずむ王子(王子とは「神社」もしくは「祠・ほこら」の意とのことです。)跡。いつの時代にも旅人の心のよりどころとなってきました。熊野へ詣でたなら、不思議な力を授かると、中世になると、それは多くの人々の群れが熊野に続きました。その道のりは、苦しみが多いほどご利益も大きいといわれ、こぞって田辺から山中に分け入る険しい中辺路を好んだといわれます。
 熊野九十九王子は、熊野に詣でる上皇や女院の休憩所となったところで、滝尻王子から熊野本宮大社に至る約38キロの間に19の王子が点在します。なかでも滝尻王子は熊野の霊域への入り口といわれ、人々は万感をこめてここから続く険しい坂を登ったことでしょう。景色の良い高原の里で少し休憩し、ここから山中に深く分け入ります。
・・・(紀州路 田辺 熊野古道めぐり地図帳 和歌山県田辺市 から)


 熊野
 古人の信仰の故に生まれてきた「熊野古道」。その信仰の源についての整理が遅れていました。「集英社ウィークリー・コレクション巡拝の旅2 熊野古道 和歌山」から引用したいと思います。これは「第5回目 語り部 澤さん」 お話に近いものといってもよいでしょう。

 熊野権現との出会いを求めて、山と海の聖地を歩く巡礼の道


 あらたなる熊野詣でのしるしをば氷の垢離(こり)に得べきなりけり   [西行 『山家集』]

 
都から奥まった聖地

 
漂白の歌人として知られる西行(1118〜90)が、熊野詣でをしたおりに詠んだ歌が十数首伝わる。右の句では「霊験あらたかな熊野詣での御利益を、那智の大滝の冷水を浴び、心身を清めて授かることができよう」と歌い、水垢離をする行者の姿を彷彿とさせる。
 紀伊半島南部に位置する熊野は、都から遠く離れた鄙の地「隈野(くまの)」の意味という。古来、死者の霊がこもる「隠国(こもりく)」(奈良県の桜井から東へ、長谷寺辺りの谷間が続く地域も「隠国(こもりく)」と名づけられています。) であり、神仏の力により生命が甦る聖地とみなされた。伊邪那岐尊が熊野に葬られ、神武天皇が熊野から八咫烏に導かれて大和を征服したとする神話も、熊野という地域の神秘性を物語る。
 三千六百峯といわれる奥深い熊野の山塊には、鬱蒼とした森が広がり、雨水が谷を刻む。水は大河をつくって山と海をつなぎ、天と地をむすぶ大滝を現出させた。循環するこの大自然は、太古の昔から現代にいたるまで、人の心を震わせる。
 熊野速玉大神(はやたものおおかみ)・熊野夫須美(ふすみ)大神・家津御子(けつみこ)大神の三神が熊野に降臨したのは、人が容易にたどりつけない隈野だったゆえだろう。しかし、生に苦しむ人々は、あえて隈野に足を向ける。そこに坐(いま)す神仏が、生の苦しみから救ってくれると信じたからだ。

 いのりとともに歩まれた道

 その後、伝来した仏教との交流によって、平安時代末期には、神々は、仏の権(か)りに現れたものとされ、新宮(熊野速玉大社)・那智(熊野那智大社)・本宮(熊野本宮大社)の熊野三山に祀られる三神は、それぞれ薬師如来・千手観音・阿弥陀如来の仮の姿(権現)とされた。こうして熊野は、熊野三所権現の地として篤い信仰を受け、浄土とみなされるようになる。
 いくつもの険しい峠を越え、熊野に向ったのは、はじめは修験者たちだった。山野を踏破し、流れる水で心身を清め、激しく落ちる滝の水に打たれながら、自身を浄土に導こうと試みた。那智の浜辺から、補陀落浄土(ふだらくじょうど)をめざして船出する者もいた。
 厳しい行に耐えた修験者たちが熊野信仰を広め、多くの人々の祈りの心をかきたてた。平安時代末期から室町時代にかけ、白河上皇をはじめ、上皇・女院・貴族らが熊野に詣でるようになる。庶民の姿も絶えることなく、「蟻の熊野詣で」といわれるほどの列をなした。西行も生に悩み、熊野に足を運んだひとりである。貴賎・僧俗を問わず、老若男女が熊野に向って歩いた信仰の道が、熊野古道だ。
 小辺地(こへち)(高野山〜本宮)・中辺路(田辺〜本宮)・大辺地(おおへち)(田辺〜那智・新宮)とよばれる、熊野三山をめぐる社寺の道を歩けば、いにしえの参詣者の姿が浮かび、信仰の深さを知るだろう。自然に対する畏敬の念を、誰しもに感じさせるのが熊野である。

 
熊野霊場関連年表  
   紀元前33年 大斎原(おおゆのはら)に社殿を造営(熊野本宮大社の始まり)。       128年 神倉山に降臨した熊野三神を迎え、熊野速玉大社が創建される。       317年 那智の御滝から神々を遷し、熊野那智大社が創建される。      1090年 白河上皇が熊野に御幸。       1868年 神仏分離によって、青岸渡寺と那智大社が分かれる。        1889年 本宮大社、洪水の被害を避けて現在地に遷る。       2004年 「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録。

 延喜式 名神大社 熊野本宮大社 栞による 本宮の創祀

 
熊野国造家の開祖は天孫邇邇藝命の御兄君天火明命(アメノホアカリノミコト)です。その子孫に当たる高倉下(タカクラジ)は熊野の村に在って神武天皇に天剣布都御魂(フツノミタマ)を献げてお迎えし、時を併せて高御産巣日神(タカミムスビノカミ)は天より八咫烏(ヤタガラス)を遣わし大和の橿原まで導かれました。第十代崇神天皇は大和民族の旨は神を祀ることとお考えになり、時を前後して神宮(伊勢)や本宮(熊野)が奉祀されました。第十三代成務天皇の御代には国々の境(県境)が決められ、紀伊半島の南半分(志摩半島より南)が熊野の國と定められ初代の熊野国造には高倉下の子孫大阿斗宿禰(オオアトノスクネ)が就任しました。この様に熊野国造家とは天津神の子孫で、物部氏の先祖に当たり、特に天神地祇の子孫に当たる氏の事を神別諸氏といいます。神世の時代、この熊野の地を治めた天孫系神別諸氏の日神信仰によって創立したのがこの本宮で、それは熊野の大神の神遺が太陽の化身「八咫烏」であることも本宮祭神の始元が日神であったことを物語っています。熊野信仰とは一言で云えば太陽の黄泉返りを願う祭礼です。その後本宮は千数百年に渡り熊野国造家の子孫によって代々お祭されることとなりました。

