宮坂 典 さんを偲んで
平成25年12月12日 逝去されました。



祇王寺のお庭で
 12日、松本の中嶋氏から電話が入りました。「典さんが亡くなってしまった。」との連絡でした。ショックでした。10月末、白馬山麓での社研会の折、宮さんが典さんの転院のため「八方尾根リフト」への搭乗を諦め、帰京したということで、快方へ向ってくれるものとばかり考えていました。残念で、残念で仕方が無い!!!!!典さんの訃報でした。
 お通夜、告別式の予定が、加納氏からメールが入り、告別式への参列予定を連絡してくれました。近くに住んでいるのであれば、お通夜に駆けつけるべきですが、残念ながら、加納氏、中嶋氏と共に告別式への参加だけとなってしまいました。
 
 多くの花に囲まれた穏やかな笑顔の遺影と棺。出棺の前に、最後のお別れの挨拶はすることが出来ました。
 
 式の後、加納氏、中嶋氏、林氏と近くの蕎麦屋での長い思い出話で、無念さを確認しあうこととなりました。


 フィルム写真での記録は残念ながら散逸し、デジタル記憶での典さんとの思い出は、2005年(平成17年)からになります。
 同志社大学の先生であった故清水氏のご手配で実現することになった生涯一度の「舞妓さん」とお座敷での交流の折にともに楽しんだ記憶、銀閣寺道の「草喰 なかひがし」で宮坂御夫婦にご馳走になった記憶などは頭の中からは次々と引き出されてきます。

2005年11月3日
 今日は文化の日ということで休日です。久しぶりにページを更新する時間が取れました。10月22日は高校時代からの友人達と1年ぶりの会合で食べ、飲み、歌い、伴に大阪に宿泊し、翌日は京都嵐山、嵯峨野を散策しました。午前中雨が少し残っていましたが、その為にかえって嵯峨野の静かな佇まいを味わうことが出来ました。特に清涼寺では、特別拝観のご本尊国宝”釈迦如来立像”を拝む事が出来ました。この仏様は”生身釈迦(しょうじんしゃか)ともよばれインドで釈迦のお姿を模して作られたものを、中国北栄時代に作り直され、日本に渡ってきたものとされています。さすがにそのお顔はその後の阿弥陀様のお顔ではなく、印度人のものでした。その後は、じっくりとお庭を拝見する事が出来ました。全体としては紅葉は早すぎる時期ですが1部には赤くなった木々もあり、秋の風情を感じさせてくれました。祇王寺・常寂光寺を廻り、天龍寺の塔頭のひとつが営む”西山艸堂”で湯豆腐を御酒と伴に味わいました
 

 2005年(平成17年)10月22日、淀屋橋の橋の上に集合しました。この時のメンバーは、加納氏、中嶋氏、峰田氏、丸山氏と私の5名、船場吉兆での宴会には、宮坂夫妻、鬼熊夫妻が参加しました。病み上がりの鬼熊氏、奥さんとは吉兆で分かれ、北新地のお店・亀谷へ。

 その後に、典さんから届いたお手紙の中のこの時の短歌、10首。
 
 大坂の友に招かれ訪ねゆくあたふたと土曜日午後の新幹線に

 相応の風貌なりし八人が声かけ合えば青春となる  (吉兆での全員9人の写真です)

 この一年に友らは定年迎えおり互いに労い荒く祝しゆく

 病より回復したる一人にも心づくしの安堵の杯

 今もまだ癌と付合う者もいて談笑しながら願いのこもる   (故鬼熊氏とともに)

 闘病中の夫に添いてにこやかにつつましくいる妻なる女性   (鬼熊氏の奥さんも参加してくれました。峰田氏とともに)

 無遠慮に物云える仲間が今宵呑む「百年の孤独」哀しく美味し

 不条理な世に孤独は無縁ならずこの男らの定年に拍手

 「百年の孤独」その酒なのしあば琵琶湖就航歌あの時代(とき)のように

 無礼講それでもうたう終曲に「仰げば尊し」涙あうふれる  (北新地のお店・亀谷での宴)   (気持ちよく飲みながら)      (平成17年 秋の社研集まりにて)

 

 翌23日は、京都へ出かけました。
 
 京都駅からJRを乗り継いで、嵐山へ、嵯峨野を散策します。清涼寺、祇王寺、常寂光寺を訪ね、西山艸堂へ。

  清涼寺でのひとこま。    紅葉には少し早い時期でした。    回廊でお庭を背景に。    加納氏との談笑。     雨に濡れたお庭を

  祇王寺ではお庭の中で好い笑顔を撮らせてくれました。 

  常寂光寺からは嵯峨野展望を。     京都名物湯豆腐・西山艸堂での宮坂夫婦

  嵐山一体は「秋まつり」。舞妓さんの舞い姿も見られました

 清涼寺での特別拝観の「国宝御本尊釈迦如来立像」のお姿、雨が僅かに落ちている祇王寺のお庭の雰囲気を喜んでくれました。
    


 2006年(平成18年) 5月20日は、松本市の西山の中腹にある「ファインビュー室山」での宴会。安曇野が一望されるロケーションにあり、一夜、東京から戻り、家を松本市の東、山辺地域に建てた、故金井氏も参加しました。典さんの宴会への参加はすこし遅れていたのかもしれません。宴会での典さん     中嶋氏との歓談       金井氏の話に肯いているのでしょうか?
 翌日21日の付近の散策には宮坂夫妻は不参加でした。


