京橋会ジジ連の旅
伊豆半島へのドライブ旅行
2014年6月8日、9日
背景は「河津七滝・出合滝」です。



迫力の「浄蓮の滝」 クリックすると動画に変わります。
 平成26年6月8日(日)、「伊豆半島」へ

 2013年1月28日、29日の「真冬の飛騨高山・白川郷の旅」のページの始めに以下のように、「ジジ連の旅」の歴史を記しました。ジジ連の旅は更なる歴史があるはずと探してみました。

 
 1月28日、29日、幹事のS氏が「真冬の飛騨高山・白川郷への旅」を企画してくれました。もちろん、「ジジ連5人組」には逆らうものはおりませんが、丁度大型の寒波が襲来し、無事に「東海北陸自動車道」が通過できるのかが心配なだけです。

 「ジジ連5人組」の旅は今回が第20回目となりました。その間、幹事のS氏の尽力、他の4人の協力で、本当に楽しく、思いで深い旅ができた事に感謝しています。多くは「作者近況の欄です」内での紹介( 「2010年7月12日記の東尋坊」  「2010年12月16日記の下呂温泉」 「2012年2月記のはわい温泉」 「2012年5月14日記の鳥羽相差」等々 これらは「作者近況の欄です」で紹介しています)となりましたが、幾つかの旅は別ページを作ってきました。 「2009年7月、小豆島の風車のある風景」、 「2011年6月、神戸の休日」、  「2011年9月、さぬき金比羅さんへの旅」、  「2012年6月南紀白浜温泉への旅」、   「2012年8月16日 五山送り火を鑑賞する旅」、 「2012年11月1日 出雲大社をお詣りする旅」、 など思いで深いものばかりです。

 
2006年2月4、5日 「皆生温泉の旅」、確か、「松江城」まで足を延ばしたはずです。
 
 2006年11月18、19日 「伊勢・答志島」へ。夕方荒れる海を渡り、答志島へ。「伊勢神宮本宮・下宮」はもちろん、「斎宮歴史博物館」を訪ねたことを思い出します。(以上、「作者近況4」で、記しています)
 
 2007年12月8日、9日 「紀伊勝浦」へ。「くじら博物館」のイルカショーでのワンショットは偶然の産物でした
 
 2008年3月29日、30日 「三杉リゾート」へ。途中、近所の「普賢寺・大御堂の十一面観音」・奈良・桜井の「聖林寺の十一面観音」を拝観しました。

 2008年10月11日、12日 「休暇村 近江八幡」へ。比叡山に登り「延暦寺」を拝観、琵琶湖を渡り、「第三十一番札所 長命寺」へも。翌日は、舟で水郷を味わい、最後には近江牛を堪能しました。
 
 2008年12月29日、30日 「岸和田 スパリゾート リバティ」で、忘年会を。翌日は岸和田城とだんじりの展示を。(「作者近況5」で)
 
 2009年3月7日、8日 「三朝温泉 清流荘」 翌日は 「三徳山三仏寺」へ 雪が残っており「投入堂」は向かい側からの遠望となりました。

 

 朝、6時、「ジジ連・京橋会メンバー」長徳さん、岩崎さん、篠原さんの3人が、岩崎さんの車で家の前まで来てくれました。岩崎さんは大阪住吉区から来てくれているわけで、4時半頃、家を出たことになります。感謝!!!感謝!!!!!です。4人のメンバーで同じ地域に住む、辻本さん宅へ向かいます。ここで、辻本さんの車に乗り換え、6時30分、5人のメンバーは「伊豆半島の旅」へ出発です。
 第二名神の開通によって、辻本さんと小生の住む松井山手地域から高速道路へのアクセスが格段に向上しています。「第二京阪道」、「京滋バイパス」、「名神高速道」を少しだけ走り、「草津PA」の先から「新名神高速道路」へ入ります。