   結宮 第一殿 夫須美大神  第二殿 速玉大神     本宮 第三殿(証誠殿) 家津御子大神(素戔鳴尊)     第四殿 天照大神   満山社
 参拝の順は まず、本宮の家津御子大神  次は、第二殿の速玉大神  次は、第一殿 夫須美大神  次は 天照大神  (その後 満山社の八百万の神様)
 


作者近況へ




発心門王子から本宮大社までの行程です。

熊野本宮大社 大斎原大鳥居 現本宮は手前の木々の陰です。
 [第5回 熊野古道歩きの旅]

2013年7月15日
 「中辺路」を歩く、「熊野古道歩きの旅」も、一応の完結、「熊野本宮大社」への参拝が実現する日です。過去4回は、梅田からの出発でしたが、今回は、京都駅からの出発となりました。京都駅からの出発は便利さ(家の近くから高速道路を通る直通バスがあるからです。)からずっと希望はしていましたが、お客さんの絶対数の不足から、便数が極端に少ないため実現しませんでした。今回はラッキーということです。


 13日、14日と夕方から雷雨があり、それまでの酷暑が和らぎました。最寄のバス停から、5時57分発の京都駅までの直通バスに乗車、京都駅に近づくにしたがって、雨模様になってきます。今日は太平洋側ほど天気が良い筈です。

 [第5回] 発心門王子(スタート)・・・◎水呑王子(ミズノミオウジ)・・・◎伏拝王子(フシオガミオウジ)・・・◎祓所王子(ハライドオウジ)・・・◎熊野本宮大社(ゴール)  7月 難易度 ハイキング初級(約7km 標高差 約200m)

 7時に、京都駅を出発、8時17分、「紀ノ川SA]に着きます。  8時38分、「紀ノ川」を渡ります。まだ、空は曇っています。   10時丁度に、「熊野古道館」手前の崖の工事現場を通過します。     10時18分、道の駅「ちかつゆ」に着きます。前回はここで昼食を摂ったはずです。今回はここでお弁当を詰め込み、本宮近くの道の駅での昼食となるようです。    11時10分、「ほんぐう道の駅」に到着 お天気は絶好になっており、涼しいバスの車内での昼食とします。     道の駅から「熊野川」方面を眺めます。      11時35分、道の駅を出発し、今日の歩きの出発場所、「発心門王子」へ向います。


 11時55分、「発心門王子」の朱塗りのお社が見えてきます       前回第4回の終着点としての「発心門王子」のお社ですが、     祀神として「饒速日命(にぎはやひのみこと)」(一説には「天火明命」と同一とされています。)と記されているのに興味が惹かれました。      前回、ようやくたどりついた感じの地点ですが、今回は余裕です。     

 12時7分、歩き旅への出発です
      12時9分、山道に入ります。「水呑王子」まで、1.5キロの道程です。     12時11分、標識62番です。今日始めての標識となります。これから500m毎に、75番まで、約7キロです。       12時12分、「参詣道の案内板」がありました。     付近の「案内図」を確認します。     ミツバチの蜜樽が置かれています。澤さんによると、このあたりは山の花による良い蜜が取れる場所として知られているようです。      12時13分、「水呑王子」まで、1.4キロ地点です。    地域の開発に貢献した「河野翁」の顕彰碑とお地蔵さんが御祀りしてあります。      
 
 12時23分、遥か向こうに、これから歩いていく「伏拝王子」地点を示すこんもりとした1本の木が見える地点に、あんな遠くまで!!!?。      12時24分、標識 63番 地点です。     12時26分、「大賀ハス」の群生地に。    「大賀ハス」です。    大賀ハスは蓮の原種に当たるもので花は小ぶりです。     12時27分、「水呑王子」まで、0.8キロ地点。「発心門王子」からは、0.9キロ。      12時34分、標識 64番 です。       12時36分、綺麗に植林はされていますが。手入れの不十分さからか、各々の木々は細いようです。      12時41分、「歯痛の地蔵さん」、歯痛の折もお地蔵さんへのお詣りで痛みを癒していたとの、語り部、澤さんの話です。


 12時46分、「水呑王子」へ着きました。    65番標識があり、「発心門王子」から1.7キロ歩いたことになります。「伏拝王子」までは、1.9キロとの表示です。    「水呑王子の碑」と水の流れが止まってしまっている樋です。澤さんの話では前回の大雨の後、水が流れてこなくなってしまったとのことでした。     「水呑王子」の説明文です。     この当たりがリゾート開発がされた時のバーベキュー場とイベント用の舞台。今は、夢の跡のみ。    12時56分、古道らしい道を歩きます。     「蘇生の森 熊野古道」の碑があります。幾つかこの碑がありました。      13時5分、66番標識。      13時18分、67番標識。      綺麗な赤い前掛けが印象的なお地蔵さん      13時20分、地道に出ます。「発心門王子」から2.8キロ、「伏拝王子」までは後、800m。       「水呑王子」の押印です。

 13時30分、今時は珍しい「つるべ井戸」の横が68番標識でした。      13時33分、「伏拝王子」まで後、300m地点に来ました。      ここは「伏拝札場」で、江戸時代、紀州藩の「野中の伝馬所」の次の伝馬所であったところのようです。        13時36分、見晴らしの良い地点に来ました。「果無山脈(はてなしさんみゃく)」を一望する地点です。       説明文です。       
 
 13時40分、すぐそこに茶店が見えています。1時間少し前(12時23分)にこの地点を遠望し、あそこまで?といった感じを持ったことを思い出します。    このこんもりとした木がそれなのです。       
 
 13時41分、「伏拝王子」の茶店に到着です。添乗員さんが朱印を押してくれています。澤さんに言わせると、地元では「ふしょがみおうじ」とのこと。      まず、「伏拝王子」へ、そして、本宮方面が望める王子社跡へ上がります。       「伏拝王子社の石祠」       「和泉式部供養塔」       「和泉式部の伝承と伝えられる一首」       平成4年に「皇太子殿下」が来られた標識      「熊野本宮大社そして大斎原(おおゆのはら)」方面を遠望します。      2)        3)       4)「集英社ウィークリー・コレクション巡拝の旅2 熊野古道 和歌山」の写真で、「祓所王子」への途中にある、見晴台からのアングルです。「大斎原(おおゆのはら)と大鳥居」       と在りし日の「大斎原」の古絵図        
 
 この「伏拝王子」は第69番、標識地点です。       茶店で一息入れます。氷が入った冷たい「手作り紫蘇ジュース」をいただきます。         「伏拝王子」は今日の歩き旅の約半分の地点のようです。       14時5分、出発します。
     