 2007年(平成19年) 4月7日、8日はやはり、信州への旅でした。

2007年4月15日
 先週の土、日は高校時代のクラブの集まりで、松本へ行ってきました。関西からの同行の氏とは10時名古屋始発の”しなの”での落ち合いでしたが、幸運にも席が2号車の5番AとDで、隣に坐る人が居なかったことから心置きなく松本までの2時間話をする事が出来ました。その中には奇遇と言えることもあり、2人でビックリ!!
 お昼は知る人ぞ知る明科”高野屋”での信州そばを設定してくれていました。久しぶりに”ほんと!!”美味い蕎麦を食することが出来ました。ここのそばつゆは澄んでいて通常のつゆに較べ、たよりなげですが、ナンノナンノ十分のダシが効いていていました。若干待ち時間はあるのですが、蕎麦自体の味、つゆを漬けて食したときの味ともに満足の行くものでした。あまりの美味さに関西からの2人が追加注文したことで、さらに待ち時間が増え、後のスケジュールに支障をきたしたことは、申しわけ無い事でした。そして、この味には、感謝感謝です!!
 その後、長峰山頂上から安曇野を眺望し、母校(ひさしぶりの講堂)、最近できた学生会館などを訪ね、塩尻市の高台にあるこの日のお宿”アスティかたおか”で9人全員集合、心置きなく話し、食べ、歌う時間を過ごすことができました。松本の幹事さん方には、ホント感謝感謝です!!
 翌朝、塩尻市の東の高台にあるこのお宿から、松本辺りからでは望む事が出来ない日本アルプスの眺望を経験する事が出来ました。その写真を紹介します。
 1)今回の旅”松本しののめの道”
 2)塩尻の市街地の背景は雪をかぶった穂高連峰から常念岳のパノラマ。
 3)穂高連峰です。  

 4月8日 塩尻郊外の”アスティかたおか”からの北アルプスです。

 
1) 乗鞍岳(3026)から餓鬼岳(2647)まで。

 2) 穂高岳(3190)から常念岳(2857)まで。

 3) 穂高岳を望遠で。

 4) 常念岳を望遠で。

 
「アスティかたおか」の宴会場での全員の姿     丸山氏と会話する典さん    各々が食べ、呑んでいます。     別室でゆっくりと飲みなおし話は尽きません     ここでは松村氏となにごとかを      


2007年(平成19年) 10月21日、22日 信州・安曇野への旅でした。

 
10月21日、22日は信州、安曇野への旅でした。高校時代に同じクラブで過ごした仲間が集まり、気兼ねの無いひと時を過ごすことが出来ました。

 1) 松本市城山にあるアルプス公園です。少しですが、紅葉が始まっています。

 2) 安曇野市豊科にある通称”白鳥湖”に連れて行ってくれました。残念ですが、この日は見つけられませんでした。
    そのホームページからの抜粋です。
    安曇野の犀川のほとりにあるダム湖と遊水池の2ヶ所に、10月中旬頃からコハクチョウが飛来し始め、越冬し、3月末頃までに北方に帰ります。1月が最もたくさんの白鳥を見られる時期です。'02年度・'03年度は合計1000羽以上が飛来しました。'04年度は台風被災の影響で減りましたが、'05年度は日本海側の越冬地が豪雪でエサ不足のためか、過去最多の2000羽以上が飛来しました。'06年度は、梅雨時の豪雨で川の流れが変わり、ダム湖は立ち入りが制限されており、白鳥の数も少なめです。
     

 3) 22日朝、”ホテル・アンビエント安曇野”の部屋から常念岳、蝶ヶ岳を撮ってみました。


 4) 安曇野カントリークラブで4人の写真を撮ったついでに、撮ってみました。  

 来年4月には故人となったこの会友たちの奥様方とともに、京都で開催することとしました。

 宮さんのお世話で、「安曇野カントリー」の上にある「ホテル・アンビエント安曇野」に宿泊し、お料理、お酒、話を楽しみ、カラオケルームでは全員はしゃぎました。
 全員写真です。     皆で宴会を     カラオケルームのひととき夫妻で      丸ちゃんの熱唱を     加納氏とのデュエットだったのでしょうか  


2008年(平成20年)4月13日、14日 「京都・御所そして宇治・平等院鳳凰堂への旅」が実現しました。
 典さんは「なかひがし」を予約してくれたにもかかわらず、骨折ということで、で残念ながら参加できませんでした。
 