 
 7時30分、「土山SA」   「土山SA2」 に到着。住吉から来てくれた岩崎さんのことを思い、十分な時間を取ることとしました。
 
 8時10分、運転は辻本さんから長徳さんに代わりPAを出発、「東名阪自動車道」、「伊D]勢湾岸自動車道」を走り、豊田で「東名自動車道」に入り、9時50分、「浜名湖SA」に到着し、一息入れます。  「浜名湖A」     「浜名湖B」      「浜名湖C(浜名湖をバックに」      「浜名湖Dレストラン前で」
  
 11時30分、「富士川SA」到着。    11時55分、出発し 「沼津IC」で東名を降り、「伊豆縦貫自動車道」へ入り、「修善寺」へ向かいました。
 
 「修善寺」へ着いたのは、13時20分になっていました。  「修善寺温泉案内板」      「修善寺のとは」       「修善寺景色A」      「修善寺景色B」       「修善寺景色C」       「修善寺景色D」        「修善寺景色」E」       「河原の足湯の前で」       「修善寺本堂の前で」        「お蕎麦屋さんで遅いお昼を」

「浄蓮の滝」へ

 14時40分、「浄蓮の滝」着きました。       「伊豆の踊子像」       「見おろしの滝」       「見おろしの滝A」       「見おろしの滝B」       
 
 坂を下り滝の横に行きます。思った以上の水量で、迫力があります。         「浄蓮の滝A」        「浄蓮の滝B」        「浄蓮の滝C」         「浄蓮の滝D」         「滝から流れる川の横で、山葵が栽培されています」
 「滝へのアプローチで」         「滝へのアプローチ2」         「滝の前で」        「伊豆の踊子像の前で」
 
 「浄蓮の滝」から「河津七滝」までの間に「旧天城隧道」があったのですが、駐車場が分からず通り過ぎてしまい。「新天城隧道」を通り過ぎてしまいました。残念!!!

「河津七滝(かわづななだる)」へ

 15時45分、「河津七滝(かわづななだる)」の為の駐車場に着きました。 15時52分、滝のある川の横まで下りて行きました。       「出合滝の標識」        「出合滝A」        「出合滝B」        「出合滝C」       「出合滝D」       「出合滝E」        「大滝の案内(流れのすぐ下は大滝が流れ落ちています」        「大滝を上から」       
 
 一度、道路まで登ります。「河津七滝の周辺案内板がありました」       お店の人のアドバイス(そこまでは平たんな道とのこと)で「初景滝」まで、行くこととしました。  「全員の写真を撮ってもらいました(岩崎さんカメラ)」 
 「初景滝への道のり」         「このあたりの川の流れ」         「初景滝A」       「初景滝B」       「初景滝C」       「初景滝D」       「出合滝へ降りました」        「初景滝の伊豆の踊子像の前で」
 
 16時27分、「ループ橋」を撮影したくて、少し道を下りましたが、失敗でした
 
 16時30分、駐車場を出発、ホテルへ向かいます。16時50分、東伊豆の海岸線へ出ました。伊東のホテルまでは一直線です。  途中「伊豆大島」見えていました。(翌日は雲?霧?かで伊豆七島は見ることは出来ませんでした)
 

 17時50分、「大江戸温泉物語・ホテルニュー岡部」に到着、55分、幹事篠原さんがチェックインしています
 温泉を楽しみ、18時45分からヴァイキングの夕食を楽しみました。メニュー内容については文句はありません。21時からはもちろん、カラオケです。




「石廊崎」最先端 クリックすると、視野が広がります。
6月9日 伊豆半島海岸線を走ります。
 「城ケ崎海岸」へ
 7時から朝食です。
 9時20分、「城ヶ崎海岸」駐車場に入りました。まず、  「城ケ崎燈台」      「城ケ崎燈台の説明」へ登ります。
 燈台の上からの海岸線を撮ります。「A」下田方面の海岸線       「B」伊東方面の海岸線        「C」吊り橋も見えています。      
 燈台から吊り橋を目指します
 「門脇吊り橋」を渡ります。       「A」       「B」正面に燈台が見えています。         「C」        「D」波がはじける岩の割れ目。       メンバーを撮ります。 「E」「国立公園城ケ崎碑」をメインとして。    「Eメンバー1人交代 2」       「F」橋の中央でポーズをとる篠原さん        「G」今度は「アジサイ」がメインです

