真冬の飛騨高山・白川郷 そして富山・金沢へ |
背景は白川郷・荘川・であい橋上からの眺めです。 |
![]() 黒丸PAには大粒の雪が降っています。 |
1月28日、29日、幹事のS氏が「真冬の飛騨高山・白川郷への旅」を企画してくれました。もちろん、「ジジ連5人組」には逆らうものはおりませんが、丁度大型の寒波が襲来し、無事に「東海北陸自動車道」が通過できるのかが心配なだけです。 「ジジ連5人組」の旅は今回が第20回目となりました。その間、幹事のS氏の尽力、他の4人の協力で、本当に楽しく、思いで深い旅ができた事に感謝しています。多くは「作者近況の欄です」内での紹介( 「2010年7月12日記の東尋坊」 「2010年12月16日記の下呂温泉」 「2012年2月記のはわい温泉」 「2012年5月14日記の鳥羽相差」等々 )となりましたが、幾つかの旅は別ページを造ってきました。 「2009年7月、小豆島の風車のある風景」、 「2011年6月、神戸の休日」、 「2011年9月、さぬき金比羅さんへの旅」、 「2012年6月南紀白浜温泉への旅」、 「2012年8月16日 五山送り火を鑑賞する旅」、 「2012年11月1日 出雲大社をお詣りする旅」、 など思いで深いものばかりです。 今回は「20回目のジジ連の旅」ということで、メンバーが、このページをより楽しんでもらうために、ポイントでのメンバーの写真をアップすることとしました。もちろん、メンバーの了解は取っています。 梅田茶屋町ツアーバス駐車場からの出発時間は8時15分。8時に着いた小生は仲間5人の内で最後。皆さん気合が入っていることを痛感します。 出発時間となり、添乗員Iさんから今回のクラブツーリズムバスツアー「今年はビール・焼酎・ソフトドリンク飲み放題!(60分)白川郷・飛騨高山・金沢・能登と富山温泉」はバス3台、約130人がお仲間であること、さらに、我々1号車は満席の46名、その内30名が香港からのツアーの方々との こと、2名が遅れているために内規により10分間出発を延期する旨のアナウンスがありました。その2名は間に合わず10分後バスは出発しましたが、その後なんと、その2人は新幹線、特急を乗り継いで、飛騨高山で合流したのです。そのアナウンスを聞き、バスの全員が拍手、拍手!!! 京都を過ぎると、道路脇には雪が積もっており、琵琶湖東岸を走り始めると大粒の雪が目立ち始めます。9時40分、バスは「黒丸PA」に入ります。10時25分頃、米原付近では、バスの前方が見えないくらいの大粒の雪が吹き付けています。 ところが、「名神」から「東海北陸自動車道」への分岐あたりでは、好天気に変化しているのです。東海北陸自動車道へ入り、11時、我々のバスもお仲間のバスに追いつき、順調に走るようになります。 好天気の長良川SAではジジ連5人組の記念写真を添乗員Iさんに撮って頂きます。 なんのなんの、「郡上八幡IC」(下呂温泉への旅の折は、ここで降りています。)を過ぎる辺りからは案の定、雪景色が復活してきます。12時05分、「高鷲(たかす)IC」近くを走るバスの両側は全くの冬。 12時20分、山は見事な冬の風情を香持ち出しています。このような有名作家の絵を観た様な記憶があります、。 12時35分、飛騨清見ICを降り、「中部縦貫自動車道」で高山市に向います。高山IC近くの「まつりの森」食事処で昼食。今回の旅の昼食はオプション。出発後にジジ連5人は「すき焼き御膳(1000円)」を頼んでいます。朝6時の朝食、13時10分、ようやくお昼にありつけることとなりました。”寒ブリも5切れ” (これはH夫婦とジジ連のみに分かる冗句です。)付いており、ご飯のお代わりも自由、納得のお昼となりました。 |
![]() 宮川に架かる朱塗りの中橋。橋の向こうは高山陣屋です。 |