「伏拝王子」の押印です。
 
 「伏拝王子」を出てすぐの民家の庭に、何年か前に放映されたNHK「ほんまもん」の撮影地との案内があり、   「家の横の階段を上がり、消えた後は、大坂でした。」との、語り部、澤さんのお話でした。
 14時7分、巡礼者の供養塔に手を合わせ、    14時12分、標識、70番を過ぎます。      14時15分、木立の中の一本に、「白河上皇」の御歌「山の端に しぐるる雲をさきだてて 旅の空にも 冬は来にけり」が掲げられています。      木々に囲まれた道を順調に歩きます。     
 14時27分、標識、71番を過ぎます。      橋を渡り、    「三軒茶屋跡」に着きます。      ここは古道が交わるところで、1面に「右 こうやみち 左 きみい寺」、他の面に、私達が歩く「左 本宮道」と彫られています。    その左、本宮道は、「九鬼ヶ口関所跡」で、澤さんが丁寧に説明してくれました。      14時33分、その門をくぐり、本宮道へ進みます

 14時43分、標識、72番。       14時54分、標識、73番。      そこから、「ちょっとより道 見晴台」への階段を登ります。       14時58分、「見晴台」へ着きました。      木々の間から「熊野川」が見えています。      展望台の先から大斎原の大鳥居も見えてきました。       2) 大斎原、大鳥居。        3) 大斎原 大鳥居。       しばらく、ここからの景観を楽しみました。「ようやくここまで来た。」との感慨も覚えます。空模様が怪しくなり始めました。


 15時15分、澤さんの薦めで、最終近い「中辺路熊野古道」を撮影します。      15時18分、標識、74番。       75番まで、後僅かな道のです
 
 15時22分、古道から民家が連なる地域へ入ります。本降りになってきました。       15時27分、標識、75番。今日の最終標識となります。      「祓殿(はらいど)王子」到着です。      「祓殿王子」とは。      「祓殿王子」の押印です。

 「熊野本宮大社」  熊野本宮大社本殿(集英社版から)      牛(頭天)王宝印(集英社版から)

 15時31分、拝殿を木の間越しに見られる境内に入ります。雨が少し強くなっています。全員の”禊(みそぎ)”がこれで済むかのようです。     「八咫烏(やたがらす)」を頭に載せた黒いポストが置かれています。    境内の「八咫烏」についての解説文です。      「熊野本宮大社拝殿」です。雨を避けるように拝殿軒先に入ります。     拝殿内部です。     お仲間達全員が拝殿に揚がり、宮司さんから「御祓い」を受けました。

 15時51分、宮司さんの案内で、「神門」を入り、その場で、熊野三山についてのお話をうかがします。また、参拝の順路について、「@ 第三殿 家津御子大神    A 第二殿 速玉大神    B 第一殿 夫須美大神   C 第四殿 天照大神     D 満山社 (結びの神 八百万の神) の順を確かめ、各自に参拝を続けました。     各本殿は改修中で、正面が遮蔽幕で蔽われているのが残念でした。   1) 境内     2) 各々がお詣りしている境内 

 修験者姿の一団(大峯奥駆道か「小辺路」かは不明)が本宮参拝に訪れました。    さすがに、豪快な法螺貝の音を聞かせてくれました。動画撮影で音を拾ってみました。   

 16時8分、「神門」外に出ます。早速、26日出産予定のマゴッチの為の「安産祈願の御守」を頂きます。     ここで、「熊野本宮大社」の説明板を読み、      後鳥羽上皇の御歌碑「はるばると さかしき峰をわけ過ぎて 音無し川を今日みつるかな」を読んでみます。     16時15分、階段上に集合。      「熊野権現」の奉納旗が並んでいる158段の階段を降ります。      階段を降りおえ、鳥居までの距離をはかります。      16時18分、表鳥居を出て、駐車場へ向いました。    「熊野本宮大社」の押印です。

 バスの中で、いろいろの物を頂戴しました。 
 中辺路観光協会・熊野本宮観光協会からは 「熊野古道中辺路完歩証明書」    
 熊野本宮観光協会会長からは 「完歩証明」の木札」     「熊野古道 花の写真集 花と歩く旅」 中の花は 1) テイカカズラ      2)ムロウマムシグサ    3) ネジバナ     4) イタドリ 御弁当に入っていました。食感がよく、美味しく炒められていました。
 熊野本宮大社からは、参拝記念の「大小2本の御箸」   特製ファイル 1) 熊野本宮大社写真      2) 干支色紙      3) 平成25年の一文字「翔」(はばたく)
 
 連休3日目、朝のドライブインには白浜方面への海水浴客と思われる若者が多数いました。その方々と帰りが一緒になったのでしょう、「阪和自動車道」あたり(田辺から御坊)が大渋滞とのことで、バスは山道に入り、有田を目指すことになりました。そんなこともあり、京都駅前への到着は21時過ぎ、開いているお蕎麦屋さんで、京都以外にはあまり見受けない「きつね丼」を頂戴し、22時過ぎの高速直通バスでの帰宅となりました。

 3月から7月まで、嫁さんと、無事に5回の「熊野古道 中辺路 歩きの旅」が完結できたことを素直に喜んでいます。
 ただ、今回は「滝尻王子」からの「中辺路」を歩いたのみで、昔の人々、特に平安貴族達は皆、「京都・城南宮」から「九十九王子」(つくもおうじ)(くじゅうくおうじ)を経て、熊野本宮へお詣りしたことを考えると、正直、不甲斐無さを感じてしまいます。 (完)

  




岩上峠への登り道。こんな道が1時間続きます。
 [第4回 熊野古道・歩きの旅]

2013年6月12日
 前夜まで、これほど天気予報が気になったことは、久しぶりのことでした。台風が北上し、11日の朝の時点では、紀伊半島を直撃する勢いとの報道がなされていたのです。でも、午後からの予報は、台風の進路が東にずれた為、直撃は免れ、大坂から和歌山県は昼から晴れ、東からの風のため、紀伊半島の東部分は強い雨が予想されると変化して来ていました。丁度この日、息子夫婦とマゴッチの梨央ちゃんは「ながしまスパーランド」へ前夜から行っており、そちらの方は逆に心配が出てきていました。

 [第4回]は全5回のこの「歩き旅」の内で、最もタフと聞いているコースです。   小広王子(コビロオウジ)(スタート)・・・◎蛇形地蔵(ジャガタジゾウ)・・・◎湯川王子(ユカワオウジ)・・・◎猪鼻王子(イノハナオウジ)・・・◎発心門王子(ホッシンモンオウジ)(ゴール)  6月 難易度 ハイキング中級(トレッキング初級)(約11km 標高差 約350m)  (一部、迂回路となるため「岩上王子」へは行けません。)