 車は伊豆半島東海岸沿いを走ります。 「A」        「B」          2012年7月10日、11日のクラブツーリズムで行った嫁さんとの伊豆半島旅行の折の宿泊ホテル「今井浜東急リゾート」前を走ります。       「2012年7月10日、11日の伊豆の旅」です。

 「玉泉寺(ぎょくせんじ)」へ
 11時05分、「玉泉寺」前に到着します。        
  岳真也氏の小説「幕末 
岩瀬忠震(いわせ ただなり)と開国の志士たち 外交官」の中の玉泉寺が初代米国総領事館となった経緯です。   
・・・「それでは、あらかじめ伝えておいてください。ぜひともここ下田に、わたくしどもの住まいを用意していただきたい・・・・良い返事を待っています。
 翌早朝、副奉行は森山とともに艀に乗りこみ、泡を食ってサン=ジャシント号にやってきた。そして、ハリスの待ち望んでいた言葉を口にした。
「仮の住まいを用意してあります。ただちにそちらへお移りください」 説明を聞くと、その玉泉寺なる寺院は下田の町外れにあり、とても満足できる場所ではなかった。が、とりあえず落ちつく場所ができたことに、ハリスは安堵した。
 ハリスはサン=ジャシント号の艦内で、下田の副奉行から言われた玉泉寺に移る準備をしていた。いっしょに行くのは通詞兼秘書のヒュースケンと、5人の支那人の従僕だった。 そしてハリスらが仮の住まいー「総領事館」に移ろうとしているころに、在府下田奉行の井上清直が下田についた。なか一日おいた8月3日の朝に、井上は通詞の森山らをひきつれ、ハリスのもとをおとずれた。・・・
 
・・・そのあと、ハリスは領事とは何かを丁寧に説明した。・・・・
 
そして8月5日、ハリスらは上陸し、6日には玉泉寺に星条旗を立てて総領事館とした。サン=ジャシント号は夕刻に出航していき、ハリスはヒュースケンとともに日本にとどまることとなった。
  以上が安政3年(1856年)8月6日のことで、「日米修好通商条約」締結への序章です。

 「米国領事館」跡の碑、       碑前での記念撮影です。        「玉泉寺」石段と門        「玉泉寺」本堂        玉泉寺が初代米国領事館となります        玉泉寺境内案内図        「米国総領事タウンゼント・ハリスの記念碑」         「記念碑上部」       「記念碑下部」        「英訳文 建立者が渋沢栄一であることに驚きと時代の古さを感じます」        「ハリス記念館入り口」もちろん、館内を見学しました。       「ロシア人墓所」への入り口         「黒船乗組員の墓所」碇が置かれています。         「墓所に収められている乗組員名簿」      
 幕末から維新にかけての歴史はその後の近代日本の歴史の原点として、再、再の勉強が必要で、井沢元彦氏の「逆説の日本史」では、「幕末年代史編」として何冊にも分け、丁寧に解説しています。維新以後については「明治維新からの半島の歴史」で少し触れています。まだまだ、本は読んでいかねばなりません!!!!!