飛騨高山へ 高山には3回目の訪問となります。もちろん、こんな雪深い時期ではなかったと記憶しています。友人との下呂温泉への旅の途中、今一度は、娘夫婦と嫁さんとで信州のあづみ野で1泊し、「中部縦貫自動車道」を通り、2泊目をこの高山とした時です。その折にこの町の佇まいを味わってはいます。でも、雪景色の風情はまた違ったものに映ります。今回はバスツアーということで、地域も時間も限られた散策となりました。以下はウィキペディアでの紹介です。 現在の高山市は2005年の周辺9町村の合併により、日本で最も広い市町村となりましたが、山林が92%を占めているため可住面積は限られえています。飛騨山脈の北側に位置する飛騨地方は、雪の多い日本海側の気候で、交通の便から隣接する富山県(越中)との経済的文化的な結びつきが強く、両者をまとめて飛越地方とよばれる。(今回の旅で納得しました。) 中世には市街地南東の城山に天神山城が築かれましたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨高山城を築城しました。元禄時代までは飛騨高山藩がありましたが、元禄8年(1695年)飛騨は公儀御料(幕府領)となり、鷹山城は破却され、城下に高山代官所が設置されました。 旧高山市中心部は江戸時代から城下町・商家町の姿が保全されており、その景観から「飛騨の小京都」とよばれています。最近は、「日本の原風景を残す街」として2011年3月発行のミシュラン・グリーンガイド第2版で3ッ星を獲得しています。 14時15分、「神明大駐車場」に到着。雪が積もっている中、「上一之町」界隈の散策です。雪で足が滑ります。お酒の試飲などをしながら、古い町並みを楽しみます。 1) 狭い道に向かい合い、肩を寄せ合うような風情十分の街の通り。 2) 町年寄の旧宅は喫茶店になっています。 3) 白く頑丈に造られた高山祭り龍神台の屋台倉庫。 4) 龍神台の解説。 5) 龍神台の写真。 6) 枝に積もる雪を額縁にした宮川と朱塗りの中橋 7) 中橋たもとの雪に埋もれる即位記念塔 8) 宮川の流れと両岸の冬景色。 9) 雪が降りしきる高山陣屋まえ。 10) 高山を離れる記念としての1ショット。 15時15分、高山を出発します。この時、添乗員さんから2名の合流を知らされます。その御努力にビックリ思わず拍手が起こります。 |
![]() 雪に埋まっているような白川郷の合掌造の家々。 |
白川郷へ 「飛騨清見IC」からの東海北陸自動車道はトンネルの連続、最後に長い「飛騨トンネルを抜けると「白川IC」。白川郷せせらぎ公園駐車場には16時10分の到着しました。ホント一面雪景色、ここは「萩町合掌造り集落」です。出発時間まで、雪に埋まる白川郷家並みを歩きます。 ここで、「白川郷」について、ウィキペディアでは 白川郷(しらかわごう)は岐阜県内の荘川流域の呼称である。大野郡白川村と高山市荘川町(旧荘川村)および高山市清見町(旧清見村)の一部に相当し、白川村を「下白川郷」、他を「上白川郷」と呼ぶ。今日では白川村のみを指すことが多い。白川郷の萩町地区は合掌造りの集落で知られる。独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定、1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。・・・と記されています。 ウィキペディアから写真を拝借。 秋の白川郷 冬ライトアップの白川郷 夏の明善寺 夏・合掌造りの家屋 参考として。 駐車場から荘川土手に上がります。前方に対岸へ渡るための吊り橋(であい橋)が見えています。 後方にも、小さく橋が。 「であい橋」の上から、雪に埋まりそうな合掌造りの屋根が見えています。 橋を渡ると、左手に「秋葉神社」、右手に菅笠などを並べたお店があります。 このあたりで添乗員のIさんに会い、5人での記念写真を撮っていただきます。折角ですから、クラブツーリズムの旗も。その前には、旗を持った彼女を真ん中にした写真を撮っています。 白川郷の中に立っての動画撮影です。 以下、萩町集落の写真です。 1) 雪の上に顔を出す案内板を頼りに道を進めます。 2) 明善寺庫裏とその案内板。 3) 明善寺鐘楼は雪に踏み潰されそうになったいます。 