4月13日、14日は、高校時代に同じクラブで学んだ友人達など8名(松本は2名、東京は2名、関西は2名と関西在住であった故人の奥方2名)の京都での集まりでした。目玉は、予約の取りにくいお店で有名な”草喰なかひがし”で天然素材での美味しい懐石のお料理とお酒です。残念なことは、昨年11月に突然に亡くなってしまった仲間の不参加。また、半年前”なかひがし”を苦労して予約してくれた仲間がけがで不参加となってしまったことです。
 夕方6時から珍しい素材でのお料理が次々と提供され、その豊富さ美味しさに驚きあきれながら、お酒と会話が弾み、気がつけば時間は9時半となっていました。見事なお料理とこれぞ京都と言える雰囲気を提供してくれた、”なかひがし”のご主人、女将さん、またお店の方々に感謝、感謝です!!

 関西在住であった故人は、清水氏と鬼熊氏で、彼らの奥方が参加してくれました。鳳凰堂前で記念写真を撮らせていただきました。 

 歌集「たそがれの光」に載せられたこの時の典さんの無念さは。
  横着な階段掃除が招きしは我が身の思いがけぬ骨折
  集中力の欠乏とうとう露呈して声が聞こえる「年寄りの冷水」
  その瞬間スローモーション見る如く転落の記憶明細にあり
  「右腕の休業向こう三ヶ月」苦笑いしながら家族に話す
  待ちおりし春の行事を取りやめて窓越し遠く桜を眺める  等々


2008年(平成20年) 10月19日、20日は松本・城山公園からコハクチョウが訪れる犀川白鳥湖を訪ねました。宮坂夫妻は宴会からの参加となりました。 
 
2008年10月24日
 10月のスケジュールはとにかく一杯です。ページにしたい写真も沢山できており、順次まとめていきます。明日も午前中は孫の美緒ちゃんの稚児姿をカメラに収めた後、夕方松本で開かれる中学校の同級会へ出発です。昨年は出会うことが出来なかったコハクチョウと、10羽ほどですが、この19日は1年越しに、安曇野の犀川白鳥湖で遇うことが出来たのは感激の一言です。写真を紹介します。1) 遠望です。  2) 近づいて来ています。 

 夜の宴会と     話が尽きない飲みなおし時の様子  


2009年(平成21年) 4月12日、13日 京都、桜の満開のこの時期に怪我が全快した典さんが参加してくれ、前年のリペンジとして、「なかひがし」の予約も喜んで引き受けてくれました。
 
 
2009年4月18日
 12日、13日、2日間の友人達6人との京都旅行が終わりました。ソメイヨシノは1週間前に満開となっていましたが、枝垂桜と八重桜は満開、特に「平安神宮」の「八重紅枝垂桜」は本当の見ごろを迎えていました。良かった!!
 12日、3時に京都グランヴィアホテルに集合し、「平安神宮」・「金戒光明寺」・「真如堂」を回り哲学の道へ。銀閣寺下の「草喰なかひがし」で6時からの懇親会。食材に拘ったこのお店の美味しい懐石とお酒に酔いながらの会話は時間を忘れるほどのものでした。ホント小生は飲みすぎてしまったようで、友人たちがホテルの15階で再度の会話を楽しんでいる頃、部屋のベッドで気を失っていたようです。面目ない!!
 翌13日も好天気。錦小路で買い物をし、青蓮院で11時に落ち合う約束をした2人を残し、タクシーを使い5人で「将軍塚」へ向かいます。こちらの枝垂れ桜、八重桜ともに見事な満開。展望台からは多少春霞でもやっていましたが、京都市内を十分に堪能することが出来ました。山を下り時間があるようなので、「長楽寺」で一息入れることが出来ました。7人のメンバーが揃ったところで「青蓮院」「知恩院」をゆっくりと参詣し、1時過ぎに「豆皿懐石汁る椀豆寅」到着。「豆ずし膳」コースの舞妓さんの口にも合う大きさのお寿司と鯛の薄作り、筍の付け焼きをお酒のお供にゆっくりと会話を楽しみました。天気に恵まれホント良かった!!   
 
 前年の悔しさを取り返すように、本当に喜んでくれたこの時の典さんでした。

 2時半前、グランヴィアのロビーには小生を除くメンバー全てが揃ってしました。チェックインの後、タクシーで「平安神宮」に向かいます。「神苑」の紅八重枝垂れ桜は満開。尚美館では尺八と西洋楽器による演奏会も。「金戒光明寺」、「真如堂」を訪ね、哲学の道を歩き、「草喰 なかひがし」へ。美味しい料理、お酒、会話ですっかり酩酊させられました。
 13日は9時、タクシーで「将軍塚」へ。さくら、市内の景観を楽しみ、「長楽寺」・「知恩院」・「青蓮院」を拝観。祇園の「豆寅」でお酒付きの昼食をいただき、解散となりました。以下はこれらの写真集です。
 
 
1) 満開の枝垂れ桜です。ヒトヒトヒト!!   