 11時35分、下田港(湾内の観光船、海上保安庁の船が見えています)横を走り、「寝姿山ロープウェー乗り場」へ向かいます。        11時45分、ロープウェー乗り場に着きました。 
 11時50分、ロープウェーに乗り、寝姿山へ昇ります。        山上を巡る前に全員の写真を撮ってもらいました。       購入した全員写真と別の写真が入っていました。(A)         (B)         晴れていれば、見えるかもしてない伊豆七島の位置が描かれています。        下田港を俯瞰します。        「黒船来航」の模様が記されたポスターです。面白い!!!        「寝姿山」の標識         湾内を望遠で撮ってみました。       島の状況をアップで          時期は「アジサイ」です。        サツキが満開の「愛染明王堂」境内        
 皆様の記念写真です。 (A) 湾を見おろして        (B) 「寝姿山」標識の前で      「寝姿山」標識の前で2         (C) 湾の俯瞰と碇標識の前で        (D) 砲台で
 12時40分、ロープウェーを降りました。    伊豆半島の突先、「石廊崎」へ向かいます。

 「石廊崎(いろうざき)」へ
 13時04分、伊豆半島、石廊崎近くに近づきました。(A)         (B)          (C)          
 13時10分、「石廊崎」見学用の駐車場に着きました。「石廊崎灯台」への坂道を登ります。(A)        (B)        
 13時25分、「石室神社(いろうじんじゃ)」鳥居に着きました。         石廊崎灯台への道は、「石室神社」の参道です。     
石廊崎灯台は( 石廊埼灯台(いろうざきとうだい)は、静岡県の南伊豆町、伊豆半島の最南端、石廊崎に 立つ、白亜の塔形をした中型灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれている。周辺は、 富士箱根伊豆国立公園に指定されていて、壮大な太平洋のパノラマが展開している。ウィキペディア  )         石廊崎の突先にもお社(熊野神社)があります。         突先にある熊野神社。         突先に行く手前の岸壁の影に「石室神社」があります。        神社の由来版があります。
 
伊豆石廊崎鎮座 「石室神社御由緒」       東鏡(あづまかがみ)には長津呂碕(ながつるさき)、古くは伊豆ヶ碕ともいわれ、伊豆の最南端に位置し、付近の風波も荒く隠れた岩礁も多いことから、昔より航海者の最も警戒する場所のひとつであった。当社はその南端の岸壁に鎮座し長く海上安全、産業振興の神としてあがめられてきた。  創立は定かではないが5世紀頃に物忌奈命(ものいみなのみこと)を祀る神社として、秦氏により建立されたと伝えられている。その後、役行者(えんのぎょうじゃ)が十一面観音を合祀し、大宝元年(701)現在の場所に神仏合祀の石室神社を建立した。・・・
 石廊崎先端からの絶景 (A)       (B)       (C)        (D)太平洋の荒波が        (E) 「伊豆七島展望図」
 

 石廊崎でのジジ連。大海原の壮大さを心の奥まで感じています。 (A)        (B)        (C)        (D)      (E)        (F)        

 14時50分、駐車場を出発、西伊豆の海岸線を北上します。
 (A) 14時56分        (B) 14時57分        (C) 15時05分        (D) 15時20分 堂ヶ島へ        (E) 加山雄三記念館があります。         (F) 天窓洞の地上部分 (前回の船で遊覧した折は、洞窟内からの撮影でした。)       (G) 堂ヶ島港の全景         ここで、遅い昼食を摂りました。心太(ところてん)が無料サービスのお店でした。嬉しかった!!!!!
 16時05分、堂ヶ島海岸駐車場を出発
 
 16時35分、「清水港へのフェリーの発着港」土肥港へ到着しました。        土肥⇔清水港間は県道223(ふじさん)のようです。        フェリーが入港してきます。        フェリー船名は「富士」です

 フェリー船上から「晴れておれば富士山が見えるであろう方向」を撮ってみます。

 乗船前のメンバー(A)        (B) 一人が入れ替わりました。         (C) 篠原さんと「富士」       船上の岩崎さん(A)       (B)       

 帰りは長徳さんの運転での帰阪でした。ホントお疲れ様でした!!!遅くなりましたが、全員無事に帰宅できました。まず、一人目が私でした。
 また、ページ作成に当たり、岩崎さんの写真を使わせてもらいました。また、岩崎さんは別途に旅のDVDを作り、送ってくれました。感謝!!!感謝!!!!!!です。


作者近況の欄です9.