 それでも、雨具の用意は万全にして、朝 5時10分、家を出て松井山手駅へ向います。「大坂梅田芸術劇場」前の7時の集合時間15分前には到着していました。

 7時10分に茶屋町駐車場を出発、難波で難波から乗車の方々を乗せ、35分には出発できました。この日、大坂は朝から快晴。空気が澄んでいるため、写真撮影にはもってこいです。高速道路から 「通天閣」を(7時42分)。  8時24分 「関空 連絡橋」を。  神戸の山々もくっきりと写っています。 「紀ノ川SA]の花壇の花々は最近の日照りの為か、見る影もありません。紀ノ川方面のワイド撮影をしています

 その快晴も、「湯浅御坊道路」、「阪和自動車道」を過ぎる頃怪しくなってきました。田辺市の上富田町に入ると上空は厚い雲に蔽われています。10時50分、「古道歩きの里 ちかつゆ」に着くと、霧雨が降り出していました。ここで、昼食のお弁当。   地図で今日の行程をチェックします(今日は標識40番から61番までの行程です。)。    バスで前回の最終地点「小広王子」へ向いました。

 「小広王子」は、強くはありませんが、風交じりの雨降り。各々、雨具の着用となりました。

 11時50分、古道の細い道に入ります。   グループの後続の方々は、未だバス道路を歩いています。   11時57分、標識 41番。今日は 61番までということを、語り部の松本さんから知らされます。ここから、10キロの道のりです。   雨の中を歩きます。    12時丁度、ここにも「お地蔵さん」が祀られています。    小広王子から600m歩いてきました。ここからは「熊瀬川王子」へ向います。     12時05分、「熊瀬川王子」に着きました。   「熊瀬川王子の解説板」。     12時12分、「一里塚跡」。   その解説板。      12時18分、標識 42番に。     12時24分、「草鞋峠」(592m)へ着くことが出来ました。小広王子からは一旦沢まで降り、それからの登りですから、標高差は不明ですが、時間は30分程度の登りであったと思われます。。    30秒後に、後続のお仲間が到着します。     草鞋峠からは、もちろん降り12時36分、標識 43番
     
 12時48分、一昨年の台風の為不通になっている「岩上王子」への道を避け、「迂回路」を紹介する地点に来ました。語り部さんによれば、復旧の目途は未だに立っていないとのこと。そして、迂回路は大変キツイ道のりであることを知らせてくれました。「蛇形地蔵」までは1時間30分の行程であることを記しています。    671mの「岩上峠」まではキツイ登りが予想されます。     しばらく、平坦な広い道を歩き、12時57分、迂回路に入ります。     沢を渡り、     花のトンネルを抜け、     13時丁度、いよいよ本番の登りに差し掛かります。先行グループが上方に小さく見えています。     13時33分、厳しい登りは続いています。      13時38分、標高を順調に稼いできていることを、周辺の山々が知らせてくれます。       登りの終点が近づいてきました。      13時44分、登りは続いていますが、杉木立の中に入ります

 14時16分、「蛇形地蔵」まで、1.2キロ地点まで。      14時18分、「岩上峠」(標高671m)に着き、各々が一息つく場面が現出しました。この間、標高で約200mの登り道でした。迂回路の表示からここまで、1時間30分かかっています。登りがきつくなると、お仲間の口数が少なくないり、前を歩く人の足元だけを見ながら登りに専念することになります。そんな1時間でした。キツカッタ!!!
 
 そして、14時33分、「蛇形地蔵」へ。迂回路表示からは1時間45分ほどかかったことになります。    「蛇形地蔵」をお祀りしてあります。     不鮮明ですが、お地蔵さんと背後の蛇形模様のある光背?      解説板です。     「蛇形地蔵」の朱印。      14時38分、平地に近い地形での川の流れが懐かしく感じられます。      雨はすっかり止み、木漏れ陽が苔と落ち葉、枯れ枝を照らしています。思わず、シャッターを押してしまいます。      14時42分、標識 51番です。ようやく今日の歩きの半分を消化しました。まだ、5キロ強の道のりです。      「湯川一族の墓地」を案内する掲示板がありました。     この地は湯川秀樹博士が婿養子となった湯川家の故里とのことです。     「湯川王子」    「湯川王子社」     その説明板です。      「湯川王子」の押印です。      15時丁度、標識 52番です。      15時19分、湯川王子から800m、「猪鼻王子」までは3.5kmの標識です

 15時20分、急な坂を登り、広い舗装道路にでました。「三越峠」(552m)に着いた模様です。湯川王子が標高400m、150mの標高差を登りました。     標識 53番の向こうに、それを示す「門」が。     「三越峠関所」の表札が書かれています。     「三越峠」の説明板       ここで、大休止。各々がようやく寛げる雰囲気になりました。      今日の終点「発心門王子」までは、まだまだのようです

 15時33分、大休止を終え、出発です。しばらく、下り道が続きそうです
 
 15時46分、標識 54番。      15時50分、 橋の下の流れは、落差がある滝になっています。       15時56分、標識 55番。       16時3分、一昨年の台風による大雨での土砂崩れの跡。これからの大雨ですぐにでも、更なる土砂崩れが発生しそうです。植林した木々はほとんど根が張っていません。これが斜面を弱くしてしまっている原因なのでしょう。        16時10分、標識 56番。       16時15分、「三越峠」からは1.8キロ降って来ました。「猪鼻王子」までは1.7キロ地点です。      16時20分、 標識 57番。      16時28分、 標識 58番。この間、500mを8分かかっています。       16時34分、「三越峠」からは3キロ、「発心門王子」へは、1.3キロ地点ですが、途中、「猪鼻王子」へ寄ってゆきます。この地点はまた、「赤木越の道」(「なべわり地蔵」・「柿原茶屋跡」を経て、「湯の峰温泉」へ続く道)の起点ともなっているようです。

 16時36分、「船玉神社(ふなたまじんじゃ)」(熊野本宮大社の奥の院とも伝わる船の神様)が見えてきました。      右手に「お稲荷さん」、左手に、「船玉神社」がお祀りしてあります。      「献詠歌」(病む老父を負いて詣でし秋熊野 音無川に紅葉映え見し 熊代敦子)の碑があります。       空梅雨が続き、すっかり水流が少なくなってしまっている「音無川」。語り部さんは「こんな筈ではなかったのに」と嘆いていました。     

 16時47分、林道から「猪鼻王子」への分岐表示。猪鼻王子までは100m地点。      この道を下ります。       16時49分、「猪鼻王子」へ着きます。       綺麗な押印台が準備してあります。      「猪鼻王子」の説明板。      「猪鼻王子」の押印です。      16時52分、標識 60番。後僅かな道のりのはずです!!!       16時58分、「発心門王子」への最後の登り道地点へやって来ました。発心門王子への到着時間を17時と予定している語り部さんは、この坂を一気の登ろうと考えています。もちろん、賛成です。     最後の登りを始めました。あと、400mです。       17時7分、 今日、最後の標識 61番 です
 