 2) 栖鵬池を挟んで尚美館では尺八の演奏を  

 3) 栖鵬池の周辺はさくら!さくら!!  

 4) 将軍塚のさくらも!!  

 5) 将軍塚から平安神宮方面を見下ろしています。  

 京都の旅の折は、恒例のようになっている昼過ぎの京都グランヴィアホテルへの集合。
 「平安神宮 神苑」の散策は典さんのみならず皆の喜びが爆発したようでした。枝垂桜が満開です。
 笑顔で神苑の桜を愛でながら歩きます      枝垂桜の棚の下で振り向いてくれました     池を挟んだ景色を楽しみました     清楚な色合いの枝垂桜です     

 「金戒光明寺」へは歩いて  階段下の大きな門の前で記念写真を    「真如堂」の前でも     「哲学の道」を歩き、丁度6時に「なかひがし」に到着しました。
 「草喰 なかひがし」での、この日のメンバー     最初のお料理     お料理、お酒を存分に楽しむことが出来ました。典さんはお料理と雰囲気だったと思いますが。
 
 
 翌13日は、錦小路での買い物を楽しむ宮さん夫婦を残し、我々は「将軍塚」へ
 11時に「青蓮院門跡」で落ち合い、門跡寺院らしい景色を堪能    「知恩院」を通り、  「円山公園」を抜け、   「八坂神社」から「四條通り」へでました。

 お昼は、祇園の「豆寅」を予約していました。舞妓さんの口に合う大きさの豆お寿司です。  楽しんでもらいました。 

 この旅での典さんの短歌は、歌集「たそがれの光」に載せられていました。

  朱の鳥居白砂の庭に息をのみ列に連なり神苑に入る

  雲もなき空を優しく遮りて桜静かな時間を刻む

  広大な池の廻りに調和して枝垂桜に午後の春の陽

  のびやかな尺八の音に春の曲若き桜の傍らに聴く

  神苑を巡り出できし余韻にて各々たのしむ言葉少なく

  黒谷の塔頭並ぶ路ゆけば西に傾く春陽眩し

  青楓豊に揺れる真如堂日傘さしゆくゆるき石段

  くずれかけの土塀に少し惹かれながら哲学の道へ急ぐ下り坂

  「我思う故にわれあり」ONにする桜と夕闇溶け合う道に

  刈り込みし躑躅のみどり陽に淡く白書院に座して観る庭

  つつましき鐘楼に撞く音響煩悩わずかに鎮められてゆく

 「旅の写真は」


2009年(平成21年)11月24日、25日 京都の秋を楽しむ旅でした。24日は、大坂の水上バス、大阪城、そして、珍しい鹿肉のお刺身を食する天然鳥獣料理とお酒を楽しみました。

 
2009年11月27日
 24日、25日の友人達との大阪・京都での交歓会は無事に終えることができました。というのは、もちろんお天気が最大の要素です。24日、13時に大阪グラんヴィアに集合し、淀屋橋で水上バスに乗船。水都大阪を満喫。岸辺の桜の木々はまさに紅葉。(友人の一人が「セーヌ川の船による遊覧よりもこちらが上とのコメントまでありました。)大阪城に登り、やはり周辺の紅葉の景色を楽しみ、大阪城の歴史も詳しく知ることが出来ました。お城を下りた時と、雨が振り出した時が同時というぐありです。その後は車で、岸里にある天然鳥獣料理のお店「山女庵」でマスターが仕留めてきた鹿肉の三種のお刺身と塩茹での骨付き肉、その茹で汁をベースにしたお出しによるお鍋など、珍しく、しかも大変美味しいお料理を戴きながら、お酒、ホント活発な会話を存分に楽しみました
 翌、25日は予報が大はずれ、朝から好天気です。10時ころ「光悦寺」に到着。熱いくらいの日差しが照っています。紅葉の最盛期からはチョット遅れたようですが、それなりの風情はもちろん十分です。嬉しいことに、「源光庵」の紅葉はまさに真っ盛り。「迷いの窓」「悟りの窓」を通しての情景、庭園、鷹ヶ峰三山を借景としたお庭の情景はこの時期の他には無い素晴らしいものです。自然とお手入れをしてくれている人たちに感謝!!感謝!!!です。もちろん、我々と同じ感動を味わっている方々はホント、ギョウサン居られました。この日のお昼は京都駅八条口にあるのホテル内の「京料理・山水」で京料理の真髄をコンパクトにまとめた「御所弁当」を美味しくいただき、来春の再会を約して、京都駅で解散しました。よかった!!よかった!!!