4) 雪の向こうに3つの合掌屋根が覗いています。 5) 周りに濠を供えた合掌造り民家。家の周り、そして落ちてくる屋根の雪を溶かすのに有効なのでしょう。 6) 4階までの窓がみられる典型的大型合掌の家屋です。 7) 長瀬家の来歴を説明しています。 8) 長瀬家。 9) 合掌屋根を背景にした記念写真です。 17時、白川郷を出発し富山市へ向います。白川ICからは山深い中をトンネルで潜ります。「椿原トンネル」、そして長い「袴腰トンネル」、「城端(じょうはな)トンネル」(両方を合わせると9.2キロメートル)を抜けると、日本海側の平地に出ます。 今回のホテルは「富山温泉・アパホテル富山」です。到着は18時20分、夕食は18時45分からと伝えられています。温泉は後にして、まず、60分食べ放題、飲み放題に挑戦します。料理を確保した後、乾杯1 乾杯2。 エビ、蟹で十分に満足するジジ連ではありましたが、ただ私だけは、かに・鳥鍋・ブリ大根・牛ステーキ・散らし寿司・サラダ をバランス良く、もちろん、ビールも十分に。満腹を幸せに感じ、さらに部屋でI氏持込んでくれた焼酎「隠し蔵」で楽しい反省会を行いました。 |
![]() 千里浜なぎさドライブウェー。快晴ですが、波は高く押し寄せています。 |
2日目 雨晴海岸・千里浜なぎさドライブウェー・金沢ひがし茶屋街へ 朝は6時からの朝食。前夜の暴飲暴食を忘れたかのようなジジ連メンバーは6時にはレストランへ集合。各々、お腹と相談したがら食材を選びます。 A氏のメニュー B氏のメニュー いずれにしてもどちらも食べすぎ!!! 食後に思わぬ事が起こりました。ロビーのソファーがある場所で5人で写真を撮ろうとしたところ、その場所でパソコンのチェックをしていた香港からのC氏が場所を譲ってくれたことから、会話が生まれ、皆が一緒のショットを撮る事となってしまったのです。さらに、その写真をお互いにメールで交換しようということで、アドレス交換まで発展してしまいました。その後、「ひみ番屋街」でお酒を飲み交わし、新婚旅行というお二人のお暑いショットを撮らせていただくなど、本当に楽しいお付き合いができました。 8時10分出発。「雨晴(あまはらし)海岸」へ向います。ウィキペディアによる説明は 富山県高岡市北部の海岸で、能登半島国定公園に含まれ、日本の渚百選に選ばれています。晴れた日には富山湾越しに立山連峰の3000m級の山々を望むことができ(サービスエリアガイド名神北陸道版から)、景勝地として人気があり、特に元旦には、初日の出を見るために多くの人が集まります。高岡市と氷見市を繋ぐJR氷見線が通っており、雨晴駅近くに義経伝説が残る義経岩があります。義経伝説とは、1187年義経一行が奥州平泉へ向う途中に俄雨が降りだしたため、弁慶が岩を持ち上げて、その陰で雨宿りをしたという伝説です。 ということで、添乗員Iさんからの説明もありました。 9時前には、「雨晴海岸」に到着。「立山連峰が観えるかもしれない?」との僥倖を求めて、 海岸に出ます。海岸横にJR氷見線が通っています。 海岸には「義経神社」がお祀りしてあります。 神社の海側には「義経岩」が伝承にあるような形で鎮座しています。 海岸の岩場から男岩(左の岩)、女岩(右の海岸よりの岩)そして富山湾の向こうの立山連峰方面を撮ります。うっすらとは連峰の姿が写っています。 義経神社前での記念写真です。 雨晴海岸を出発し、すぐに「ひみ番屋街」着きます。お土産物、飲食店が多くの棟に分かれて営業しています。地元の銘酒を味わうお店があり、C氏とチョットだけ飲み交わすこととなりました。ここに展望台があり、登ってみました。生憎の北陸特有の空、見晴らしは良くありません。 晴れていればこのように観ることができますよ!!!という写真が置いてありました。 10時15分、番屋出発、能登半島を横切り、羽咋市の「千里浜」へ向います。 千里浜なぎさドライブウェーには、10時50分に到着しました。 快晴の元での日本海、北に砂浜が延びており、遠く能登金剛方面が望まれています。 なぎさドライブウェーの碑を真ん中にしての記念写真。 