 17時9分、「発心門王子」の鳥居が見えてきました。11分で400m登りました。       17時10分、「発心門王子」到着です。      境内の藤原定家の歌碑
いりがたき みのりの門はけふ過ぎぬ 今よりむつの道に帰すな)とイチイガシ(ブナ科の常緑高木)。       朱塗りの「発心門王子社」です。       発心門王子の説明板。      「発心門王子」の押印です。
 

 発心門王子(ほっしんもんおうじ)は、九十九王子のひとつ。五体王子のひとつ。
 発心門と言う語は山岳信仰における四門修行に由来する。四門修行においては、山上の聖地に至る間に発心・修行・等覚・妙覚の4つの門を設け、それらを通り抜けることによって悟りが開かれると説かれた。このとき、発心とは発菩提心、すなわち仏道に入り、修行への志を固めることを意味する。すなわち、発心門とは聖域への入り口を意味しているのである。(以上 ウィキペディアより)

 皆さんのホッとした気分が顕れている1シーンと言えるでしょう。木々の向こうに迎えのバスが見えています

 17時20分、「発心門王子」を出発。168号線に入り、熊野川沿いを走り、本宮近くを通り、311号線へ右折、「古道歩きの里 ちかつゆ」へは18時過ぎ、お土産を予定していた嫁さんはガッカリ!!!でも、娘、息子夫婦への小梅のお土産は、閉まったお店を開けていただき、幸いにしてゲットすることが出来ました。梅田への到着は20時30分近くとなってしまいました。

 今回の5回にわたる「熊野古道歩きの旅」の内、最もタフであると聞いていたことは、全くその通りでした。(5回目は来月ですが、推測は十分に出来ます。) 語り部さんの「歩くことに、堪能しましたか?」との問いかけに、「十分過ぎるほど堪能しました!!!!!」と即答できる私達でした。

 

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牛馬童子の可愛い姿
  [第3回 熊野古道・歩きの旅]

2013年5月10日
 
空模様が心配となる日となりました。でも、比較的楽な道ということで、前回の語り部・山中さんから、第3回の道は「姫の道」と名がついていると言われています。標高差が200mということで示されています。

 今回[第3回]は 牛馬童子ふれあいパーキング(スタート)・・・◎牛馬童子(ギュウバドウジ)・・・◎近露王子(チカツユオウジ)・・・◎継桜王子(ツギザクラオウジ)・・・◎秀衡桜(ヒデヒラサクラ)・・・◎小広王子(コシロオウジ)(ゴール) 5月 難易度 ハイキング初級(約10.6km 標高差 約200m) 


 
11時丁度に、「牛馬ふれあいパーキング」に到着、少しだけ休憩のうえ、11時20分、「牛馬童子」へ向けて出発します。登り道です。 11時33分、標識には、「牛馬童子」を経て、「近露王子」まで、1.0キロと記されています。   11時45分、「和歌山より26里の一里塚跡」標識。    「望郷の箸折峠 ゆりかおる」の句碑。     
 11時49分、「牛馬童子」へ着きました。    牛馬童子(牛と馬の2頭の背に跨る僧服の花山法王か?)と「役(えん)の行者(ぎょうじゃ)(小角)」の石像。    花山法王が埋経されたという「宝篋印塔」。    「牛馬童子についての解説板」     「牛馬童子の押印」       
 
 平坦な道を少し歩くと、11時57分、標識 25番の地点を通ります。    11時59分、眼下に、「日置川」が流れる「近露の里」が見えてきました。    下り坂です。12時04分、「牛馬童子像」から200m、「近露王子」まで、300mの地点にきました。     12時12分、「日置川」に架かる橋を渡ります。     渡り終えた地点に「なかへち美術館」の標識がありました
     
 12時15分、「近露王子」(標識26地点)へ到着しました。幸い、雨は落ちていません
 「近露王子」は王子の中でも最も早く現れた王子の一つで、後鳥羽上皇が和歌会を催したと記録されているとのこと。「近露王子」跡広場.。   「近露王子」石塔。     熊野古道和歌集の板版が在りました。藤原定家の近露王子を歌った歌「さしのぼるきみとちとせと見山より 松とそ月のいろにいてける」     幸いにも、雨はまだ落ちてきていません。お昼をいただきます。地元のグループが手作りしてくれたお弁当のメニュー表。     今日の弁当です。今回の旅のお弁当は3つ目になりますが、どれも大変美味しく頂いています。     「近露王子の押印」
 
 12時50分、「近露王子」を出発します。    12時57分、標識 27番地点は、バス通りとの分かれ道です。「比曽原王子」へも矢印方向に進みます。     13時丁度に多くの宝篋印塔・五厘塔が置かれた「野長瀬氏・横矢氏の墓所」に突き当たります。   南北朝時代に南朝への肩入れの歴史が記されています。     13時9分、標識 28番 横を歩きます。      13時18分、「比曽原王子(ひそはらおうじ)」への道をとります。      13時32分、雨が降り出しましたが、見晴らしの良い、高台を歩いています。      13時35分、標識 30番。10分程で、1キロ歩いたことになります。登り道では無かったのでしょう。      「日待供養塔」は庚申さんと考えてよいようです。庚申さん(お地蔵さん)は村々の境界には必ずあるようです。      13時45分、標識 31番。      13時50分、「日曽原王子」説明板前に着きました。      この辺と示された地点には何もみえません。坂上には「日曽原王子跡」と刻まれた碑があるようですが?

 14時3分、標識 33番。      14時9分、「齊藤茂吉氏の大きな歌碑」(いにしへの すめらみかども 中辺路を 越えたまひたり のこる真清水)に着きます。「野中の清水」です。   説明板があります。それによると今歩いている道は生活道路で、熊野古道は上の尾根もしくは林間の険しい道のようです。
 

 14時20分、「継桜王子」説明板に着きます。  横には、「継桜王子社」の鳥居と社への階段があります。  「継桜王子」の石塔、そして、巨大な杉が、この地の古さを感じさせてくれます。     木の枝が一方だけ(那智山の方向)に向いているこの地区の名をとった「野中の一方杉」もあります。    直ぐ横には、萱葺きの「とがのき茶屋」があり、  正面の障子に記された「とがのき茶屋」に風情を感じます。   「継桜王子の押印」