 水上バスへ     大坂帝国ホテルを見上げます     公園内を歩きます      記念の写真を       再度別角度背景で    大坂城へ登ろうと     天守閣からの紅葉の景観     
  「山女庵」での全員です

 25日は朝からJRで京都へ。洛北鷹ヶ峯の紅葉をめざす旅です。
 
 まず、「光悦寺」での記念写真     境内で     もみじ葉一景     もみじ葉二景


 「源光庵」門前       「源光庵」の「迷いの窓」・「悟りの窓」     「源光庵」での一休み     中嶋氏がダウンしたのを思い出します

 「鷹ヶ峯」へは前年2008年大坂同窓若手会の行事で訪れた際の好印象の為です。「08年11月15日 紅葉の清滝・栂ノ尾そして鷹ヶ峰へ」
 
 春に続いて京都の秋を存分喜んでいただいたと思っています。


2010年(平成22年)の春は5月14日、15日 典さんは所要で不参加でした。  参加者は6名   故金井氏宅庭先で
 
2010年5月17日
 
信州への旅は、好天にも恵まれ、大変良き、また、思い出深い旅となりました。残念ながら、ゴルフのスコアを除けばの話となります。
 2007年11月24日急逝してしまったこの会の我々の仲間の家へ慰霊に行くことが出来、奥様と思い出深いお話が出来たこと。そのお庭から松本平そして白い雪をかぶった乗鞍岳を眺望することが出来たこと。
 松本の東、この会の仲間の家の裏庭であった山辺地区の山上にある中信地区の守護であった小笠原氏の居城であった「林城址」を案内され、始めて訪れることが出来たことです。その説明文です。
 宿泊場所である「大町温泉郷・立山プリンスホテル」へ行く途中の道からは雲が上がってきつつある瞬間が写った「鹿島槍ヶ岳」方面の写真が摂れ、国宝「仁科神明宮」を参拝することが出来ました。説明文です。
 ホテルの部屋の窓からの14日夕方の写真。 翌朝のまだ明けやらぬ雲ひとつ無い朝の写真。 好天に恵まれたこの旅を象徴しています。温泉に浸かり、美味しい料理でお酒をいただき、会話を弾ませ、恒例のようになっている歌を楽しみ、歌の閉めとして「校歌」を斉唱しました。幹事さんのご苦労には感謝!!、感謝!!!です。有り難うございました。


2010年(平成22年)11月29日、30日は 金井氏が京都洛北 「エクシブ京都八瀬離宮」を予約してくれた為、「比叡山」へ登ることとなりました。
 
2010年12月10日
 11月29日、「東福寺」の「もみじ」を楽しみ、「エクシブ京都八瀬離宮」へ宿泊、京懐石料理を堪能し、30日、「比叡山延暦寺」を参拝、坂本「滋賀院門跡」・「慈眼堂」も参拝、「鶴喜そば」でお酒、お蕎麦で、締めた旅の概略を「2010年”もみじ”を味わう旅 2」でまとめてみました。明日、明後日はジジ連の忘年会を兼ねた「下呂温泉」への旅です。最後は少し駆け足でのまとめとなりました。

 29日、グランヴィアに集合後すぐにタクシーで急行し、京都でも最大級の紅葉狩り客が訪れる「東福寺」の紅葉を楽しみました。
 お庭の紅葉      「通天橋」はヒトヒト    紅葉の木の葉の下で「通天橋」をバックに     「通天橋」入り口で      「龍吟庵」前の真っ赤な紅葉の前で         「龍吟庵」のお庭を 
 「エクシブ京都八瀬離宮」での夕食風景     全員で     お料理を待っています      前菜が運ばれました     お料理に夢中
 食後はカラオケで楽しみます    中嶋氏の熱唱に     典さんも皆からの要望で
 朝食を楽しみ     あさのエクシブ八瀬離宮      エクシブ八瀬離宮を後にします

 ケーブルで比叡山山頂へ     お山での典さんはマスク姿のためであったか?写真がありません。      天海大僧正を祀る「慈眼堂」     「慈眼堂」境内で     「鶴喜そば」店前      お蕎麦を頂くのかお酒を飲むのか?我々の常態ですが典さんは我慢してくれています                 
      


2011年(平成23年)春は「信州の鎌倉 塩田平 別所温泉の旅」、典さんは不参加でした。


2011年(平成23年)11月23日、24日は、奈良への旅となりました。

2011年11月25日
 23日、24日の高校時代からの友人達による、奈良旅行が終わりました。案内の大役を、おおせつかっているものにとっては今日はホッとするひとときとなっています。東京からはご夫婦で、松本から2人が来てくれ、関西に在住している2人を合わせて、6人のでの旅となりました。最近この旅は、春は信州、秋は紅葉の京都へとなっており、この春は「塩田平への旅・別所温泉・柏屋別荘」、  昨年の秋は「比叡山への旅・エクシブ京都八瀬離宮」を  楽しみました。今回は、始めて、奈良を散策することなり、関西在住の友人が(毎回この友人が泊まり処の世話をしてくれています。)三笠山中腹、奈良奥山ドライブウェイの途中にある「奈良 万葉若草の宿 三笠」を手配してくれました。奈良盆地が一望に見渡すことが出来る眺望は素晴らしく、お料理も、お風呂も十二分に満足させられるお宿であったことは確かです。 夕方6時半食事処からの夜景。     翌朝のロビーからの眺望。    23日は、興福寺で「阿修羅像」に見惚れ、春日大社では本殿間近での参拝、東大寺ミュージアムでは巨大な「不空羂索観音」を拝観。24日は「秋篠寺」、「大極殿」、「法華寺」を回り、昼食として新大宮駅近くの「そば切り 川名」で恒例、お酒つきの美味しい10割のお蕎麦を戴き、来春の行く先をチョトだけ打ち合わせをした後、近鉄新大宮駅前にて散会しました。楽しい旅でした。
 