海をバックにしての記念写真などを撮影します。 名残りとして、遠浅の海に打ち寄せる波を撮影。 10分程で、なぎさドライブウェーを走り抜け、金沢市へ向います。 石川県金沢市、能登半島の各地は30歳台、には本当に馴染み深い土地でした。仕事の関係で、毎月のように訪問していた時期もあり、また、「くらぶ35」などと勝手に名前をつけ、毎月資金を積み立て、この地の美味しい物を食べる旅をしていたことを思い出します。 12時15分、「ひがし茶屋街」駐車場に着きます。 「ひがし茶屋街」の周辺地図。 雪が積もるの道を歩いて、 茶屋街に入ります。 東茶屋街界隈 茶屋街地図 茶屋街の北東部には多くのお寺さんがあります。 200年前のひがし茶屋街創立時の絵図(木戸があるなど、お茶屋遊びの場であったのでしょうね)。 東山ひがし についてウィキペディアでは 東山ひがしは石川県金沢市の地区名。重要伝統的建造物保存地区であり、ひがし茶屋街の名称で知られる。南北約130m、東西約180m、約1.8haで、保存地区内の建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町屋が多く残る。 天正8年(1580年)、佐久間盛政が金沢御坊を攻略し金沢城を築城したのち、天正11年(1583年)、前田利家が入城し、金沢城下は城下町として栄える。 江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が並んだ。文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形の町割は改められ、整形な街区が形成された。・・・2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物保存地区として選定された。・・・ 2番丁の西端に向います。 渋い弁柄(べんがら)の色が粋なお料理屋さん、暖簾は加賀友禅なのでしょうか乙なものです?。 2番丁西端から東方向を眺めます。 右手の角は「鶴亀」というお土産物屋さんです。 お茶屋文化館(旧中屋)前でのジジ連。 旧中屋とは。 花街らしいポスターが眼を引きます。 2番丁西端での記念写真を。 約1時間、古き趣を堪能し、駐車場に帰ります。 国の重要文化財「志摩」が写っている雰囲気が伝えうる動画。 |
「世界のガラス館」へは、14時10分に到着しました。広い敷地と駐車場は一面雪に蔽われています。 正面に立つと、なんとも、豪快な建物であると感じ入ります。 内の巨大なシャンデリアにその感をさらに強めます。 広い館内には各種のガラス製品が陳列され、販売されています。 「宙吹きガラス体験」が出来る施設もあり、技術者が実演をしています。見事なものです。 隣接して、「加賀おかし館」と「加賀ビール館」が建っています。 加賀IC近くの「つきうさぎ」をマスコットとするお菓子屋さんでは、マゴッチ2人に小さな「つきうさぎ」をお土産に買い求めました。「マゴッチにささやかな付きがあるように」との願いからです。いつもの旅では、「御守」をいただくこととしていますが。 帰りの高速道路は「賤ヶ岳SA]付近での雪による多少の渋滞はあったものの、順調に走行ができる状況で、最後のトイレ休憩は18時20分「桂川SA]、18時20分には、出発地点の茶屋町には着くことができました。天王寺まで乗車するI氏以外のジジ連4人は、友達になったC氏夫妻には特に念入りに別れの挨拶をし、各々の帰途につきました。たいへん楽しい旅を演出してくれた「C氏夫妻を始めとする香港からのお仲間、我々よりも10ほども年上でありながら、社交ダンス、旅行にと楽しい時を過ごされているH御夫婦、ジジ連の仲間4人」に、感謝!!!感謝!!!!!です。 30日には香港のC氏御夫婦へ何枚かの写真(お二人の仲の良いショットもあります。)をメールで発信、無事に届いている旨の返信を頂いています。 |
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