 歩くと直ぐに、倒された「秀衡桜」がありました。  何代目かの継桜なのでしょう。(押印帖には3代目との記載が)    解説文です。   
「秀衡桜の押印」

 14時54分、「阿倍清明の腰かけ石」との記載の立て看板があり、   上にただ平たい巌が置いてありました
 15時、雨が激しくなってきています。     15時03分、標識 36番です。下に道路がはしっています。     15時9分、ここにもお地蔵様が置かれています。      15時27分、標識 39番です。      15時33分、「小広王子(こびろおうじ)」の説明板に着きました。今日の最終地点ですが、史跡としては何もないようです。説明文も内容が読み取り難いものです。   ここに道路標識があり、次回の「熊瀬川王子」の道のりが、700mと記されています。       道の少し先に、標識 40番がありました。 次回台4回目は、ここからのスタートということになります。    15時38分、雨の中、駐車しているバスまで、歩いてゆきます。今日はここまで。!!!!!牛馬童子までの登りを除いては、車が走れる道路を多く歩いた今回は、疲労感が無い、「姫の道」でした。     

 





「大門王子」の朱色のお社。小さくとも緑の木立の中では目立っています。
  [第2回 熊野古道・歩きの旅]

2013年4月22日
 お天気、気温共に絶好のハイキング日和となり、また、「語り部」さんの山中さんの楽しいリードで本当に楽しい「歩き旅」となりました。距離が山道10キロ(「高原霧の里」までが2キロ、「熊野古道」の道のり8キロ)ということ、厳しい登り降りも十分にあり、最後の登りのではさすがに息の切れる場面もありましたが、多少の余力を残し目的地の「牛馬王子ふれあいパーキング」まで到着することができました。前回2日後から有った「ふくらはぎの凝り」は今回はありません。

 今回は [第2回] 中辺路行政局バス駐車場・・・高原霧の里(スタート)・・・◎大門王子(ダイモンオウジ)・・・◎十丈王子(ジュウジョウオウジ)・・・◎大坂本王子(オオサカモトオウジ)・・・牛馬王子ふれあいパーキング(ゴール)  難易度 ハイキング中級(約10.5km 標高差 約400m) 

 7時30分 梅田を 8時10分 難波を出発。「紀ノ川SA」で休憩。

 10時42分 大雨復旧工事が続いている熊野古道館手前に到着しました。    橋を渡ると「滝尻王子」です。     熊野古道館の周辺は木の葉の色など、1ヶ月前の趣からは少し変わった雰囲気はあります
 
 10時50分 「語り部」のお二人が乗り込んできます。早速、自己紹介と熊野古道歩きの説明があります。動画です。

 11時05分 バスを下車し、いよいよ「高原霧の里」への歩き始めの地点です。    11時08分 橋を渡り対岸へ。      「語り部・山中さん」の指導の下で、対岸道路での準備運動を始めます。  

 11時13分 「熊野古道・高原霧の里」へ出発です。高原までは熊野古道ではありません。その高原までは2km。高原から牛馬王子ふれあいパーキングまでは8.5kmということになります。      11時23分 順調に登って行きます。第1回目に下ってきた道とは全く違った道で、快適な足取りで登ることができます。     11時29分 道ばたに「ぜんまい」が育っています。      11時47分 311号線が遥か下に見えています。     
 
 11時52分 「高原霧の里」水車小屋横まで着きました。約40分で、標高差244m、距離で2km登ったことになります。      八重桜が満開です。   11時53分 「高原霧の里」への到着です。

 早速、昼食のお弁当をいただきます。今回は幕の内風ではなく、竹の皮に包んだ、おにぎり、さんまずし、炊き合わせ、大きな梅干そして旬の筍の味噌汁が付いています。美味しくいただき、出発までゆっくりとします。
 茶店横の展望台からの景観案内。    左手    右手     藤の花も咲いています。    茶店内に「なかへち音頭」の歌詞が張られていました。

 12時28分 語り部山中さん曰く「天空に道」への集合合図がかかりました。       12時33分 「天空の道」へ出発です。

 12時38分 眺望が素晴らしい地点に、水田の水が溜められています。      12時40分 標識 8 地点に。標識7は「高原熊野神社」付近にあったようですが、第1回の折は、高原への到着の歓びからか?見落としています。いずれにしても、500mおきの標識のようです。    
12時41分 山中さんから「塩見峠」の説明があり、全員でその方向を眺めています。一番高く見える山の左手になります。塩見峠は文字通り、その先に海が見える地点ということなのです。      12時44分 高原地区の悪害、疫病を防ぐ為の境界を守る「庚申様」に着きました。高原熊野神社へ着く手前にはやはり、「庚申様」がお祀りされていました。       

12時50分 いかにも熊野古道に相応しい雰囲気の石畳の道を、語り部山中さんの後について歩きます。道が少しだけの登り、快適です。       12時55分 秋の紅葉の頃は絶好の紅葉狩りの地点。大宮人の衣装を着ての行列参加を勧められます。       13時丁度 9番標識。8番からのこの間、20分で500mの距離を歩いたことになります。紅葉狩りの地点で立ち休憩をしています。       13時07分 「壇が峯」 通称 「久良羅山(くららやま)」(標高506m)への遊歩道分岐の標識があります。後ほどには急坂を下ってくるこの道に出会います。       13時11分 10番標識。        13時15分 高原池(高原池)。高原地区の水源池で、幕末に紀州藩によって造られたとのことです。        13時24分 高原熊野神社から1.7km、大門王子まで、0.1kmの地点まできました。       

13時29分 11番標識。大門王子の赤い社殿が見えています。       13時30分 標高586m(高原からは249m登っています)の「大門王子」に到着しました。         大門王子の解説板です。        社殿へお詣りする人、添乗員さんは我々皆の押印帖と格闘してくれています。        13時35分、大門王子を出発します。 

 熊野古道中辺路押印帖「大門王子」押印。(享保8年、1723年に紀州藩がすでに社のなくなっていた王子社に緑泥片岩の碑を建てた。その碑と並んで宝珠と笠の失われた滝尻王子と同じ笠塔婆が建つ。大門王子には、熊野本宮の鳥居があっただろうと言われている。)

 13時43分 急な斜面に杉が植えられ、矢のように天空に突き刺さっています。       13時46分 12番標識。少し降りの道を快適に。      13時53分 眺望の良い地点を歩きます。分水嶺となっている地点です。連なっている山々が感動的です。        

 13時58分 13番標識です。     「段築」部分を歩きます。山の峠部分(山と山との谷間に当たる部分)に土砂を積み上げ、堤を築いて道とし、両側に木を植えています。この工法を「段築」と言うとのことです。       

 13時59分 熊野のキーワード、”癒す”、”満たす”、”甦る”。動画です。

 14時08分 14番標識は「十丈王子」です。      「十丈王子」の石塔        「十丈王子」別名「重點王子(じゅうてんおうじ)」の説明板       この地点は峠にあたり、平地が開けています。少し下には道も通じているようです。レスキューポイントにもなっています。       汚水浄化装置付きのトイレ     とその解説図です。      世界遺産を守る努力の一つと言えるのでしょう。少し長い休憩を取り、14時20分、出発です。