 近鉄奈良駅前に集合し、歩いて、「興福寺」へ向いました。「猿沢池」でまず記念写真を     「興福寺国宝館」で、「阿修羅像」と対面、感動します      境内を歩きます      峰田氏とにこやかに談笑      まもなく春日大社鳥居です      「春日大社 神苑」前での宮さん夫妻      「春日大社」お詣り後       
「東大寺」へ  

 お宿は「奈良万葉若草の宿 三笠」です。宿から奈良盆地は一望      夕食はすき焼き皆ご機嫌の様子    やはり楽しい会食となりました。

 24日はお宿の前で記念写真を撮った後、タクシーで「秋篠寺」へ。入り口で立ち止まり撮影しましたが、宮坂旦那は一人早くも本堂域内へ。     秋篠寺本堂前で      木立の中をゆるゆると 
 歩いて平城京の再建なった「大極殿」を訪れます。     平城京域、強い風の中を「法華寺」へ    「法華寺」内での撮影     「法華寺」門前1景    「法華寺」門前2景 
 またまた、歩いて、お昼「そば切り 川名」。この旅の〆となりました。
  「寧楽の中心を散策します」
 

  歌集 たそがれの光              宮坂 ふみ

    寧楽にて

   興福寺

 境内の深い緑の一隅を 山茶花一樹白き輝き

 六本の細き腕にて何をせん 阿修羅がもとめるそのひたむきさ

   秋篠寺

 秋篠の椎の林の中に建ち 朝日に映えつつ静けき本堂

 本堂の連子窓に手を触れて 風蝕を語る長き時間

 仄暗き本堂の土間に踏み入りて 真近に尊像をときめき拝す

   大極殿

 風と光外には遮る何もなく 大極殿のまぶしい姿 

 風鐸は強き風に揺れながら 古人の音色をつくる

 復元を目の辺りにしたじろぐも 千古の歴史の秘めてきしもの

   法華寺

 浄土から吹きくる風か今日は荒れ 法華寺の南天たわわに白し

 蓮葉の光背をおう十一面観音 口びるにさす紅かすかにて

 晩秋の秋篠寺から法華寺へ 風ふく中を語らいてゆく

    ごめんなさい、上記短歌の写真セットは発信されませんでした。
    

  


平成二十三年 十二月二十三日・二十四日


2012年5月25日、26日は南信州へ旅しました。典さんは不参加でした。


2012年11月16日、17日 「京都大原・奈良西ノ京への旅」は典さんとの最後の旅となってしまいました。2013年の春、鎌倉へ、秋、信州白馬への旅は闘病中だったのです。

2012年11月12日
 高校時代からの友人達7人での、京都、奈良への旅が週末16,17日に迫りました。今年、5月25、26日、松本に住む友人達が「南信州の旅」を案内してくれたお返しの旅で、関西に住む我々2人が責任を持って果たさなければなりません。「草喰 なかひがし」の予約は東京のお仲間に頼っていますが。このところ、春は信州 (昨年春は) 、秋は京都、奈良が恒例となっていますので、楽しみながらのお勤めと喜んでいます。4日は、奈良、西ノ京「薬師寺」、「唐招提寺」への下見。8日は京都大原「三千院」への下見を嫁さんと行ってきました。もちろん、嫁さんも喜んでいます。京都での夕食は、京やさい料理で女性方に人気の、京都駅前の「接方来」でしたから。4日、「唐招提寺」の紅葉は  池の中の島に生えた小さい木の少し色ずき始めた姿    鑑真和上御影堂の木々の様子     8日、「三千院」客殿からの「衆碧園」の風情      「往生極楽院」前庭の色ずいた木々        は当日はどの様になっているのでしょうか?期待と不安が入り乱れます。

 定番グランヴィアへ集合後、バスで「大原」へ向いました。「三千院門跡」の「客殿」でお抹茶をいただきながら一休み、もちろんお庭の拝観も含まれています。縁側に並んで1景    2景     3景      紅葉と緑のお庭     赤い木の芽が印象に残りました      「極楽往生院」前で      ゆっくりとお庭を愛でながら      宮坂カメラマンの写真は?      西日が眩しい      「観音堂」の前で      「西方門」前の階段で全員をと思い、お願いした写真と成りました

 「寂光院」へ歩きます。最後のコスモスが道端の畑に      「寂光院」へつきました       門前で私も被写体に     「寂光院本堂」前全員で     素敵な景色のなか、各々の動きがばらばら         夕闇迫るなかの境内1景      2景       3景背景にはもみじが。

 定刻夕6時に「草喰 なかひがし」に到着。早速、最大のお目当てのお料理、お酒を頂くことになりました。「典さん、宮さん、加納氏、中嶋氏、松村氏、丸山氏、遠藤」の乾杯です。    お座敷風景を     前菜     吸い物椀の裏蓋の景色     お料理の1品特別誂えの裏蓋の金彩        典さん4景   1景     2景     3景     4景    お料理の後は、一階に降りてコーヒーと柿のデザートを戴き、〆となりました。 お宿は、グランヴィア京都、今や定宿と化しています。

 17日朝、近鉄線で「西ノ京・薬師寺」へ向いました。チョット、雨模様です。
 「中門」から「金堂」を見渡す門上での写真です     「金堂」の「日光菩薩」を見上げています     「「日光菩薩」正面には「薬師如来」、向って左には「月光菩薩」がおられます     薬師寺北門「興楽門」前で      皆揃いました     薬師寺「白鳳伽藍」から「玄奘三蔵院伽藍」へ      平山郁夫先生の玄奘三蔵の旅景色を偲ぶ大壁画を堪能し     「唐招提寺」へ向います

 「唐招提寺」境内で全員の記念       「金堂」への砂じゃりの道を      雨が少し強くなり、写真には不向きな状況でした。      「御影堂」前の様子       門内を見つめる典さん、宮さん、加納さんです        
 「唐招提寺 鑑真和上 御影堂」の白壁の上の景色にこの旅の別れを告げました      お昼はもちろんお蕎麦での〆でした。

 
時間は13時、タクシーで奈良市内へ向います。三条通りを東へ、JR奈良駅を過ぎると、日曜日は歩行者天国となる道も今日は車が入ります。大盛のお蕎麦の準備をお願いしている「霧下そば かえる庵」には15分遅れでの到着です。下見の時(ほぼ同じ刻限でしたが、お蕎麦が売り切れで食せませんでした。)と違い、雨のためか、お客さんが少なく、席は準備されていました。お酒を頂かない3名は早速、釜揚げ蕎麦などの注文をしていますが、呑み助4名は早速お酒の注文です。もちろん、お酒はお店のお勧めを頂戴します。まずは「冷や」で、そして「お燗」で。つまみはやはりお薦めの「三種盛り」、「冷奴」、「大根のお漬物」などで、十分に。
 弾む話の中で、次回幹事を考えている松本の友人が、次回の場所の検討を提案。来年は初めて、「東京では」との意見があがり、「鎌倉」、「夕食はイタリアン」が決定しまし、東京在住の友人に幹事をお願いすることとなりました。そこでようやく、4人はご主人こだわりの10割蕎麦、「大盛もりそば」を味わうことができました。私見では、お蕎麦もさることながら、付け出汁が絶品でした。
 14時半、お店を出ると、雨は土砂降りです。近鉄奈良駅へ向う1人とはここで別れ、6人はJR奈良駅から京都線へ乗車。京都駅から東京、松本へ向う4名とは、来年の再会を祈念して、木津駅で別れることとなりました。笑いずめの楽しい2日間、皆様に感謝!!!感謝!!!!!です。

 宮さんへ
 翌年の「鎌倉への旅」の時、典さんは闘病に入っており、この旅が最後のお別れとなってしまいました。鎌倉での再会を当然のように考えていた私たちの迂闊さに腹が立ちます。「誰にもある仕方がない旅立ち」、みんな「典さん」を忘れません、宮さん、残る「みんな」で生きましょう。 合掌

 
背景は「唐招提寺鑑真和上御影堂」の白壁と紅葉



 深志の友人達のへこのページアップの連絡をいれたところ、返信メールが入りました。各々、典さんとの思いでがあるようですので、以下に転載したいと思います。

 古見さんから
 

 早いものでもう一か月ですか。「典さんを偲ぶページ」遠ちゃんらしい思い、すばらしいですね。余りにも沢山で全部見るのに時間がかかりそう。

 典さんで思い出すのは、まだ私が東京同期会の幹事をやっていた頃、珍しく東京でなく伊豆の「北川温泉」で行うことになり、その時だけは宮坂に“お前は来なくていいからたまには奥さんを出せ”と言ったら本当に典さんが出てきたことがありました。この時が典さんの最後の東京同期会になりました。

 それから昨年4月の初め頃にお見舞いに行って病院で40分ぐらい長話をしたのが最後でした。その時は非常に元気でこれならすぐ良くなると思いましたが。退院した後もたまたま持って行ったスイカを良く食べてくれたと宮坂から聞きました。