 押印帖「十丈王子」押印。(重點王子ともいわれる。十丈峠にあり、江戸時代には付近に数件の茶屋があった。明治の末期まで村社として祀られていたが、他の神社に合祀され廃社となった。)

 14時35分 「小判地蔵」に遭遇します。      口に小判を咥えているのです。      解説板・参詣人で倒れて亡くなられた方々の戒名は皆「道休禅定門」ということです。口の小判は弔いの費用となります。     14時43分 15番標識です。      「悪四郎屋敷跡」の説明板。      14時54分 16番標識。       15時08分 17番標識。      15時18分 「上多和茶屋跡(かみたわちゃやあと)」。標高は約600m地点です。       15時20分 「まむし草」。これまで、あちこちで見かけていましたが、今回が最も「らしい」ものでした。       15時24分 18番標識。       15時32分 19番標識。 

 15時37分 この地に伝わる「三体月伝説(さんたいづきでんせつ)」についての説明板。    そして、大坂本王子まで1kmを切った案内標識です。       15時42分 20番標識。        

 15時44分 「逢坂峠」へ到着しました。車が通れる道と交差する標高396m地点です。        過って、この地で茶屋を営んでいた父を偲んだ文章が彫られています。       「逢坂峠」から大坂本王子までは厳しい下り道となります。まず、最も歩きにくい石段です。        15時54分 21番標識です。       16時 「大坂本王子」まで100m地点に標識がありました

 16時06分 「大坂本王子」へ到着です。久しぶりに谷川の流れを眼にします。        「大坂本王子」についての説明板です。       説明板にある「笠塔婆(かさとうば)」です

 押印帖「大坂本王子」押印。(逢坂峠の麓にあり、坂が急峻な為大坂の名がある。社地が辛うじて見られるが、ここに完全に整った笠塔婆が1基ある。

 16時12分 22番標識。        16時22分 あと僅か、川沿いの道を歩けるようになりました。        16時23分 23番標識です。今日最後の標識となるのでしょう。        猪から畑の作物を守るための石垣はこのあたりには点在しているようです

 16時27分 「牛馬童子ふれあいパーキング」へ全員無事に到着しました。ここから「牛馬童子」までは次回に800m登ることになるようです。         「牛馬童子ふれあいパーキング」ではお願いしておいた「草餅」を受け取り、その他のお土産を購入しました。皆、10.5kmを歩き続けた、安堵の表情で過ごしています。      ここでも案内図で今回の「熊野古道歩き」を確認。    16時50分 バスが出発し、大坂への帰路につきました。       

 「語り部の山中さん」が昨年春に、NHKの番組でダイゴさんを案内した時のエピソードを楽しく聞いているうちに、「熊野古道館」・「滝尻王子」に着き、ここで、「語り部さん2人」は下車、17時04分、楽しい話をしてくれた山中さんに、お別れをしました

 19時39分 通天閣の横を通り、20時少し前には西梅田へ到着することができました。 

 次回、第3回目は6月10日を予定しています。「語り部さん」によれば、「牛馬童子」から「小広王子」までの、約10.6km。「姫の道」という”優しい道”とのことですがどうでしょうか?




滝尻王子前の大きな石碑。ここから「中辺路歩き旅」が始まります。
 [第1回 熊野古道・歩きの旅]

2013年3月23日
 心配していたお天気も、今日は大丈夫のようです。前々から、熊野古道を歩く夢を持ち続けていたのですが、今回、トラピックスさんの「熊野古道歩き バスツアー」に始めての参加出来ることになりました。どの様な旅になるのか、5回全部に参加でき、無事に「熊野本宮大社」までたどり着けるのか?多少の心配はあります。嫁さんの足の具合、もちろん自分自身の足も心配の種となります。
 
 今回は [第1回] 熊野古道館・・・◎滝尻王子(タキジリオウジ)(標高 85m)(スタート)・・・◎不寝王子(ネズオウジ)・・・◎高原熊野神社(タカハラクマノジンジャ)・・・高原霧の里(標高 329m)(ゴール)  3月 難易度 ハイキング中級(約6km 標高差 約250m)

 以降は、時系列による写真を中心にした紹介記事とします。

 7時40分 梅田茶屋町駐車場を出発。
 7時46分 大阪市役所、府立図書館、中の島公会堂が車窓から
 8時29分 関空連絡橋が見渡せる地点を走ります
 8時40分 「紀ノ川SA」で今日始めての休憩です。   ラーメン大好き人間としては「和歌山ラーメン」のお店が気にかかります。    SA内には花壇があり、色とりどりの花々が
 
 9時57分 社内で「熊野古道巡り」ビデオがながされます。 熊野古道タイトル    熊野の山並み    熊野本宮大社    熊野速玉大社    熊野那智大社   などを聴取します。
 
 10時24分 昨年秋の大雨による土砂崩れの復旧工事と思われます
 
 10時25分 「滝尻王子」・「熊野古道館」へ到着です。  橋を渡り、「熊野古道館」へ。     入り口正面に展示されている、いにしえの貴族、貴婦人の参詣姿です。こんなに綺麗な姿での参詣とは思えませんが。    展示されてい「熊野詣全体図と熊野三山」    熊野三山と中辺路・大辺路    です。
 
 10時40分 「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道中辺路の碑」(後に滝尻王子の鳥居とお仲間の方々が写っています。)を撮影し、「熊野古道案内図」を確認します。滝尻王子境内を散策、昼食のお弁当をいただきます。特産品の大きな梅が添えられた美味しいお弁当で、お味噌汁の接待もありました。   今日は、トラピックスさんのバスが3台、私達はその2号車、46人のお仲間です。「語り部」の方は、1台につき、2名の方が担当してくれます。 滝尻王子鳥居前で、その二人とのご対面。   熊野古道の説明、注意事項の説明をうけます。   霊域への「基点」の標識。   「曲がりくねった参詣道を象徴するの標識」。    「滝尻王子」です。    境内の後鳥羽上皇の御歌(おもいやる かものうあはげのいかならむ しもさえわたる 山河の水)。   その説明をする石碑。    語り部さん主導の下の、出発前の準備運動です
 
 「滝尻王子」とは 
熊野九十九王子のうちで最も重要視された王子の一つで、社格の高い五体王子です。川の合流点[富田川(とんだがわ)が本流で、白浜近くで海にそそぎます。)にあたり、古道は背後の剣ノ山へ登りますが、ここが熊野の霊場の入り口とされていました。多くの参詣者はここの川でみそぎをし、社前で経供養や里神楽が行われたとされています。また後鳥羽上皇は和歌会を開いたとも言われています。
 
11時45分 王子の横を通り、いよいよ「熊野古道歩き旅」の出発です
。    11時47分 先に出発した1号車の方々は既に急な坂道に挑戦中です。    私達もいよいよ急坂にさしかかりました。     11時48分 私達のグループも急坂に挑みます。     11時51分 目の下に滝尻王子が見えてきます。      岩の下をくぐり抜けると女性は安産となるといわれている「胎内くぐり」の説明板      団体の旅のため、今回はくぐり抜けはありませんが、試しに覗いてみました。リックが閊えて上手くくぐれません。      12時12分 「乳岩」に着きます。   英文の説明書です。     巨大な「乳岩」の下に赤い襟巻きを着けてもらっている小さなお地蔵さんが置かれています。       12時19分 「不寝(ねず)王子」に着きます。     「語り部」のお話しの間に、添乗員さんが全員の「熊野古道中辺路押印帖」に印を押してくれています。次回からは各自の作業となります。
(滝尻王子から「剣ノ山」の坂道を400M登ったこの位置に「不寝王子」があります。九十九王子の中には入っていませんが、ネジ王子とい小社があったとも言われています。)     
 
 12時23分 「基点」から500M毎に置かれている標識「1」に着きます。同行の語り部方は休みを十分に取らせながら、ゆっくりとしたテンポで我々を案内してくれています。      12時27分 語り部さんが木の根道を紹介してくれました。     多数の蛇がのたうっている姿を想像し、寒気が忍び寄ります。      12時36分 眼下に出発地点が見おろされます。こんなに登ったのです。     
 
 12時47分 標識「2」に着きます。十分に休みを取っていますが、ほぼ1時間の登り道でした。     12時54分 「剣ノ山経塚跡」。     その説明板。       
 
 13時06分 標識「3」。     滝尻王子から1.5kmそして高原熊野神社までは2.2kmの地点です。      13時14分 「高原地区」が遠くに見える地点まで来ました。      「飯盛山(めしもりやま)」頂上付近、340mの地点です。      
 
 13時25分 下りの道を歩き、標識「4」の地点に。        13時43分 標識「5」の地点は高原地区への車道?に交差する地点です。     ここからは再度の登り道を歩きます。13時51分 「針地蔵尊」。     筒状の鳥居を作り奉納していた人々が手間、お金を省く為、3本の針で鳥居形を作り代用したことからこの名が付けられたとの語り部さんの話しがありました。       14時07分 今日の登りの終点となるNHKアンテナ地点に到着。語り部さんの労いの言葉を聞くことが出来ました。       
 
 14時09分 標識「6」地点。やや下りの道はリラックスして歩きます。お地蔵さん(庚申様か?)が祀られています。       14時13分 「高原熊野神社」までは0.4kmまで来ました。       14時14分 高原地区のむこうに紀伊の山々が連なっています。 
     
  14時15分 「高原熊野神社」へ到着です。      高原神社の来歴を読み       本殿にお詣りします。       朱塗りの本殿は新しげです。      変わりにいかにも古い巨大な「くすのき」が何本か境内に残されています。            
 
 14時35分 「ヨモギ餅」が大人気の「高原霧の里休憩所」への到着。見晴らしの良い展望台で休憩します。イーデス・ハンソンさんが住み、「家を買ったら、世界遺産になっちゃった?」 と話したといわれる高原霧の里地区の景観を眺めます。    正面、遠く、下方に国道311号線、富田川が見えています。      左手、水車が回ったり、止まったりしています。      右手、段々畑の向こうに、北方の山々が遠くに重なっています。     そして、動画では。      1号車の方々の後、15時に出発し、バスが駐車している地点まで降ります。

 バス停までの急なそして危険を感じる坂道を25分かけて慎重に降ります。第2回目はこの道を登る必要があります。大変なことになる予感がします。15時25分 川を渡り、バスの駐車場(古道の里)まで
 語り部さんの絶好のリードの御蔭で、今日はひざの痛みも出ず、無事に下山することが出来ました。有り難いことです!!!
 帰りのバスの中で、添乗員さんが頑張ってくれ、押印してくれた、3地点の記念スタンプが押された「熊野古道中辺路押印帳」を頂戴できました。
 
 1) 滝尻王子       2) ネズ王子       3) 高原熊野神社   です。

 帰りは道の駅で柑橘類を購入、「岸和田SA」で休憩。19時前には北新地横の地点に無事帰ることができました。 

 次回、第2回目は4月22日(月)に予約完了しています。お天気であることを祈っています。ここで、作者近況の欄にも載せましたが、トラピックスさんの「熊野古道の旅」の予定を再掲します。 

[第1回] 熊野古道館・・・◎滝尻王子(タキジリオウジ)*スタート・・・◎不寝王子(ネズオウジ)・・・◎高原熊野神社(タカハラクマノジンジャ)・・・高原霧の里(ゴール)  3月 難易度 ハイキング中級(約6km 標高差 約250m)
 
 [第2回] 高原霧の里(スタート)・・・◎大門王子(ダイモンオウジ)・・・◎十丈王子(ジュウジョウオウジ)・・・◎大阪本王子(オオサカモトオウジ)・・・牛馬童子ふれあいパーキング(ゴール) 4月 難易度 ハイキング中級(約10.5km 標高差 約400m)
 
 [第3回] 牛馬童子ふれあいパーキング(スタート)・・・◎牛馬童子(ギュウバドウジ)・・・◎近露王子(チカツユオウジ)・・・◎継桜王子(ツギザクラオウジ)・・・◎秀衡桜(ヒデヒラサクラ)・・・◎小広王子(コシロオウジ)(ゴール) 5月 難易度 ハイキング初級(約10.6km 標高差 約200m)
 
 [第4回] 小広王子(スタート)・・・◎蛇形地蔵(ジャガタジゾウ)・・・◎湯川王子(ユカワオウジ)・・・◎猪鼻王子(イノハナオウジ)・・・◎発心門王子(ホッシンモンオウジ)(ゴール)  6月 難易度 ハイキング中級(約11km 標高差 約350m)
 
 [第5回] 発心門王子(スタート)・・・◎水呑王子(ミズノミオウジ)・・・◎伏拝王子(フシオガミオウジ)・・・◎祓所王子(ハライドオウジ)・・・◎熊野本宮大社(ゴール)  7月 難易度 ハイキング初級(約7km 標高差 約200m)

 この他に、9月 [赤木越え]コース(発心門王子〜船玉神社〜なべ割り地蔵〜湯の峰王子)  [大日越え]コース(湯の峰王子〜鼻欠地蔵〜大斎原〜熊野本宮大社) があります。 


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