 お互いもう他人ごとではない年になりました。
 “自愛”正しく我々のための言葉です。


 藤澤さんから
力作「典さんを偲ぶページ」をゆっくり拝見させて頂きました。私は多分典さんと授業を一緒した事も無いし、卒業後の会ってませんがいさちゃのページから典さんの人柄伝わってきました。

失礼ながら宮さんには 未だお悔やみも述べて居りません。

遅ればせながら典さんのご冥福をお祈り致します。  合掌

 中嶋洋ちゃんから
 
今回は宮坂典さんのメモリアルをありがとうございます。各シーンにみな思い出があり、それだけに典さんの早すぎる旅立ちは無念です。しかし、嘆いてばかりいては、典さんに怒られますし、今年は歳男でありますから、気持ちを新たにしたいと思っています。今年は格別寒い冬になりましたから、どうかご自愛ください。今日は13日会に出席してきます。  中嶋 洋一

 傳田さんから
 
やあ、何と言っていいか・・・・・生命の儚さ・・・70年は長いようで過ぎ去ってみると
あっという間ですね。我々夫婦も宮坂夫妻の案内で昨年2月鎌倉を旅しました。
その時は、腰が痛いと仰っていましたが、我々から見ると元気な様子でした。
その人が今はこの世に居ないとは・・・・・
遠藤さん、この写真を見ていると典さんが元気な時の様子が良く分かります。
きっと楽しい旅だったんでしょう。だからまだまだ残念でしょうね、彼女にとっては。
この写真は力作です。ありがとう!
                                         傳田 正彦

 塩澤さんから

 大変な力作ですね。語りの文章、写真、典さんの短歌、盛り沢山で午前中はこれで楽しませてもらいました。宮坂遊び人殿からは時折聞いていましたが、社研の皆さんがこれほど濃密でいい時間を持っていたとはちょっと驚きです。典さんはこの社研の会合以外の同期会にはほとんど参加されていません(小生の知りうる限り)のでさぞ喜ばれたことと思いす。

告別式の席で萩原(長谷川)喜久子さんが「私、典さんが逝って死がすごく身近になった」と、述懐していましたが、まさにその通りですね。大作送って頂きありがとう。                      塩澤

 清水さんから

 
遠藤さん お久振りです 
 典さんとは、在校中も卒業後も何の接点も持てませんでしたが、送っていただいた「典さんをしのんで」で彼女の魅力に触れることが出来ました 
 社研の同期の皆さんがこんなに素敵な時間を持っていたのですね 
 
宮坂さんとも、たまの同期会でお会いする程度で辛口冗談を言っていたので逝去のメールにはびっくりしました 
 お悔やみ申し上げますと、お伝え頂ければ幸いです 
 
遠藤さん 貴重な写真、典さんの短歌、しみじみ見させてもらいました 
 私にまで送ってくださって本当にありがとうございました                       あっちゃん清水敦子

 加納さんから

 
遠藤 勇 様
「典さんを偲ぶ」拝見いたしました。在りし日の笑顔を見るにつけ、
喪ったものの大きさが胸にしみます。春と秋、そして、故郷信州と
関西という季節と所を変えての社研の会の様々な場面での友との
語らいや歌声が昨日のことのように、想い起こされます。この会は、
清水氏、鬼熊氏、金井氏、そして、典さんをお見送りすることとなって
しまいました。宮坂大兄の心情はいかばかりかと思います。遠藤大兄
のお骨折りにより、典さんへの我々深志社研の会の残されたメンバー
全員の想いのこもった追悼の写真集ができました。天国で、典さんも
これを見て、きっと、我々に、「頑張って、生きなさい!」とエールを送って
くれるだろうと思います。厳しい寒さが続きます。遠藤大兄におかれても
奥様をご大切に!どうか、お元気で!有り難うございました。

 有田さんから

 
労作をありがとうございました。昨日の13日会(21名出席)でも中島、倉科両君とひとしきり 宮坂夫妻の話し時を過ごしました。
ところでアスティかたおかでの全員写真で松村君(中学の同級)の両隣と加納君の隣(なにか覚えのある顔ですが)が
わかりません。中島君は大きいのは14回の部長だと教えてくれましたが。     
合掌
有田

 1月16日、宮さんからご丁寧なお便りと頂戴しました。

遠藤さん

遠藤さんの大作を見て加納から丁寧なお見舞いのメールが入りました。また昨日はメールを見た古見澤が家庭菜園の野菜を持って改めて焼香にきてくれました。本当に有り難いことで人の情けが身にしみます。思えば社研の会もいつ始まったのか定かでないほど長い歴史があって貴兄の写真と文章でいろいろなことが思い出されました。典は女だてらにただ一人参加を許され他の深志の会にはほとんど出ませんでしたが社研の会だけは楽しみにしていました。こうやって貴兄の写真を見ていますと彼女が心底楽しんでいることが分かります。良いものを残してくれたと本当に感謝です。   有り難うございました。

宮坂髞





作者近況の欄です9